第Ⅳ話 前編【闇夜の出会いと貴腐ワイン】其の二
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眠れない寝台から抜け出し、街へと抜けだしてきた。
深まった夜の街には誰も歩いていない。
今日の街はやたらと霧がかかっていて、街灯が薄っすらと滲んだ光を放っている。
街灯の下だけが俺を照らし、視界の悪い街を歩いた。
広場へと抜けると、教会を見上げた。
教会の上には街に時間を知らせる鐘。
だが、見上げても何も見えない。
鐘が鳴るはずの場所は、霧にのまれていた。
ただ、街を歩いた。
誰もいない街を。
俺を知らない街を。
ミーナがいない街を……一人で。
耳に届くのは自分の足音と、小さな波の音。
考えても、何も浮かばない。
誰も、助けてはくれない。
助けてくれる奴なんて……最初からいなかった。
「立ち止まっていると、思考も一緒に止まってしまいますからね」
先生の言っていた言葉。
――先生、歩いても何も考えられませんよ。
広場を抜け、路地を理由もなく歩いた。
自分の足音が少しだけ大きく響き、他に聞こえてくるのは波の音だけ。
点々と置かれた街灯。
街灯を過ぎると、自分よりも少しだけ先を歩く影。
視線を落とすと、その先は数歩先で消えていた。
「なにも失ったことがない、そんな顔だ!」
ふいに浮かんだ、ケーキ屋の主人が放った言葉。
――家族との時間も。
――友達との時間も。
――ミーナとの時間も。
もう、今は……。
気が付けば波の音はすぐ近くに聞こえていた。
街灯の少ない港は、街よりも暗く。
海は深い霧に覆われ、水平線は見えなかった。
港に積まれた木箱へと手をかけ登る。
今は、誰も手を差し伸べてくれない。
登った先も何も変わらない。
ただ暗いだけの海。
濡れた木箱に腰掛け、見えない水平線に視線を送った。
「俺に何ができる……」
「何もできなかった……」
岸壁に押し付ける波は静かに、ただ一定に律動を刻む。
「あんたはいつまでいるつもりだい!」
港に怒号が響いた。
「なんだ……」
嫌な金擦れの音と共に勢いよく開いた扉。
開いた先から伸びた一筋の光に視線を落とすと、何かを抱えた小柄な人。
「おらぁぁぁ!」
小柄な人が掛け声とともに、抱えていたものを――――投げた。
丸まりながら転がった物が、少し離れたところにある木箱へとぶつかり、ほどける。
「いてててっ……」
荷物に見えたものは声を上げ、人だとわかった。
開いていた扉から、また一つ大きな物が放り飛ばされた。
その先には、木箱を背に痛がっている人の顔。
木箱が嫌な音を響かせ、その人は動かなくなった。
「フンッ!二度と来るんじゃないよ」
勢いよく閉まった扉。
その勢いに耐え切れず、扉は不思議な隙間を開けて静止している。
「あぁ――――――――ッ!」
「また、やっちゃったよ~あんた~ごめんよ~」
そこから先は何も聞こえてこない。
また波の音だけに戻った。
「……また、何も考えられなくなった。……なんだったんだ」
荷物が木箱から剥がれ落ち、木箱が少し揺れた。
「ひどい目にあったぜ――」
「あぁー俺の荷物!」
転がっている荷物を開けて、何かを探しているようだ。
――俺には関係ない。
「よかった、無事だ!」
「高い金払ってやっと買ったのに、割れてたら洒落にもならない」
――うるさい。
「今日の寝床どうするかな――また、アレモさんの所にでも転がり込むか?」
「いやいや――昨日の今日はさすがに。――また戻るのもなぁ」
……アレモ?確かパームスの家も――。
「……静かにしてもらえますか」
息を殺して見ないようにしていたが、黙って欲しくて声をかけた。
「――うおっ!」
「びっくりした……なんでこんな時間に子供がいるんだ?」
「――静かにしてください」
「そんなに怒るなって」
「ここは港だ。うるさいのなんて日常茶飯事だろ?」
「それに、君のものって訳でもないだろ?」
……うるさい。
「うるさいっていってるだろ!」
「帰れよ!」
視線を送ると、外套に隠れた男と目が合った。
「……今、考えてるんだ!」
「俺の前から消えてくれよ……」
視線を反らし、顔を背けた。
「ひっどい言い草だな――ハハハッ」
「いい顔してるな!それ、面白い」
男は笑い、立ち上がった。
立ち上がると男の口元から笑みが消えた。
「怒る元気はあるんだな」
静かな声が耳へ届いた。
「何を、待ってるんだ」
――待つ?誰を……。
被っていた外套を外し、街灯の下を抜ける。
――誰だ……さっきまでの人とは、なにか違う。
長く黒い髪をたくし上げ、照らされた顔つき。
それはこの街の人とも、この国の人でもない。
――夢人……。
「……夢人」
考えが、ぼそりと口から出てしまった。
話題に出ていた夢人と、同じ人かはわからない。
でも、なぜか同じ。……そんな気がした。
空が少しだけ明るくなってきている。
だが、海にかかった霧は、まだ晴れてはいない。
波の律動は変わらずに聞こえてくる。
近づいてくる男は、少し手前で足を止めた。
「その呼ばれ方は好きじゃないな――」
「そもそも、それは種族でも名前でもない総称だろ?」
「そうなってくると、俺も君をⅣの人って呼ばなくちゃいけない。だが、そんな呼ばれ方しているのは聞いたことがない」
「いや――初対面ならありえるか?そういえば違う国でも呼ばれていたような……」
小声で、初対面だの他国だのと、要領を得ない独り言を続けている。
――何を言っているんだ?
名前も知らないんだ、当たり前じゃないか。
「……何が言いたいんですか?」
ぶつぶつ言っているのを無視して、割り込んだ。
「いや、なに呼び方はどうかって話をな。お互いに名前がある以上、会話をするにあたって名乗るべきじゃないかと思うわけだ」
――どうでもいい。
長ったらしい話が妙に癪に障る。
「それには及びません。俺はあなたを知らないし、あなたも俺を知らない」
「会話も望んでいない。……だから、どこかに行ってください」
――早く会話を終わりたい。
「ブハッ!お前やっぱり面白すぎるだろ」
男がいきなり噴きだし笑い始めた。
膝を叩いて、笑っている。
「……何がおかしい」
「だってよ、今のも会話だろ?そんなに嫌なら、俺を無視してどっか行けばいいじゃないか?」
「アッハッハッハ……それともアレか?」
急に、真顔になった男の表情に、体が一瞬構えた。
語りだした男に、さっきまでの軽さは嘘のように消えた。
「気にしてほしいのか」
一瞬、言葉が詰まった。
――……違う。
「僕は落ち込んでます。だから、構ってくださいって」
――違う!
「今どん底です。助けてくださいって」
胸の奥が、ざわついた。
――違うっ!
「お前に何がわかるんだ!知りもしないくせに――」
自分でも驚くほど大きな声だった。
大きく出た声は、波にのまれ静かに海へと消える。
「――知らねーよ。知らねーから面白いんだろ?」
「……ハァッ?」
また訳の分からないことを男は口にした。
――もう話したくない。
これ以上ここにいたら、何かを吐き出してしまいそうだった。
そう思い、木箱へと手をかけ去ろうとした時だ、男の口が開いた。
「人の不幸は蜜の味」
――人の不幸が蜜の味?聞いたことがない言葉だ……。
「――そんなこと言うやつがいるが、俺はそう思ってねえ」
「人の不幸だろうが、人生の一部だろ。嫌なことも、いいことも、勝手に降ってきやがる」
「どう受け取るかなんて人の勝手だ」
――それが何だっていうんだ……。
「楽観的ならそれでいい。でも、悲観した気持ちはどこへやる……」
「全部抱え込んで、悲劇の主人公でもやってるつもりか?」
男の声は落ち着いていて、ゆっくりと耳に届いた。
荒れていた感情が、静かに凪いでいく。
そんな気がした。
かけていた木箱から手を放し、男へと視線を向けた。
男の言葉が気になり、続く言葉を待った。
「お前、取り出した刃物が自分に向いてないか?」
――俺が取り出した刃物……。
何かが心に引っ掛かった。
「取り出した刃物の鋭さを、振るった側は知りもしない」
「その刃が自分にも向いていることすら分かりはしない」
「もう一度言うぞ。お前は何を待っているんだ」
――俺が待っているもの…………わからない。
だが、ふと浮かんだ顔は笑った顔ばかりだった。
「その顔だ、それが人生の顔だ」
「それが面白い」
ずかずかと土足で踏み込んできた男は、また面白いと言った。
――理解はできないし、納得もできない。
でも、胸の奥に詰まっていたものが、少しだけほどけた気がした。
読んでいただきありがとうございます!
エルにとって、少しだけ風向きが変わる出会いになりました。
とはいえ、まだ整理はついていません。
むしろここからが本番です。
次回更新は明日19時30分です。
次回も引き続きよろしくお願いします。




