第Ⅳ話 後編【闇夜の出会いと貴腐ワイン】其の二
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「……自分で探してない」
ミーナは何も考えずに、探していた。
手掛かりは不確かな記憶だけだったはずだ。
それでも、楽しそうに探していた。
足元に日がさしてきた。水平線へと視線を広げると、海にかかった霧は晴れていた。
横に長く伸びた陽の光。あの時と同じ――。
自分の中にかかっていた靄が晴れていく。そんな気がした。
「いい顔だな」
横を見ると、男の横顔が見えた。
太陽を遮っていた木箱を回り、隣に移動した男はどこか明るい表情をしている。
「このワインな、前にいた国で作られたものなんだ」
海を見ながら、言葉を紡いでいく。
「材料は腐った葡萄――」
「腐った葡萄、そんなものでワインなんて――」
「正確には、そう見えるだけだ」
俺の言葉を遮り、男は続ける。
「畑ごとやられた年があってな。見た目は最悪だ。普通は全部捨てる」
「でも、捨てなかった奴がいた」
男は瓶を軽く揺らした。
「そしたら、こうなった」
海に向けたワインは瓶の中で揺れている。
朝日に染まり琥珀色を強めたワインがキラキラと輝いて見えた。
「……何とか出来るのかな……」
「さーな」
「ケーキ屋には断られた。他も……」
「知らねえよ」
そっけない返事だった。
「で?」
「俺は……俺に出来ることなんて……」
言葉が詰まり、うまく返せない。
「本当にそうか」
男はじっと俺を見ていた。
「残ってるもんがあるんじゃねえか?」
――何が……。
「やってみろよ、自分で」
男は笑みを浮かべた。
「いや、難しいだろ……料理なんて今までしたことないんだ」
「だから……だから、無理だ」
――今まで一度も料理をしたことがないんだ……出来るわけがない。
「そうか――じゃあ終わりだな」
男は短く口にした。
「……は?」
その言葉が閉ざされたみたいで、苦しかった。
「やらない理由は揃ってる。助けない理由もな」
「でも……したことないのに料理なんて」
自分の出した言葉が、ひどく虚しかった。
「全部出来る必要あるのか?」
「……は?」
「焼くのも、混ぜるのも、味付けも、全部一人でやる必要がどこにある」
――混ぜる――焼く――甘さ。
「……砂糖……卵……小麦……」
頭の中に、見たことのある光景が浮かぶ。
厨房でせわしなく動き回る料理人。
店の奥で動く菓子職人の手。
ミーナが笑っていた顔。
「……俺は、知らないわけじゃない」
ミーナはいつも、食べることが好きだった。でも、その中でも、甘い物を残しているのを見たことがない。
思い浮かぶミーナは、ケーキを食べると嬉しそうに煌めく笑顔を浮かべていた。
――ミーナはいつも何を食べていた。
記憶を辿り、ミーナが食べてきたもの。一緒に食べたもの、笑顔になった物を探していく。
「……柔らかい物が好き、甘すぎない物――焼き菓子はそんなに食べていない……」
「チーズは……匂いのきつい物が苦手、軽い触感……」
――俺しか知らないことがあった。
「俺は知ってる。ミーナが食べてきたものを。好きな味を」
「……でも」
言葉が続かなかった。知っている。好きな味も、食べ方も。――でも、それを作れるかは別だ。
もし、間違えてたら。もし、食べられなかったら。
もし――。
「……怖い、か?」
男の声が落ちてきた。顔を上げると、変わらない表情でこちらを見ている。
「……当たり前だろ」
絞り出した声は、自分でも驚くほど小さかった。
「じゃあ、やめとけ」
あっさりと、そう返ってきた。
「誰も困らねえ。お前も、楽なままだ」
「……っ」
その言葉に、胸の奥がざらついた。
――楽なまま……それでいいのか?
頭に浮かんだのは、笑っていたミーナじゃない。ベッドの上で、苦しそうに息をしていた姿だった。
「……違う」
出た声は小さい、でもはっきりと口にした。
「俺は――」
言葉が詰まる。でも、止めなかった。
「俺は、あいつに食べさせたい」
「――そうか」
男はそれだけ言った。褒めもしないし笑いもしない。
漁へ向け船が港から出ていく。帆をはり、進んでいく船。体格の良い船乗りたち。
朝日は少し昇り、明るさが増していた。
腰掛けていた木箱から立ち上がり、下へと降りた。
足の裏に伝わる地面の感触が、妙に現実的でさっきまでと同じ場所なのに、見える景色が違う。
下にいた男はワインに口を付け木箱に寄りかかったまま動いていない。
街へと足を動かした時だ、後ろから声がかかった。
「どこ行くつもりだ。――材料も、道具も、何もねえだろ」
「……探す」
振り返らずに答えた。背に受ける日差しが心地よくて、そっと押されてる気がしたから。
「そうか……港の奥に、朝から開いてる店がある」
ぼそりと、そんな声が聞こえた気がした。
振り返った時には、もう男は瓶を傾けワインを飲んでいるだけだった。
「……あんた」
そこから言葉は続かなかった。
歩きだして数歩で足を止めた。もう一度振り返ると、男は動いていない。ただワインを透かし中の琥珀が揺れていた。
「――あんた名前は?」
男は視線を俺に向け、口を開けた。
「……いや。ソウでいい」
――やっぱり、あんただったんだな。
「また、会えるか?」
「――さあな。会いたきゃ勝手に探せ、祭りの終わりまでは街にいる」
その言葉を背に、俺は港を後にした。
第四話後編其の二、ありがとうございました。
「腐ったように見えるものでも、捨てなかったからこそ価値になる」
そんな話を書きながら、エル自身もまた同じところに立っているのかなと思っています。
出来ない理由はいくらでもある。
でも、やらない理由にしてしまうかどうかは別の話。
次回からは、そんなエルの「初めて」が始まります。
うまくいくかは分かりませんが、少しでも何かを掴めたらいいなと思っています。
次回の更新は明日19時30分です。
よければ、もう少しだけお付き合いください。




