第Ⅵ話 前編【夕食と卵】其の二
あれってなんだろうか。バニラを細かくするのに包丁で切ってみたが、思うように切れず細かな欠片になった。料理人には何か思い当たる器具でもあるのだろうか。
コホンッ
後ろで咳払いが聞こえ、振り向くとキースが厨房へと入ってきていた。
「エルネスト様、朝も早くから出ておいでで朝食を召し上がっておられませんでした。もしや昼食も食べておられないのではありませんか」
「アッ……」
――今日はまだ何も食べていなかった。
朝から食べる気分にもならず、街に出て港へと向かった。その後、買い出しをするために街中を歩き回り、食べるのをすっかり忘れていた。
食べていない事を思い出すと、急にお腹が空いてきて、お腹がなった。
「……やはりですか。――エルネスト様の健康管理も私の一つです。会話をされるのは構いませんが、せめて夕食を召し上がってからにして下さいませ」
「――わかった」
♦︎♢♦︎♢♦︎♢
キースに後を押される形で、厨房を離れた俺は自室へと向かった。料理人が申し訳なさそうな顔をしていたのが悔やまれる。キースに何か言われてはいないかと心配になった。
部屋に戻ってすぐ、扉を二回叩く音が聞こえた。返事をすると扉を開け、キースが部屋へと入ってきた。
「夕食はもう少しかかるかと思います。ですのでその間に――」
これは、また課題でも出されるのかと身構えた。
「その間、こちらでも読んでお待ち下さい」
キースが何か本を渡してきたので、受け取った。表紙には菓子の理論と書かれている。
「――これは?」
「こちらは、お菓子の理論書でございます。先ほどの話を、少々聞いておりましたので、こちらをお持ちいたしました。――お菓子の不思議に応える本のようですよ」
そう言うと、夕食が出来たら呼びに来ると言い残して部屋を出ていった。
――お菓子の理論か……。
パラパラとページをめくると、卵について書かれた箇所を見つけた。めくるのを止め、ページを目で追っていく。
卵――卵黄に砂糖を入れ置いておくと固まりになります。
「えっ……」本の最初で手が止まった。
なになに、これは、砂糖が卵黄の水分を吸い取る事でダマになって残る現象です。
「……なん……だって」
離れでの事を思い出した。さっきは確かに卵黄に砂糖を入れて少しの時間、置いていた。
――これのせいだったのか。
読み進めると対策が書かれている箇所がある。
卵黄に砂糖を混ぜる時は、すぐにかき混ぜる事が重要です。砂糖が溶ければ固まりが出来る心配はありません。
「なるほど、すぐに混ぜる事が重要なのか」
紙とペンを取り出し、椅子に座り必要そうなものを書き留めていった。
しばらく渡された本を机に置いて読んでいた。気になる箇所で止まっては書き留めるのを繰り返す。本には色々な事が書かれていて、集中して読み耽ってしまう。
ページをめくっていると、知りたかった箇所が出てきて手を止めた。
題名には〝メレンゲの作り方〟と書いてある。
――この作り方をもっと早く知りたかったな。
メレンゲの作り方は大きく分けて三通りもあるようだ。
砂糖を加えて立てていく場合でも、二種類の立て方があって、一度で加える場合と少しずつ足していく場合の二種類があるのか。
――一度で加える場合もあったのか。あのまま立てていたら出来たのかな。
一度目のメレンゲを思い出し、本を読み進めていく。
手で立てる場合は、砂糖を三回ほどに分けて入れる事で気泡を多く含んだメレンゲに仕上がり、一度で加える場合、混ぜる時間はかかるが、伸びのあるメレンゲに仕上がるようだ。そんな細かい違いがあるのかと少し驚いた。
読んでいてもいまいち違いがわからないが、一つだけわかったことがあった。
――……無理だったな。
あの時、すでに腕が悲鳴を上げていた。限界まで腕を動かしたが、まだまだ二回目の状態には程遠い。頑張ったところで厳しかったと思う。
本を読んでいると、また扉を二回叩く音が聞こえ、今度は扉の外から声がかかった。
「夕食の準備が出来たようです。ダイニングへお越しください」
「……わかった」
面白い所だったんだけどな。時計を見ると十九時を過ぎていた。一時間ほど本を読むのに集中していたようだ。
外を見るといつの間にか暗くなり、窓から見える空には星が煌めいていた。
♦︎♢♦︎♢♦︎♢
集中が切れるとお腹が空いた。
――本を読んでいるときには忘れていたのに。
ふらつきながらダイニングへ行き、自分の席へと腰掛ける。座るとすぐに隣の厨房から料理が運ばれて来た。
運んできた料理人が、料理の説明を始める。
「まずは前菜、六種の季節のサラダにスモークした白身魚を添えております」
「オリーブオイルとアップルビネガーに林檎の果汁を合わせた林檎ドレッシングをかけてお召し上がりください」
いつもなら、説明もほどほどで聞き流して食べていた。だが、作る苦労が少しだけわかった気がして、しっかりと説明を聞いた。
――林檎も色々な使い方が出来るんだな……。さっきの〝あれ〟も気になるが、今はそれよりもお腹が空いた。
フルーツとして出される林檎は、母さんが好きでよく出される。シャキシャキとした食感に、甘酸っぱい林檎が俺も好きだ。だが、サラダで食べるのは初めてで、少しためらってしまう。
フォークを手に取り、野菜と魚に刺して口へと運んだ。
口へ含んだ瞬間に覚えのある燻製の香りが鼻を抜け思わず目を見開いた。白身魚の風味を消さないように少しだけ香り、林檎のドレッシングと見事に合っている。
シャキシャキとしたレタス、辛みが無くて瑞々しい玉ねぎ。ラディッシュの少しだけ効いた辛みが口の中へと広がり、林檎の甘酸っぱい風味との相性も最高だ。
「――うん、すごくおいしいよ。このドレッシングと野菜の相性が良く合っている。これはなんでこんなにも合うんだろう?」
白身魚と林檎を結んでいるものが何かわからない。なぜここまで纏まっているのだろうか。
「――お褒めいただき、ありがとうございます」
料理人は嬉しそうに、早口になりながら説明していく。
「こちらは、林檎のチップを使い魚に香りだけを付けました。断面を見て頂けますとわかる通り、周りだけを一度湯へ落して、火を入れ旨味を閉じ込めます。そのあとしっかりと冷えた白身魚を燻して香りだけを付けたのです」
――冷えた燻製……。
どこかで聞いたことがある。それも最近…………だめだ思い出せない。
もう一方の気になった方を訪ねた。
「林檎のチップって何のことだ?」
林檎のチップ――燻製に使われる林檎の木の事だった。細かくした林檎の木の欠片をチップと言うらしい。
「――他にも、胡桃がございますが、林檎のドレッシングに合うように林檎のチップを使ったのです」
「祝願祭に出ている屋台で面白いところを見つけましてね、底の主人に聞いて試してみたのですが白身魚でもうまくいきました――」
「――その屋台ってもしかして、ローストビーフの屋台か」
「えっ……えぇ、そうですがエルネスト様もご存じで?」
――思い出した。……ケーキ屋に向かう途中で、ミーナと行った屋台だ。
どこかで聞いたことがあると思っていた、冷えた燻製はミーナが言っていたことだ。
今度は白身魚にだけ、もう一度フォークを刺して口へと運んだ。
表面の火の通った部分にだけ着いた燻製の香り。中の身は生のまま、もっちりとした身を噛むほどに、旨味が溶け出てくる。微かに香る林檎の甘い香りが鼻を抜け、白身魚の繊細な風味を楽しんだ。
「よくわかったよ、本当においしかった。また……また、面白いところを見つけたら教えてもらえるかな?」
料理人は満面の笑みで頷いた。
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今回もお読みいただきありがとうございます!
前回の後書きで「飯テロ回」と言っておきながら、今回は少し溜めの回になりました。
エルの中で色々と積み重なってきています。「なぜ失敗したのか」「どうすればよかったのか」――その答えを少しずつ拾っていくパートでした。
そして次回、いよいよ夕食本番です。
前回予告した〝飯テロ〟はここからが本番になります。
……夜中に読むと危険かもしれません。
ぜひ楽しみにしてお待ちください!
次回更新は明日19時30分です。
引き続きお付き合いいただけると嬉しいです。




