第Ⅸ話 後編【スフレチーズと友愛の先】其の二
「そうね、おそらくそれは間違いないわ。――記録では誰も亡くならなかったらしいもの。私も病の特異性に目を奪われて、視野が狭かったみたいね――」
張り詰めていた糸が緩んだみたいに、ペイトは短く息を吐いた。
――それならミーナは助かるのか……。
心の片隅で、ずっと感じていた不安。もし、ケーキを間に合わせても助けられなかったら……。
ミーナと、二度と会えなくなるかもしれない。
……そうどこかで思っていた。
一人で過ごす俺を救ってくれたミーナ。あの時はわからなかった。変なやつに会った、それぐらいだったのに――。
その変なやつに巻き込まれて、母さんだけじゃなく父さんにまで叱られるようになった。
最初は巻き込まれただけだった、ガッチョとアルテミア。二人ともお節介で、二人といると心強くて安心出来た。
パームス、ガージ、ペイト、ティア。みんな、ミーナと会えたから出会えた仲間だ。
みんながいれば、俺はなんでも出来る。
――そんな気がした。
「……エル?あなた、それ……」
頬を伝う、生温かい物が雫となってポタリと床に落ちた。言われるまで気付きもせず、止めどなく流れる涙は床を濡らし、止める事ができなかった――。
「――ミーナが助かるならそれだけでいい。俺はミーナが元気になるなら、どこに行ったとしても信じて待つよ……」
「そうね……ミーちゃんが無事なら、それだけでいいわ」
誰も否定しなかった。静かに、みんなが頷いた。
「――そのことだけど」
さっきまでとは違い、張りつめていた表情の緩んだペイトが口を開いた。
「大樹の涙は、ここ数年でいくつかだけど出ているらしいの。まだ完治した人はいないらしいけど……。でも、ミーちゃんの行くⅧの国では、Ⅻヵ国で先んじて研究されているってお父さんは言っていたわ」
「それならここにいるよりいいじゃねーか」
「そうだよ、早く治しに行った方が――エル兄ちゃん。ミーちゃんっていつ行くの?」
「――聞いた話では祝願祭の終わった翌日――三日後だ」
「「三日!」」
そう、時間がない。ミーナに会うことも出来ずに行ってしまうかもしれない。
「――聞いてくれ。俺はミーナに笑顔を取り戻してから行ってほしい」
「そのために、今スフレチーズを作ろうと思ってるんだけど――」
ルセットを調理台に置き広げた。
「正直かなり難しい……」
「なーエル……時間もねーのに、わざわざこれにしなきゃダメなのか?前のミルクシフォンでいいんじゃねーか」
「このルセットは今朝、夢人のソウに貰ったんだ。それにあいつは「これなら食べられるかもな」そう言ったんだ。――俺はその言葉に懸けたい」
思い返せば、あいつは最初から俺を導いていた気がする。ルセットも初級のシフォンに始まってミルクシフォン、偶然かもしれないけどカスタードクリーム。いや、知り合いだった素振りがあった。どこまで先を考えて動いていたんだ……。でも、そんなあいつが無駄な事をするとも思えない。
「――俺は今から作り始める。明日の朝には完成させたい。そう思ってるんだ」
「手伝いたいのは山々だけどよ……」
祝願祭は最終日にかけてまた人が増える。王都から最高司祭が来て街を周り祈りを捧げるからだ。そのためにみんな仕事が忙しくなって、会うことも儘ならないのがこの三日間。
――それなのに朝から集まってくれた。
その気持ちが嬉しかった。
みんなの願いを俺が形にする番だ。
「大丈夫だ。俺にはみんながいてくれる。その思いだけで十分だ」
「後は俺に任せてくれ、祝願祭が終わる最終日の朝。――みんなで港に集まろう」
「必ずミーナを連れていく」
♦︎♢♦︎♢♦︎♢
みんなは家の手伝いに、帰っていった。
厨房には俺と、手伝いをすると残ってくれたアリーチェだけ。パームスが持って来てくれたクリームチーズで、材料も揃った。
そう思っていたのだが――。
牛乳の横にバニラと書かれているのを見落としていた。持っているのはバニラの使い終わったカチカチに固い物と、似たような香りのトンカ豆だけ。
アリーチェと二人、頭を悩ませた。
「これは……同じ物として使ってもいいのか?」
「んー微妙ですー。このバニラを使っても、そこまで香りは出ないと思いますー。それに、トンカ――豆でしたっけー?似てるけど違うって言うかー……」
「……そうだよな」
買って来たはいいが、トンカ豆は使い方も詳しくわからないし、アリーチェはトンカ豆自体知らなかった。
屋台の主人に言われていた通りに砕いてみたが、バニラに似ているように思っていたが、どこか違う。どことなく野生的で複雑な香りが少し苦手だった。
咄嗟に感じたのは――この香りじゃない。それだけだ。
砕いてみて分かったが、トンカ豆の香りは、ミーナが好きな香りじゃない気がした。
「でも、明日までに作るんですよねー?迷ってる時間なんてないんじゃないですー?」
アリーチェの言う通り、時間は限られている。バニラが手に入ればそれに越したことはないが、市場に並んでいない物を買うなんてどこで……。
市場に並んでない……市場じゃない店……そうか!
「あそこなら売ってるかもしれない」
読んでいただきありがとうございます。
残された時間は三日。
難易度は過去最高。
それでもエルは前へ進みます。
ミーナを笑顔にしたい。
その想いだけを抱えて、いよいよスフレチーズ作りが始まります。
次回更新は5月30日19時30分です。
しっかりと書きたいので一日更新をお休みします。
引き続きお付き合いいただけると嬉しいです。




