第Ⅱ話 前編【揚げパンと宴】其の二
もう三日、館から出ていない。
祝願祭に行ったのは開催日の初日だけだ。
授業の合間の休憩時間。
窓を開けると――外からは、まだ祝願祭の音がかすかに届く。笑い声や、遠くの楽団の音。でもここにいると、それが別の世界みたいに感じる。
一人残った部屋にフッとみんなの顔が浮かんだ。
「みんな何してるんだろうな」
ミーナに追い回されたあの日から、そんなに立っていないのにどこか懐かしい。
ガッチョとの言い合いも、ティアとの約束を思い出していた。
ガッチョとは口喧嘩はしても、殴り合いになるようなことは今までになかった。面倒見が良くてお節介で――優しい奴だ。
ティアが食べていた雲菓子。サクサクでふわりだったかな?どんな味なんだろう。
「……本当は俺も食べたかった」
まだ売っていたら次は買おう、時間が合うならみんなで行ってもいい。きっと今度はミーナが奢れっていうんだろうな。
「エル君、こういうのはね“次は奢る番”って決まってるんだよ?」
……とか言いながら。わからないけどそんな気がした。
アルテミアの残していった【お邪魔虫】。
あれは今もわからない。
ただ――妙に引っかかる。どうでもいい言葉のはずなのに、頭から離れない。
「マジでなんのことだよ?」
そのあと顔が赤かったミーナ。連れまわされているときは普通……あれを普通といっていいかはわからないが、笑顔で楽しそうだったな。
オススメだと連れていかれた屋台はどれもおいしかった。――歩きすぎて疲れたけど。
そのおかげで、初日は最悪だった。
お腹はいっぱいだし歩き疲れて眠たくて授業どころじゃなかった。
最悪だった――はずなのに。なぜか、思い出すと頬が緩んだ。
途中で瞼が限界を迎えそうだった。
だが、最後の面白い授業のおかげで乗り切ることができた。
♦︎♢♦︎♢♦︎♢
あの日、最後に習った歴史学の授業は【祝願祭】の歴史だ。
写したノートをパラパラめくり、先生の言葉を思い出す。
「祝願祭は神事とお祭りの二面の顔を持ちます。最近ではお祭りの要素が強く、国中から人が訪れ数万人が移動するともいわれております」
「おかげでわたくしが乗った馬車は人であふれ、立ち乗りする始末」
伸びた髭をさすっている先生が、馬車で立ち乗りしている姿を想像して笑ってしまった。
「ハハハッ。先生、本当ですか?」
「えぇ、本当ですよエルネスト君。いろんなところへ生徒を持つわたくしも初めての経験でしたね。――さて、話が少々反れてしまいましたね。授業に戻りましょう」
「では、神事について【三柱の女神】のおさらいです。お名前を言っていただけますかな?」
「はい、先生。アイティーラ様、リーディア様、メイディス様です」
三柱の女神はポルトの住民ならみんな知っている。簡単な問題だ。
「正解です。三柱の女神は姉妹でおいでです。長女【慈愛と祝福の女神アイティーラ様】次女【英知と音楽の女神リーディア様】三女【技能と研究の女神メイディス様】」
「三柱の女神はそれぞれに司る季節がございます。」
「春、夏、秋を司り、季節ごとに神事を行うことで、アルディアから振り下ろされる厳しい冬。寒さに負けぬよう民をお守りいただいているのです」
「そして、お守りいただいた感謝を胸に祈りを捧げ。宴――祝願祭を開くことで、また幸ある季節の恩恵が得られるのです」
「では、エルネスト君は三柱の女神どの柱に祈りを捧げますか?」
「どの柱?」
今までも祈りを捧げに教会へと幾度となく行っていたが、三柱の女神すべてに祈りを捧げていた。特定の女神に祈るのは領主の息子として、民を守る家の務めとして反すると考えていたからだ。
「……全員に祈っています」
急な問いに考えたが思い浮かばず、正直に答えた。
先生は一瞬だけ目を細めた。
「……なるほど」
「それも悪くありません――ですが、ご自身の〝推し〟の女神に祈るのもよいことですよ」
いま、推しって言ったか?女神様を推す?
誰か一人を選ぶ。その言葉が、妙に引っかかった。
三柱はすべてこの町を守っている存在だ。その中で、一柱だけを選ぶなんて――。
「……そんなものなのか?」
小さく呟いた言葉は、自分でもよくわからなかった。
「かく言うわたくしは三女で在らせられる、メイディス様を推してございます。技能と研究の女神――教師として生徒と向き合うために常に向上し続けなければいけません」
「推しの言葉が納得いっておられないご様子ですね」
顔に出ていたようだ。女神で〝推し〟など教えてもらったことがなかった。
「では、推しについての詳しくお話いたしましょう」
「いや、いいです」思わず口に出ていた。
「そうですか……残念です。この話でしたら一晩は語れるのですが――」
教室に小さく笑いが漏れた。
♦︎♢♦︎♢♦︎♢
そろそろ次の先生が来る時間だ。広げていたノートを閉じた。
「それにしても〝推し〟か――考えたこともなかった」
みんなはどうなんだろう。意外と推してたりするのかな?
考えていると扉を二回たたく音が聞こえた。
扉を開け入ってきたのはキース一人。
「エルネスト様。次の先生ですがまだ到着されておりません。王都からのお越しですから少々お時間がかかっておるのやもしれません」
「来られるまでは自習をしてお待ちください」
そう言って、扉へと向かう。
だが、手をかけたところで一瞬だけ動きが止まった。
「……窓は、開けたままで構いません」
それだけ言って、今度こそ部屋を出ていった。
「自習か――」
父の出していた課題はほとんど終わっている。
家から出れていないのだ、することは限られていた。
『誰が誰を推しているのか考えるのもたのしそうだな』
そう考えると楽しくなっってノートを広げた。
ガッチョやアルテミア、ティアはメイディス様だろうな。
ペイトはリーディア様しか考えられない。
パームスとガージは……多分アイティーラ様だな。農業に酪農だ祝福はいくらあってもいいはずだ。
ミーナは……食の女神なんていないよな?
一番近いのは……メイディス様かな。
「ティアが技能と研究なんだし、料理も立派な技能だ」
『ミーナも……あれっ?あいつ料理できたっけ』
そこまで考えて――ふと、思い出す。
あいつは、そんな理由で選ぶだろうか。
もっと単純に「美味しいから」とか、「楽しいから」とか。
あいつなら、きっと――。
「エル君、それじゃダメなんだよ」
不意に、あの時の声が頭をよぎった。
何がダメなのかは、まだわからない。
でも、あいつなら迷わず選ぶんだろうな。
「今度会ったら聞いてみよう」
あいつがなんていうか、……あいつなら答えを知っていそうだから。
広げたノートに筆が走る。みんなの推しを考えると少しだけ近くにいる気がした。
さて、俺は――そこで筆が止まった。
俺の推しって誰だろう。そもそも推しってなんだ。
先生の言っていた言葉を思い出した。
『推しもよいものですよ』
先生に……やっぱり、少しは聞いておけばよかったかもしれない。
また、扉を二回たたく音がした。
「エルネスト様、先生が到着なさいました。すぐに来られますのでご準備しておまちください」
メモ書きしたノートを閉じ立ち上がる。
開いていた窓を閉めようと手を伸ばした。
――遠くから、また楽団の音がかすかに聞こえたが、窓を静かに閉じた。
今回の話は、少し静かな回になりました。
祝願祭でにぎわう街の外側で、館の中にいるエルの時間。
同じ時間でも、場所が違うだけでこんなにも違って見えるんだなと書きながら感じていました。
そして今回出てきた「推し」という言葉。
エルにとってはまだよくわからない感覚ですが、これから少しずつ意味を持ってくる要素でもあります。
誰か一人を選ぶこと。
それができないエルと、迷わず選びそうなミーナ。
この対比も今後描いていけたらと思っています。
それと、少しずつ違和感も混ぜています。
ミーナの様子や、引っかかる言葉。気づいた方もいるかもしれません。
次回はまた動きのある展開に戻ります。
更新は明日19時30分です。
引き続き楽しんでいただけたら嬉しいです。
もし「続きが気になる」と思っていただけたら、ブックマークや評価などで応援していただけると励みになります。
これからもよろしくお願いします。




