第Ⅵ話 後編【夕食と卵】其のニ
お腹は膨れているが、それでも焼き上がったシフォンケーキに手を伸ばした。
焼き上げは成功している気がする。でも、卵黄の粒が生地の中に点々とある。それにメレンゲの塊なのか、所々に白い生地の部分もある。
食感は思っていたよりもフワッとしているが、その中にあるダマがやはり気になり、お世辞にも美味しくはない。
――やっぱり失敗していた。
持ってきた書き置きのメモに、追加で失敗を書き留めておく。
型を乾かし、もう一度生地を作り始めた。
一度作っているからか、作業は順調に進む。
卵黄にバニラの入った砂糖を混ぜると、すぐに泡立て器を入れて混ぜる。白っぽくなってきたら粉を入れて粉気がなくなるまで混ぜ、鍋を火にかけた。
牛乳はすぐに湧いてくる。火のそばを離れず、鍋に注意をはらい、湧いた牛乳を生地にゆっくりと合わせた。
――ここからだ。
卵白へ砂糖を少し入れ、泡立て器を刺し目一杯に動かしていく。理論書を読んで、わかった立て方を真似してみる。
下から上へ円を描くようにカシャカシャと泡立て器を動かした。下から上に卵白を持ち上げ、空気を含む立て方がいいそうだ。
卵白はすぐに白くなり、また追加で砂糖を入れた。
目を凝らしてみると空気を含んでいるのがよくわかる。キメは細かくツヤも出てきている。
残りの砂糖を加えて、また泡立て器を動かした。
小さく息を吐き、腕を押さえる。
――一度に立てるのが、こんなにもしんどいなんて……。
腕は痛いが、メレンゲを早く立てなければと思い、作業を続けた。泡立て器で持ち上げたメレンゲはスッと伸びて、ツノが立つ。泡立て器を上へと向けると、メレンゲの先が少し曲がり、本で読んだ理想的なメレンゲが出来上がった。
「よし。これならきっと上手くいく……よな」
――いや、本当にこれで合ってるのか……。
不安に抱えながら、立てたメレンゲの一部を、卵黄へと加え合わせていく。ある程度混ざると残りのメレンゲを加えて更に合わせた。
目を凝らし、生地にメレンゲの塊が残っていないか、確認する。
――大丈夫そうだ。
型に流すと、今度は型の縁、その少し下まで生地が入り慌てた。
――さっきは型の七割ぐらいだったはずだ。それなのに今度は型のギリギリ。……何が違うんだ。
量っていた材料に間違いはない、何度も確認した。なのに出来上がった生地は型から溢れそうだ。
何が違う――流れていた状態を思い出すと、夕方の生地はトロトロと流れていた。この生地は、ヘラで流さないと中々流れていかないほどフワッとしている。
――もしかして……空気が多すぎるのか?
それ以外に思いつかない、でも型から生地を出す方法もわからない。仕方なく、そのまま焼くことにして窯へと入れた。
「上手くいかないな……」
手応えはあったはずなのに、上手くいかない。それが、少し残念になりため息を吐いた。
♦︎♢♦︎♢♦︎♢
――そろそろか。
シフォンケーキを窯へ入れてから、もう少しで三十分経つ。時計を見ると二十二時を過ぎていた。離れに戻ってきたのが二十一時の少し前。一度目は二時間ぐらいかかったのが、二度目は一時間半ぐらい。今回は早く出来たが、窯に入れているシフォンケーキがずっと気になっている。
鉄製の扉は開けるまで中が見えない。何度か開けようと手を伸ばしたが、開けるのを我慢した。理論書に、途中で窯を開けると生地が落ちると書いてあったからだ。
焼き上がるまで読み返していても、難しくて理由はよくわからない。でも、途中で開けて失敗するぐらいなら、最後まで焼こうと決め時間が過ぎるのを待った。
――時間だ。
焼けているか不安を抱えながら、窯へと向かい鉄の扉に手をかけた。扉の向こうから、かすかに甘い匂いが漏れてくる。だが、それが逆に怖い。
扉を開けてシフォンケーキを取り出す、ただそれだけの事なのに。
――開けなくちゃ……。
窯に入れる前の生地を思い出し、指先に力が入らない。焼けているのか、失敗しているのか。確かめるには、扉を開けるしかない。でも、嫌な予想ばかりが、頭をよぎり扉を握る手が震えた。
扉の向こうから、焼けた卵と砂糖の香り。うまくいっている証のはずなのに、もし失敗していたら――。考えるだけで手の震えは増していく。
――また失敗したらミーナに届けるなんて……。
「それじゃダメなんだよ。商売人は探求心を忘れちゃダメなんだよ――」
ミーナと回った祝願祭の初日。ジャムの屋台で言っていた言葉がはっきりと蘇る。
――探求心。
きっと今も一緒だ。探すことと作ることは違う。でも、何かを求めるならやるしかない。
料理人も、あのすり鉢を初めて使って難しいと言いながら、それでもあの味を作ってみせた。
「俺にも出来るはずだ……」
勇気を振り絞り、震えていた指に、ぐっと力を込めた。
逃げるな……。
そう自分に言い聞かせて、扉を引いた。
ギィ……。重い鉄の扉が、ゆっくりと開いていく――。
窯を開けると、隙間から湯気がもわりと上がった。湯気が落ち着いたことを確認し、扉を完全に開いた。
窯の中は甘い香りで満ちている。真ん中に置かれた、シフォンケーキはふっくらと焼き上がっている。
思わず息を呑んだ。
――成功したのか?……でも。
型の縁へと乗るほどに膨らんだそれを見て、違和感が走る。
一度目に焼いたときよりも、さらに膨らみ型の縁へと乗り溢れた形で膨らんでいる。
型の側面を持ち、そっと窯から取り出した。手に持ってみるとよくわかる。真ん中の突起は、穴だけを残して膨れた生地に埋もれていて、突起の先が出ていない。
――やっぱり、膨らみすぎだった……。
熱さを我慢して台へと静かに置いた。冷ますには逆さに置かなければいけないが、型の突起が見えない。このまま逆さに置くと生地が台へと当たって潰れてしまう。一度目の時は、突起が出ていたからそのまま置けたが、このままでは冷ませない。
「どうやって冷ませば……」
膨れた生地を見て、何かが脳裏に引っ掛かる。
――いや、あの時も確か。
一度目の焼き上がりを思い出していた。
あの時は、持った型が熱すぎて、しばらく逆さまにしなかったはずだ。そのあともキースが来て、それで……時間が経つと萎んできていた?
逆さにするのを忘れていて、思い出した時にはシフォンケーキは萎み始めていた。
時間が少し経つだけで、窯を出した時よりも低くなるならこれも、萎むかもしれない。
そう思い、型を逆さを向けずに待っていると、すぐに少しずつに生地が萎み始めた。溢れて焼き上がったシフォンケーキは、型の縁に乗った所はそのままに、じわりとわずかに中央が沈んでいく。
目を凝らす間にも、さっきまでの膨らみが嘘みたいに、ゆっくりと高さが失われていく。
じわりじわりと沈んでいくシフォンケーキを、突起が出てきた所まで待ち、型を逆さへと向けた。
軽く息を吐き、無事に萎んできたことに安堵した。
読んでいただきありがとうございます。
今回はエルの再挑戦回でした。
一度失敗しても、原因を考えてもう一度作る――少しずつ前に進んでいく姿を書きたかった回です。
怖くても扉を開ける。
その小さな勇気が、少しずつ彼を変えていくのかもしれません。
次回も、温かく見守っていただけると嬉しいです。
次回の投稿から更新が二日置きに変わります。
仕事が中々に忙しく、頑張って執筆していたのですが、書き溜めていた分がなくなってしまいました。
頑張って毎日投稿出来るように頑張っていきますので、引き続きお付き合いください。
次回更新は4月29日(水)の予定です。




