第Ⅷ話 前編【クレームパティシエールと絶望】其の一
皆に名前を告げると戸惑いの色が一段上がった。口を開き驚いた顔で固まっているガージ。あわあわと口を動かすティア。スッと目を閉じたペイト。いつもと変わらず寝ているのかとも思えるパームス。だが、その手が微かに震えていた。
「エル兄が領主様の……息子?」最初に口を開いたのはガージだった。
「あぁ、黙っていて悪かったな」
「ガーちゃん、エルネスト様でしょ……言い直した方が――」
「ペイトいつも通りで良いんだ、ガッチョとアルテミアも変わらずにしてくれている、そんなに気負う必要もない」
「……はい」
ペイトの表情が硬い。まだ受け止めきれていないようだ。
――いつも通りに接してほしいが、まだ無理か……。
ペイトはこの中でかなり真面目だ。急にいつも通りと行っても無理なんだろう。
「エル兄ちゃんが、騙してたって事?」
「そういうわけじゃない……ただ、父さんとの約束で言えなかっただけだ。でも、結果として騙してた事になるのか……すまないティア」
俺は頭を下げた。
「謝って欲しいわけじゃなくて、その……えっと」言葉が詰まり、ティアはそこで言葉を止めた。
「では、なぜ今になって打ち明けたのですか?」ペイトがいつもよりも硬い口調で言葉を発した。
「――ミーナの事だ」
四人の顔色が変わった。みんなも薄々は気づいていたのだろう。ミーナだけがこの場にいない、それに祭にも来ていない異常なことに……。
「ミーナは……ミーナは今、食べる事が少し難しいらしいんだ」
食べられている物が少しでも増えていると信じたい。そんな気持ちから言葉を濁した。告げた言葉に、狼狽えた顔をそれぞれが浮かべ、一番動揺していたのはティアだった。
「そんな……ミーちゃんが、どうして!」
――俺にもわからないよ……。
喋る言葉に気をつけながら、今まで聴いてきたミーナの事を四人に事細かに話した。ヴィターリ商会長――ミーナの父親から聴いてきた事、王都の学者――先生が言っていた何かを体が拒んでいる事。それを踏まえて本題を切り出した。
「――理由はどうあれ、俺はミーナを助けたい。みんなに集まってもらったのは手伝ってほしいからだ」
「……なにをですか?」
みんなが来る前に型から外したミルクシフォンの一つを、前に出した。
「俺は今ミーナが、笑顔になるケーキを作ろうとしている」
「エル兄、食べられる物じゃダメなの?」
「……わからない。でも、笑顔になる物じゃなきゃいけない。――そんな気がしてるんだ」
「俺もそう言ったんだけどよ……」アルテミアに止められたガッチョもやはり納得は言っていなかったようで、ガージの言葉に続いた。
改めて言われると、自分でも少し戸惑っているところがある。
食べられるようになってから、好きな物を食べて笑顔になれば良いんじゃないかって。心のどこかでそう言っている自分が確かにいる。
それでも、それじゃいけない。食べられるだけじゃダメだって、その気持ちの方が強い。だから、俺もミーナが笑顔になる物を漠然と考え続けている。
「――僕には少しわかる気がする。「笑顔にもなれない物は誰も食べたがらないって事だ。だから、笑顔になって欲しいと願いを込めて俺たちは料理を作るんだ」ってお父さんが言っていたよ。――食べられるだけじゃ、きっとミーちゃんは良くならないんだよ」
ティアの父親――美食のウサギ亭のシェフの言葉か。笑顔になれない物は誰も食べたがらない、その気持ちを大切にしているから、きっとみんなが美味しいと列をなすんだ。
そんな実力は俺にはないけど、ミーナが笑顔になれるケーキなら作れる気がする。このケーキが、上手くいっていればきっと……。
「これは俺が作ったケーキなんだけど、みんなに食べてもらって感想が聞きたい。上手く出来てるかわからないけど……」
「アリーチェ、ケーキをみんなの分に切り分けてくれないか?」
「かしこまりましたー」
そういうとアリーチエは、シフォンケーキをまな板に置き直し、波刃の包丁を取り出した。不意にこちらを向いたアリーチェが見回し指折り人数を数えていく。指を折った回数は何故か八回。少しだけ嫌な予感がした。
「とりゃー」
勢いよく掛け声を上げたが、手の動きはゆっくりだ。少しずつ波刃を、前後に動かしながら下げていく。
「うりゃー」
二度ほど咳払いをしたが、伝わらなかったのかアリーチェは叫ぶのをやめない。恥ずかしいからやめて欲しかったんだが……。
切り終えると、一つずつ皿へ取り分けフォークを置いた。一人ずつ手渡しに運び、そして最後の一皿をアリーチェが自分で持った。
「どうして、アリーチェの分もあるんだ……」
「えーお手伝いしたじゃないですかー。それに、エルさまの作ったシフォンならー、私も食べたいですー」
確かに、作るところから片付けまでアリーチェがいなければ出来ていなかったかもしれない。寝落ちしていた俺を起こしてくれたこともあるわけだし……。
悩んだ末に「わかった」と短く応え、「その代わりみんなに飲み物を配って準備してからにしてくれて」と条件をつけた。
「わかりましたー」と湯を沸かし始めた。
「先に食べ始めよう。何か感じた事があればみんな……遠慮なく言ってほしい」
「これは俺も初めて食べるから不安なんだ」
六人が頷き、ケーキを持ち上げた。
お読みいただきありがとうございます。
エルが求めているのは、ただ美味しいだけのお菓子ではありません。
誰かに食べてもらう料理には、きっと味以外の何かも必要なんだと思います。
美味しいだけでは届かない。けれど、想いだけでも届かない。
エルが探しているのは、そんな“間にあるもの”なのかもしれません。
次回はついに試食。
エルのシフォンケーキはミーナに届くのか――。
次回更新は5月16日19時30分です。
次回も引き続きお付き合いいただけると嬉しいです。




