第Ⅶ話 前編【友達とミルクシフォン】其の一
朝食を食べ終え、街へと出てきた。宿願祭もあと一週間程で終わりを迎えるが、街にはまだ人は多い。聞こえてくる喧騒は変わらずに、呼び込みの声も聞こえてくる。
街を歩くと屋台が色々と違う店に変わっていた。昨日まであったバニラの店はなくなり、違う屋台が出ている。
だが、のんびり回っている暇はない。ミーナに届けるケーキを早く作りたい。その気持ちだけが足を急がせ、人波を抜けていく。
――早く材料を買って、もう一度作らないと……。
アリーチェに抜いてもらったシフォンケーキは少しだけ食べてみた。失敗とはいえない出来でふっくらと焼き上がり、甘いバニラの香りもしっかりと感じることが出来た。抜いてもらった礼にアリーチェにも少し食べてもらったが、満足そうに「むふー、美味しいですー」と言っていた。
店の味とまではいかないが、普通のよくある味で悪くはなかった。でも、何かが足りない。その気持ちが拭えずもう一度街に材料を探しに出てきたところだ。
西区から南区へと抜けながら、市場を見て回る。だが、何を混ぜればいいのか見当も付かず、賑わう路地を進んでいく。
――イチゴ……レモン……。
見た事ないような珍しい物は見当たらない。宿願祭も終盤に入り、希少な物はもう売り切れたのか、見たことある物が数多く並んでいる。
ミーナが買っていたマンゴーの屋台ももうない。あれならと思い来てみたが、店が変わっていた。
南門まで来てみたが、何も見つからず港の方へと足を向けた。この道を進むと“あの店”がある。
路地の角を曲がると【クンパッパ】の看板が見えた。店の前には長い列が今日も出来ている。店の前を通ると、馴染みの販売員が扉を開け、他の客を呼んでいた。
「――次の方、どうぞー」
店先で販売員と目があった。通り過ぎようとしたが、足を止めた。拳を握り締め、少しだけ体が震えていた。
販売員の方へと振り向くと、頭を下げた。
「この間はすみませんでした……」
覚えていないかもしれない、それでも一言、……謝りたかった。
顔を上げると、販売員は声をかけてくれた。
「――いいのよ。でも、今度からはちゃんと並んでね」
そういうと笑顔を浮かべて店の中へと姿を消した。
昨日の材料屋の帰り、この道を通りたくなくて回り道をした。思い返すと自分のしたことが恥ずかしくて、この路地を……この店を避けていた。
でも、少しだけ許された気がして心が軽くなった。
誰も立っていない店の扉にもう一度頭を下げてから、路地へと向き直り、材料屋を目指した。
♦︎♢♦︎♢♦︎♢
「確かこの辺りだったはずなんだけど……」
この路地の中腹ぐらいだったはずだ。うろ覚えの店を探して首を動かした。路地を見回していると、少し先で街灯がチチチチッと光を放つのが目に入った。
――あそこだ。
扉の前に立つと、扉を横へと滑らせ暗い材料屋へと入った。昨日と同じで、粉の香りがする。
「いらっしゃい。おや、またあんたかい」
「今度は開けられたみたいだね。ひっひっひっ」
老婆は不気味な笑い声を上げ、昨日扉を開けられずに四苦八苦した事を弄られた。
「それで、今日は何しに来たんだい?」
老婆が店の灯りをつけてまわると、店内がポワッと明るくなった。
「ルセットに書いてあったシフォンケーキを作ってみたんだ。だけど、美味しいが何か足りない気がして……何か混ぜれるのものがないか聞きに来たんだ」
「ここは材料屋だよ。好みは人それぞれ、味の好みまではわからないね」
――そうだよな……。
考えが甘かった。ここなら何か材料が手に入るかと思ったんだけど。仕方ない、街をもう一度回ってみるか。扉に手をかけ出ようと思った時、老婆から声がかかった。
「待ちな」
「ないとは言ってないよ。わたしは好みがわからないと勧められないって言ったんだ」
――好み……ミーナが好きな味は……。
ミーナは何を、よく食べていた?記憶を辿り、ミーナの好きな味を思い返した。
――よく食べていたのは、ふわふわした食感の物。ショートケーキも良く食べていた。
クリームが多いと喜んでいた気がする。甘すぎる物は避け、適度な甘さの物が好きだった。
「……ショートケーキが好きで、特にクリームが好きだった。フルーツはなんでも好きで嫌いな物はなかった気がする」
漠然とした情報を、記憶の中から手繰り老婆に応えた。
「そうさねぇー……それなら、ミルク感が強い味にすれば好きかもしれないねぇ」
理論書には水分が増えると上手く膨らまないと書いてあったのを思い出した。
「でも、ミルク感なんて、どうやって加えたら……」
「せっかちな子だね、最後まで話は聞くもんさね。ミルク感なら足せないこともないよ」
「でも、ここじゃあ売ってない。どこに売っていたかねー……思い出せそうで……」
老婆はちらりとこちらに視線を送り、顔を伏せた。
「思い出せないねー」
そしてまた、ちらりとこちらに視線を送ってきた。
――あぁ……多分これは、知ってるやつだ。
「それなら、昨日と同じ卵を二十個とシフォンケーキの型。それと一緒に入っていた違う方の型も、一つずついただきます」
卵はどうせ買わなくちゃいけなかった。ただ、卵は市場で買った方が圧倒的に安い。この店は少し割高だが、仕方ない。
型は、もう一つずつ欲しいと思っていた。一つしか焼けないのでは、味を確認して渡すのが出来なかったからだ。
「ひっひっひ、まいどあり。包んでくるから少し待ってな」
昨日と同じく裏へと姿を消した。
並べられた器具や道具を見てまわっていると、シフォンナイフが並んでいる。値段と器具の名前が書かれた物も品物の前に置いてあった。
――昨日、見逃してたんだな。
シフォンケーキの型も大きさ違いでいくつか並んでいる。中には両手を広げても足りないぐらい大きな物もある。その隣に、突起がついていないもう一方の型も並んでいた。こちらも大きさが色々あり、小さな物は拳ぐらいの物もあった。
器具が並ぶ棚の下に、丸い紙と細長い紙がいくつも並んでいる。
――これは何に使うんだ?
ここでもわからない物が多く首を傾げた。
「待たせたね、はいよ」
紙袋を受け取ると、頼んでいた物が入っていた。
「さっきの話だけどね――北区の酪農市を入ってすぐ左の屋台に乳を乾燥させた物がある。だが、すぐに固まってしまうから表には並んでいない……材料屋のババアから聞いてきたって言いな。そしたら分けてくれるだろうよ」
――酪農市を入ってすぐ左。酪農市を入ってすぐ左。
「酪農市を入ってすぐ左だね、わかった」
忘れないように何度か頭で復唱してから、返事をした。
「――それと、これも渡しておくよ」
渡されたのは、またルセットだった。昨日とは違い、今度はミルクシフォンケーキと書かれている。
「手に入ったら、これ見て作ってみな。材料買うならまた来るんだね。ひっひっひっ」
――がめつい割に優しいところもある人だ。
考えたみたら、ミーナも同じような所がある事を思い出した。商売人の――探究心だったか。多分それと似たような物なんだろうと、思う事にした。
「ありがとうございます、また買いに来ますね」
お礼を言ってから店を後にした。
「ミルク感を足せるものか」
どんなものなのかな、期待を胸に北区の酪農市へと向かった。
お読みいただきありがとうございます。
「美味しいはずなのに、何かが足りない」
今回のエルは、その違和感を抱えたまま街を歩き回ります。
形にはなっているのに、どこか違う。その違和感を追いかける過程。
ほんの少しのコツと経験で結果が変わる――そんな部分も、この物語に重ねています。
現在は二日に一度の更新となっておりますが、丁寧に物語を紡いでいきたいと思っています。
次回の更新は5月5(火)19時30分です。
次回も引き続き楽しんでいただけたら嬉しいです。




