第Ⅸ話 前編【スフレチーズと友愛の先】其の一
……いつもだ。俺はいつも間に合わない。
眠れない夜を過ごし、明け方、一人になりたくてまた港へと足を向けた。祝願祭が終わるまであと三日。ミーナへケーキを届け、笑顔にする事は出来るかもしれない。それでも、ミーナは他国へと行ってしまう。
俺は何の為にケーキを作っていたのかわからなくなった。
始めはミーナを救うつもりだった。でも、ただ食べられるようになるだけではいけない、そう感じ始めてからはミーナの笑顔を見たいその気持ちが強くなった。なぜ俺はそんな事を考えてしまったんだ。
もっと早く届けていれば、移住なんて話にならなかったかもしれないのに……。
三日月がリヴォーラへと沈んでいく。水平線は白い光を放ち始めている。
時間は過ぎるだけで、俺は何も出来ない。後悔だけが胸の内を埋め尽くした。
Ⅷの国はこの国――Ⅳから四つも離れた国で、医療大国だと聞いたことがある。この国を出たことない俺にとっては未知の国だ。ミーナが行った事のある国でも二つ先までしか聞いたことがない。二つ先でも行くだけで一月以上も船に揺られて暇だったと言っていたが……。
――もうミーナには会えないだろうな。
ミーナとの思い出が脳裏を駆け巡る。楽しかったことも、喧嘩したことも、笑いあったことも、もう……。頬を一筋の涙が流れた。
今日もみんなが来てくれる。昨日届けたケーキの事を聞きに来るのに、俺は何を伝えればいいのか――わからない。
ミーナが行ってしまう。そんなことを俺の口から伝えなければいけないなんて。
ティアやアルテミアは泣くだろうな。ガッチョも見た目のわりに繊細なところがあって実は泣き虫だ。みんな手伝ってくれたのに。俺が遅かったせいで……。
手伝ってくれなんて言わなければよかった。それなら、こんな気持ちになることもなかったのに。
「馬鹿野郎……遅いんだよ!最初から頼れよな」ガッチョの言葉が不意に浮かんだ。頼らなかったら、俺は今みたいにずっと一人だったのか。いや、こんな思いをさせたくなくて一人でやっていたのに巻き込んでしまった。俺がみんなを巻き込んだんだ……。
巻き込んで、ただ悲しませて。俺は、何がしたかったんだ。
打ち寄せる波が、みんなの気持ちを代弁しているようで苦しくなる。最初は引いてくれた手を救いたかっただけなのに、また一人だ。せっかく出来た繋がりまで、全部なくなってしまう。……そんな気がした。
「――さっきから、グジグジグジグジこまけー奴だな」
誰もいないはずの場所に、いきなり声が聞こえた。
積み重なった木箱から見下ろしても、周囲に人影はない。乱雑に置かれた漁網、幾重にも積まれた木箱。それ以外には何も見当たらない。
「下だ、下」
俺が乗っている四段ほどに積まれた木箱の一番下。その隙間から、ヌッと腕が現れた。
「――いててて、引っ掛かった。おい、助けろエル」
この軽薄なしゃべり方に思い当たる人が一人いる。前と同じ外套、闇夜よりも深く黒い髪。
「薄情な奴だな、助けてくれてもいいじゃねえか――」
「そんなところで寝てるからだろ……」
「そうとも言うし違うともとれるな」
「また訳の分からないことを……」
「それはお前の理解力の話か?それならエルの理解力は低いってことだな」
前に会った時と同じだ。こいつと話していると話がわからなくなる。だが、こいつに名乗った覚えはなかったはずだが……。
「そんな事より、なぜこんなところで寝てるんだよ、ソウ」
「――寝てねーよ。そろそろ起きる頃かと思って、隠れてただけだ」
――寝てないのに起きる?
ソウは言葉の言い回しが独特だ。夢人だからだろうか。
夢人は突如消える、そんな噂を聞いたことあったが、それと関係があるのだろうか。
考えても一緒か……どうせこいつは話を聞かない。
「それで、またウジウジ君はここへ泣きに来たって事か」
「誰が、ウジウジ君だ。泣いてない……どうしようか考えていただけだ」
「ウジウジ君の名前知らねーからな。それは仕方ねー」
「さっき名前を呼んだだろ」
「そうだったか?」
やはりだ。予想していた通り、こいつに会話を求めるだけ無駄だ。
「いやー、お前は会うたびに面白い顔してるな」
「それはどうも。――皮肉のつもりか」
こいつの口車に乗ると、前は碌な事がなかった。感情は整理出来たが、胸糞悪かった覚えしかない。
「相変わらずつまんねー奴だな、そんなんだから間に合わねーんだよ」
「うるさい。考えてる――――ちょっと待て……なんでその事を知ってるんだ」
俺はここでは何も言っていない。そもそも声にすら出していなかったはずだ。
「さーな、なんでだろうな。お前の顔がそんなだからだろ」
一段下がった声とは裏腹に、ソウの表情は今までで一番やさしく見えた。
「それで、ケーキを作っても間に合わなかった訳だが。またお前は一人、こんなとこで何してたんだ」
「――それも言ってないだろ」
「細かい奴だな。それを聞いて意味があるのか?」
自分の事は話さないくせに、俺の事はわかってると言いたげな口ぶりだ。
「それで、なにしてんだ」ソウは同じ言葉を口にした。
考えてるとは言いたくない。何も考えられないから、ここに居たと認めたくなかったからだ。
「――おいおい黙るなよ、会話を楽しもうぜエル」
楽しむ……こいつと?そんな気分ではない。名前もやっぱり知ってるじゃないか。
「ウジウジ君だからな。ウジウジしに来てるだけだ」
精一杯の皮肉を混ぜて返すと、キョトンとした表情を浮かべてからソウは噴き出した。
「アハハハッ、ヒィーやっぱり面白いなお前――」
気に入ったのか、ソウはずっと笑い続けている。誰もいない港に響いた笑い声は、そのまま海へと消えていった。
「ハー面白っ。でも――まだ間に合うかもな」
「ハッ、もう旅支度も始めてるんだ。間に合うわけないだろ……。聞いたんだ、高速船で行くって。そんなの父さんじゃないと手配出来ないんだよ」
「馬鹿な奴だなーそっちじゃねー」
「じゃあなんだよ……」
「お前のしたいことに決まってるだろ」
ソウの口元がにやりと上がった。
読んでいただきありがとうございます。
閑話を挟み「間に合わなかった」から続く、エルの迷いと後悔。
そして、港に現れた夢人ソウ。彼がエルへ投げかけた言葉の意味。
次回、エルは「何のためにケーキを作っていたのか」に向き合います。
次回更新は5月25日19時30分です。
引き続きお付き合いいただけると嬉しいです。




