閑話【カリス辺境伯家】其の一
「エルさまーどうしたんでしょうねー。ねぇ、キースさん」
今朝は顔色が良くて、機嫌も良さそうだったのにどうしたんでしょう。帰ってこられてからは自室に篭り出てこなくなりました。何度もお声かけしましたが、返事もありません。
「アリーチェさん――その話し方はエルネスト様の前だけにしなさいと言っていますよ」
「――失礼致しました。キース様」
――いけません。
いつもエルネスト様に話すように、話してしまいました。
「それでキース様。エルネスト様はどうされたんでしょうか。ご存じ――ですよね?」
キースの片方の目が少し開き、また閉じた。
少し前に領外へエヴァルト様からの文を取りに行くとおっしゃっていましたが、おそらくそれはエルネスト様が望まれている物ではないはずです。
なにより、お届けに行ったはずのケーキも持ち帰ってこられました。そして苦心の末に作られたそれを……お捨てになるほどの何か。
それが何かはわかりませんが、その事がエルネスト様を苦しめているはずです。
「――はい」
「お知りになったのでしょうね――」
何をと聞いても応えては下さらないのでしょう。
キース様は必要なことしか話されません。
私は、エルネスト様が館へとお戻りになるのを、楽しみにお待ちしていました。
普段は子供らしく甘えることもなく、我慢ばかりされていたエルネスト様。
ここ最近は離れに籠り、急にケーキ作りを始められ最初は少し戸惑いました。
誰にも頼ることもせず、一人で抱え込んでいらっしゃったエルネスト様。それが私にまで頼るようになり、どれほど嬉しかったことでしょう。
今朝も楽しそうに友達と喋り、出来上がったケーキに安心され嬉しそうに届けられました。
そんなエルネスト様がまた元に戻られたようにふさぎ込み自室へと籠られている。
何もできない自分が所詮はメイドだと突き付けられたようで悲しくなります。
あの雨の日。中々お戻りにならず、捜索の兵が集められました。様子がおかしかったと心配して駆けつけて下さったガッチョ様とアルテミア様。まだ戻られていない事を伝えると、お二人は何かを察したように駆けていかれました。慌てて後に続くと、お二人が向かわれた先で倒れられていたエルネスト様。
あんな場所にいるなど、誰が想像できたでしょうか。見つける事が出来て事なきをえましたが、少しでも発見が遅れていたらと思うと、心が締め付けられるように苦しくなります。
「――キース様は、エルネスト様を敬っていらっしゃいますか」
「当たり前です。――アリーチェ、何が言いたいのですか?」
「そうは……そうは見えないものですから」
鋭い目つきを向けられ、黙りそうになりましたが、なんとか言葉を繋ぐ事が出来ました。
「ハァ……。いいですかアリーチェさん。次期領主になられるエルネスト様を皆が敬っております、私を含めね――」
「ですが、エルネスト様はもっと……もっと街に触れる方が大事なのではありませんか!」
キース様のお言葉を遮り、私は割って入った。
「――それも確かに大事です。ですので、街へ出ることは禁止していません。ですが、良き領主になる為に学ぶべき事は多いのです」
「ですが……ですが」
そこからは言葉が続きませんでした。続かない言葉に呆れたのか、キース様はどこかへ行かれてしまいました。
所詮はメイドの私が何を言おうと、変わりはしない。そう突きつけられたみたいで、少し気持ちが沈みます。
「エルさま……」
エルさまの部屋の前で、私は自室に籠るエルさまを呼びました。ですが、やはり返事はしてもらえません。
このお館は広く、働いている方も多くいます。冷たいわけでも関心がないわけでもなさそうです。皆温かい目で見てはいますが、それだけ……。誰もエルさまに、手を差し伸べようとはしないのです。
――それが少しだけ、寂しく思います。
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「また、いらないだと!」
「こっちはずっと、準備して待ってるんだぞ!坊ちゃんは何を考えてるんだ」
普段は抑えているが、流石に我慢の限界だ。
エルネスト様はわかっているのか、家人全てに飯を食わせる、事の重大さを。この館の料理長を任されている身としては、憤慨するほかなかった。
「仕方ないですよ、エルネスト様もお一人では寂しいのかもしれませんし」
「そんな事はわかっている!」
お一人で食べるお姿を、私はいつもそばで見ていた。食事の際、そばにいるのはメイドと給仕も兼ねて私がいるだけ。時折外をご覧になられては、寂しいとは口には出さないが、その目が全てを物語っている。
だが、私たちではその寂しさを、紛らわせる事すら出来ないことも分かっていた。
歯痒い思いを抱きながら、お帰りを待つしかないのだ。
祝願祭が始まると、街は賑わいを見せる。料理人としてその場に立てないのは辛い物もあるが、領主邸に勤め影から領主様の健康を保つ。それは必ず領民たちへと返って行く。その誉を私は賜っているのだと思ってはいるのだが……。
屋台を見るとやるせ無い気持ちがないわけでは無い。
勤め始めた頃、最初は屋台だと侮っていた。だが、祝願祭で出る屋台はそこらの飲食店では味わえない物が多く、毎年の楽しみになってしまった。
先程も、仕入れの為に街へ出たが、面白い物に視線が向いた。中でも面白い物があり、買い出しの途中ではあったが立ち止まってしまった。屋台に立てかけられていた看板には【煙を喰う肉】と中々刺激的な文言に心が躍る。
試しに買ってみたが実に面白い。普通なら赤身肉を使うところを脂身の多い部分を使ったローストビーフ。サシの入った肉は見事な色彩を放っている。
一歩間違えば生ともとれる程繊細な火入れが、肉の繊維だけを柔らかく仕上げ、噛むほどに肉の脂を堪能出来る。
何より驚いたのが、文言にあった煙だ。
燻製だと侮っていたが、煙を冷やして香りをつけるとは思いもよらなかった。ローストビーフの繊細な火入れを損なわず、香りだけをつけるとは――見事としか言いようがない。
街に出ると新たな発見に心が躍る。新たな調理具も見つけられ満足のいく結果だ。
だが、それを披露するのはエヴァルト様が帰られてからになりそうだ。エルネスト様は私が作る物に興味もなさそうだからな……。
そう思いながら、しばらく過ごしていると執事長のキース殿から伝言を受け取った。
「――エルネスト様がこちらに来られる?」
厨房へ足を運ばれたことなど、ミーナ嬢が来ていた時ぐらいだ。それ以外では食事の時以外にお会いする事もなかった。どういう風の吹き回しだ――。
それとも、離れの厨房を使って何か作っていると、メイド達が話していたがその事だろうか。
キース殿に尋ねようとした時だ。裏口の戸がガチャリと開いた。
「エルネスト様、他にご要望があると伺ったのですが」
どんな要望があるのだろうか……夕食の献立は概ね出来上がっている。大幅な変更でなければいいが……。
そんな事を思っていると小さな器を差し出され、確認すると中には割れた卵。それも卵黄だけがやけに多い。
――割るのに失敗なされたのだろうな。
殻も入っているが、それは黙っていよう。卵を足す際に取り除けばいいのだ。
お好きなオムレツなら丁度よいだろう。そう告げると厨房を出ていかれる――そう思っていた。
「――それと料理を作るところを見ていたいんだけど、いいかな」
――なんと!
私が作るところを見ていたい。その言葉がどれほど嬉しいことか。どんな考えがあれ、興味を持っていただけた。
卵を取りに材料庫へと向かい、嬉しさに震えた。これは好機だ。エルネスト様を笑顔に出来るかもしれない。
買い込んでいた材料に目を向け、急いで夕食の献立を組み換えた。
少しでもエルネスト様のお心に届く。
そんな料理にするために――。
お読みいただきありがとうございました。
ようやく届けられるはずだった想い。ですが、その願いは届く前に途切れてしまいました。
今回は、その前後の館側のお話になります。
エルの変化を喜んでいた人たち。
そして、再び閉じこもってしまった彼を見守ることしか出来ない人たち。
本編とは少し違う視点から、余韻を感じていただけたなら嬉しいです。
次回も引き続き閑話をお届けします。
更新は5月23日19時30分です。
次回もお読みいただけると嬉しいです。




