第Ⅵ話 後編【夕食と卵】其の四
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離れの厨房へとシフォンケーキが気がかりで急いだ。扉を開けて入った厨房、シフォンケーキを入れた棚の前で立ち止まり呼吸を整えた。
腕を伸ばし常温の棚を開けると、バニラの甘い香りに満ちている。硬かった縁を指で押すとシュワッと音が鳴った。縁はかなり柔らかくなっていて、指の跡はふわりと押し戻され見えなくなった。
棚から取り出したシフォンケーキを、台へと移した。
シフォンナイフを、昨日差し込んだ部分に入れてジワリと動かす。昨日、欠けた部分はスッと動いたが、ぐるりと縁に乗った部分でまた止まった。今日は途中までナイフが入ったが、そこからは、また動かせそうにない。
無理やり縁を滑らせれば、外せない事もなさそうだ。でも、また縁が欠けそうで怖い。
良い案も浮かばず、もう少しだけナイフを動かしてみるが、側面を滑らせる感覚が指に伝わってこない。
動かしていたナイフを止めた。
「くそっ……どうしたら」
悩んでいると、扉を二回叩く音が聞こえ、扉の外から声がかかる。
「エルネストさまーご飯が出来ましたよー」
――この声は、アリーチェか。
アリーチェは、俺の少し上で十七かそこらだったはずだ。元気はいいが、少し抜けているところがあるメイドだ。
「エルネストさまー、入りますよー」
――返事もしていないのに……。
許可を取る前に扉を開けて、厨房へと入ってきた。
「シフォンケーキですかー?」
台に置いていたシフォンケーキを見つけて近づいてきた。
「あぁー膨らみ過ぎちゃった感じですねー。これ抜くのコツが、いるんですよねー」
「――知ってるのか?」
「何がですー?」
アリーチェが、不思議そうな表情を浮かべて聞き返してきた。今の会話で、シフォンケーキ以外にあるのか聞きたいところだ……。
「だから、シフォンケーキの抜き方を知っているのか?知っているなら……教えてくれ」
今度はキョトンとした表情をしたアリーチェが、クスクスと笑う。
――何がおかしいんだ。
「エルネスト様が、わたしにお願い事なんて初めてですねー。シフォンケーキの抜き方知ってますよー」
アリーチェには、今まで願い事をする事がなかっただけだ。他の人には――していたはずだ……多分。
考えたが、ほとんど思い当たらない。願い事なんてした事あったかな……。
「それじゃぁ、シフォンナイフを拝借して。いきますよー」
――どこにだ。
アリーチェと会話すると不思議な会話になりやすい。疑問ばかり浮かんで要領を得ない事がほとんどだ。だが、これがやっぱりシフォンナイフだったんだと、会話して初めてわかった。
「とりゃー」
アリーチェが妙な掛け声とともに、縁に乗っていたシフォンケーキを削り出した。
「何して――!」
「えぇー?エルネストさま、これを型から外したいんですよね?それなら削らないと、型が見えないじゃないですかー」
シフォンケーキを傾け、型からはみ出ている部分をシフォンナイフで切っていく。慣れた手つきで型を回しながら、一周ぐるりと刃を入れ、飛び出ていた縁を切り取った。
「んふー、どうですー」
胸を張って自慢げなアリーチェの顔に腹が立つが、あれよと切り取ったシフォンケーキを見ると、何も言えなかった。
「――こんな方法で外すんだな……」
「えぇー知りませんよー?」
「……は?」ここまでしておいて、知らないとはどういう事だ。口から間抜けな声が出てしまった。
「ですからー、他の人がどうしてるかなんて、知らないだけですよー。エルネストさまが知っているのか?っておっしゃったので、〝私の〟抜き方なら知ってますよ。って、つもりで言ったんですけど……ダメでした?」
――ちゃんと確認するべきだった。
アリーチェとの会話が難しいことは知っていたが、まさか自己流とは思わなかった。でも、アリーチェに任せて幸いした所もある。はみ出ていた縁の部分はなくなり、これなら自分でも外せそうだ。
「……いや、助かった。あとは自分でやるから――」シフォンナイフを受け取ろうと手を出した。
すると、受け取ろうと伸ばした手にアリーチェの手が乗った。
「――何してるんだ?」不機嫌な顔でアリーチェを見た。
「えっ?握って欲しいのかなーって思いまして」
「違う、シフォンナイフを返してくれって事だ」
「あっ、そっちですかー。言ってくださいよー」
手を離し、シフォンナイフを受け取ると、隙間に差し込み力を入れた。少し動かすと、ナイフの先が底にあたりカッカと音が鳴る。
「あぁー!」
突如、隣で見ていたアリーチェが、声を上げた。顔を上げると、口元を手で隠しているアリーチェと目があう。
「……なんだよ」
「なんでもないですよー」目線をさっと逸らすと窓の外を見て返事をしている。
もう一度、シフォンナイフを少し動かすとカッと音が鳴った。アリーチェの顔を見ると、口があわあわと動き何かを言いたそうに手を伸ばして、途中で止めた。
――多分、何かが違うんだ……。
握るシフォンナイフから力を抜き、手を止めた。
多分アリーチェはシフォンケーキを外した事がある。慣れた手つきで、はみ出た縁を切っていた。もしかしたら作った事もあるのかもしれない。
「……なぁ、型から……外してくれないか」
「えっ、いいんですかー?」
「自分の外し方と違うんだろ」
目をギョッと見開いたアリーチェは、こくんと頷いた。
無言でシフォンナイフを渡すと、真ん中の突起に沿わせてスッと刺し、くるりと型を回した。
「――真ん中から外すのか?」
「そうですよー。じゃないと何回も型を、クルクルしないといけないじゃないですかー」
確かに、何回も逆さを向けたりしてやりにくかった。ルセットに書いてあったのも分かりにくくて困った気がする。
真ん中を外し終わると、続けて縁の部分に差し込んだ。
――ここまでは一緒だな。
そう思っていたのも、一瞬だった。アリーチェはシフォンナイフを回さずに、台に置いた型の方を回している。
「――ちょっと待て」
型を止め、顔を上げたアリーチェが首を傾げた。
「……もう少し、ゆっくり外してくれないか。よく見たいんだ」
「わかりましたー」
そういうと、止めていた型を少しずつ回していく。ナイフはその場所から動いていない、ただ型だけを回した。
「シフォンケーキを外す時は、力を入れちゃダメなんですー。ゆっくりと型をクルクル回して、側面を滑らせると綺麗に外れますよー」
「あと、底に引っかからないようにするのも、大切ですー。当たると引っかかって底がボロボロに削れちゃうんですー」
――だからか!
やっぱり、一度目に抜いた時は引っかかっていたようだ。縁がボロボロになったシフォンケーキを思い出した。
「出来ましたー」
一周ぐるりと回して外し終わり、ナイフを型から抜いた。
「……はやいな」
「慣れてますんでー。このまま抜いちゃいますかー?」
「あぁ、そのまま抜いてくれ」
思いの外、近くにシフォンケーキを作った事のある人がいたもんだ。ここは甘えて教えて貰おう。そう思い、お願いする事にして、まな板を渡した。
突起を逆さ向けると、シフォンケーキが型から外れた。アリーチェが平行にナイフを差し込むと、スッと一周まわし入れストンとシフォンケーキが外れる。
「いいかんじですねー」
アリーチェは笑顔を向けている。
「ありがとう。……助かったよ」
「どういたしましてですー」
――いちいち、語尾を伸ばすのはなんなんだ……。
目の前には、綺麗に抜けたシフォンケーキがある。アリーチェに頼って正解だった、前回よりも見た目は完璧だ。残すは味だけ。うまくいってくれたらいいが……。一度目の味が頭をよぎり、不安な気持ちが湧いてきた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
シフォンケーキの型抜き、地味に難しいんですよね。
実は作者も初めてやった時、見事にボロボロにしました。ナイフを入れる角度や力加減で、あっさり崩れます。
今回のアリーチェのやり方も、どちらかというと“経験寄り”のやり方です。
綺麗に外すコツは、やっぱり回数をこなすことかもしれません。
新キャラ【アリーチェ】はいかがでしたか?
割と気に入るキャラに仕上がり、すごく満足しています。
このキャラ良かったよーって方は、是非評価で教えてください。
更新は現在、二日に一度のペースとなっています。
次回の更新は5月3日(日)19時30分です。
少し間は空きますが、引き続きお付き合いいただければ嬉しいです。




