第Ⅷ話 後編【クレームパティシエールと絶望】其の四
離れの厨房で買ってきてもらった型分、四台を窯に入れた。計量や作る時にもアリーチェが手伝ってくれて本当に助かった。朝に作った分の倍ともなると、一人ではキツかったかもしれない。
朝と変わらない時間で四台を窯に入れる事が出来た。待つ間もう一つのルセットを台へと広げた。
「エルさまー、それなんですー?」
「これは、クレーム……カスタードクリームのルセットだ」
「えっ!エルさま、カスタードクリーム作れるんですー?」
「いや、作った事はないよ。でも、さっき作るところを見せてくれた人がいたんだ。その人がルセットをくれたから作ろうと思って――」
あんなに手早く作れるとは思っていないが、時間をかければ多分出来ると思う。あの力強い作り方も、気をつける点も、事細かにクンパは教えてくれた。
――鮮明に覚えてる間に作りたい。
「アリーチェ、計量を頼めるか?」
「はいですー」
窯に入れている間に作れると思っていた、クレームパティシエール。一度目は見事に失敗した。
泡立て器を混ぜるのが上手くいかず、底から焦がしてしまった。泡立て器の底を、手の平で押しながら鍋の縁を上手く走らせる事が出来ない。
火をつけるまではサラサラとしていて混ぜやすかったが、火が入って来ると急に重たくなり泡立て器が上手く動かせない。少しトロリとして来たぐらいで、嫌な匂いが上がり火元から外した。
鍋を傾けると、鍋の中央が濃いめの茶色に変色し見事に焦げていた。
「ありゃー。やっぱりカスタードクリームはかなり難しいですー。私も何回か作った事ありますけどー、失敗ばっかりですー」
――アリーチェでも難しいのか……。
そうこうしている間に、ミルクシフォンを窯から出す時間になった。アリーチェに言われ、三分程時間を延ばしている。台数を増やす時は少し時間を延ばした方が良いそうだ。
窯を少し開けると、ぶわりと蒸気が上がった。今までで一番の量だ。窯の扉に着いた雫がポタポタと落ちている。
蒸気が落ち着いた頃合いを見計らい、扉を開けると綺麗に膨らんだ四台のミルクシフォン。
――よかった。四台でも上手くいった。
手袋を受け取り、窯から手早く出すと鉄板に並べて運びシフォンを反対に向けて静かに置きなおした。
「――アリーチェ、もう一度……」
「エルさまー、もう一度カスタードクリーム作りますよねー?もう量り始めてますけど、よかったですー?」
「あぁ――ありがとう」
先に動き始めていたアリーチェは、もう一度カスタードクリームの材料を次々に量ってくれている。アリーチェがいてくれると本当に助かる。
普段はどちらかと言えば、のんびりしている様子だったが、菓子作りにおいてはかなり有能だ。適切に手伝ってくれている。
「エルさまー量りましたよー」
「ありがとう、助かるよ」
「いえいえ、全然ですー」
もう一度だ。今度は火加減に気をつけながら作ろう……明日こそはミーナに届けられればいいが。
♦︎♢♦︎♢♦︎♢
結局二回目も焦がし、三度目を炊く事になった。二度目は途中までは、かなりよく出来たと思う。
でも、最後の最後。バターを入れる時に火を止め忘れるという些細な失敗で焦がしてしまった。
クレームパティシエール、菓子職人のクリームとはよく言った物だと思う。基本量で二回炊いただけで、腕がかなりキツかった。
本当は、諦めようかと一瞬脳裏によぎった。
そんな時、ガッチョの「任せとけ」その言葉が浮かんだ。アリーチェを見ると眠そうな目を擦り、焦がした鍋を洗ってくれている。
ペイトもきっと、本を読んでいるはずだ――みんなが手伝ってくれている。
それなのに手伝いを求めた俺だけが諦めるわけにはいかない、そう思いもう一度自分を奮い立たせる事が出来た。
――もう一度、作り直そう。
そう決意するとアリーチェはわかっていたのか、もう計量を始めていた。
三度目ともなると、なんとなく要領も掴めてきた。迷いなく手が動く。
ケーキ屋で見せてもらった時よりも、混ぜる力もかなり弱い。動かし方もぎこちない。それでも――カスタードクリームを炊くのに集中した。
三度目。
よく見れば少しダマもある。クンパに見せてもらった物とは、少し様子が違うかもしれない。バニラがないせいなのか、甘い香りは少しだけ弱い。それでも、金属盆で冷やしたカスタードクリームが艶やかに輝いて見えた。
――出来た……。
三度目でなんとか形になった気がする。味見しようとしたが、食べ比べさせてもらった時の事を思い出してやめた。クンパの言っていた通り、しっかりと冷やした方がカスタードクリームの真価が、わかるような気がしたからだ。
遅い夕食と支度を済ませると、今日の事を振り返り。
明日の事を考えながら眠りに着いた。
♦︎♢♦︎♢♦︎♢
「ねぇ、エルくん。食事にとって一番大事なものが何かわかる?」
唐突にミーナが何を言い出したのか、わからなかった。
「それはやっぱり料理人の腕じゃないのか?」
「ブブーッ、はずれだよー。それは美味しいっていわれてる料理の話でしょ?」
「そうじゃなくて、食事だよ?」
――少し前に聞いた気がする。
そんな事を思い顔を上げると、長い列の真ん中あたりでミーナと二人で並んでいた。
「どうしたの?」
隣からひょこりと顔を覗かれ、片足を下げた。
「いや、なんでもないよ」
「それでねー食事にとって大事なのは――」
「――気持ちじゃないか?誰かに食べて欲しい、誰かを笑顔にしたい。そんな料理を作る人の気持ちだと思う」
「――いいね」ミーナはニコリと笑った。
「でも、それも料理の話じゃない?食事だよ」
――これも違うのか?
「フフ、もう少しだね♪」
♦︎♢♦︎♢♦︎♢
目を開けるとミーナの姿はどこにもなく、寝台の上だった。
「――夢だったのか……」
今日こそミーナに届けよう。
気持ちも新たに、手早く支度を済ませ離れへと向かう。厨房に着くと、すでにアリーチェが準備を進めてくれていた。
「おはよう、アリーチェ」
「エルさまーおはようございますー。――なんだか今日はお顔が晴れやかですー」
「そうか?」
自分ではわからなかったが、夢のせいなのか確かに気持ちは軽い。昨日焼いたミルクシフォン、買ってきたジャム。クンパに教えてもらって、炊き上げたカスタードクリーム。材料は揃った。あとはその組み合わせだけ。
しばらくすると、みんなが続々と集まってきてくれた。まだ八時前だというのに、七人が揃う。
昨日受け取っていたガージが買ってきてくれたジャムはいちご。買ったところも同じで軽い談笑から始まった。
いつもの日常に近い。ここにミーナが加わればいつも通りだ。
みんなと試食を重ね、ディプロマットクリームの割合はカスタードクリームをニに対して生クリームを一。カスタードクリームの方が多いようにした。
クンパも、合わせる割合はベースとなるケーキによって変えていると言っていた。シュークリームなら三対一。パイならニ対一と様々なようだ。そんな事まで話して良いのかと思い訪ねたが「そんなケチじゃないのだ」と言われてしまった。
ここまで教えてくれたクンパには感謝しかない。
クリームが決まってからも少し意見が分かれた。ジャムがいる派といらない派で、どちらもミーナが好みそうな味に近い。
最終的に俺が、ミーナが笑顔になりそうだと思ったクリームのみに決まり、作り上げることは出来た。
だが、そこからも少しだけ苦労があった。どうやって盛り付ければ良いのかわからなかったからだ。
そこはアリーチェが良い意見を出してくれた。
「エルさまー真ん中の空洞に絞ればいいんじゃないですかー?」
みんなが、なるほどという顔でアリーチェの方を向き、絞り入れてみると良い感じに仕上がり。
皿にミルクシフォンを乗せ、真ん中の空洞へクリームを絞る。箱へ入れ、そっと封をした。
みんなで行くか相談したが、何故かみんなに背中を押され、一人で向かう事になった。
街に出るとひだまりの中を歩いた。
祭りが始まるまで、まだ少しある。
人通りの少ない路地を軽い足取りで進んだ。出来上がった安心感からなのか心まで軽い。
もうすぐミーナに届けられる。そう思うと足取りは徐々に早まった。
教会のある広場を抜け、北通りへ向かう。角にあるヴィターリ商会の前を過ぎた時――少しだけ違和感を感じた。中が少し慌ただしそうに見えたからだ。
アルテミアから聞いてはいたが、なぜ商会まで……。
微かな違和感に、また歩く速度は上がった。ケーキを壊さないように慎重に、裏道へと入っていく。
ヴィターリ商会の裏に出ると、従業員らしき人が二人、大きな荷物を運んでいるのが見えた。
微かに聞こえた言葉に足を止め、路地の角に隠れ聞き耳を立てる。
「――聞いたか、最近会長と副会長が姿を見せてない理由」
「あぁ、なんでもお嬢様が病気で伏せっているとかって」
――そのことも広まってきているのか?
ミーナはまだ無事なのか。不安が押し寄せ、早く届けなければと思った時だ。
「それにしても急だよな。宿願祭が終わり次第、商会本部をⅧの国に移転させるなんて――」
「……えっ」
「そうそう、それもお嬢様の治療のために家族総出で向かうとか――」
――家族総出……ミーナも……。
ガシャン。
届けに来たケーキを落とし、その場に立ち尽くした。
――間に合わなかった……。
読んでいただきありがとうございます。
何度も失敗しながら、それでも諦めずに作り続けたエル。
ようやく形になり、届けられる――そう思っていた矢先でした。
届けたいと思っていたもの。
間に合わせたかった想い。
その全てが、ほんの少し遅かった。
ここからエルが何を思い、どう進んでいくのか。
次回は閑話【カリス辺境伯家】をお届けします。
更新は5月22日19時30分です。
引き続きお付き合いいただけると嬉しいです。




