第Ⅱ話 前編【揚げパンと宴】其の一
広場を離れ西へと歩くと、さっきまでの騒がしさが嘘みたいに遠のいていった。
街の西側は薬市と骨董市が並ぶ、かなり特殊な区画で来る人も少ない。
薬市には不気味なものが多い。
壺は言った深い緑色の粉や、乾燥させた葉。
木の根にしか見えないものや黒いゴツゴツした小さな実。
小瓶に入った血よりも赤く細い花びらや、乾燥した髪の毛みたいなものまで並んでいる。
『……正直、何に使うかはよくわからないな』
骨董市はもっとよくわからないものばかりだ。
変な形の壺に、落書きにしか見えない絵画。
何が書かれているのかわからない異国の文字。
『三年ぐらい前に父さんは――』
冬のリヴォーラ山脈が描かれた絵を買ってきた。
雪に覆われた峻険な頂の白。そこから下り、裾に広がるのは深い森。
山の小川が裾へと伸び大きな川になり海へと続いていく、流れる青。
東の海に浮かぶ朝焼けが、街に影を作り川へと映りこむ風景画。
あれは母さんも気に入り、王都の別邸に飾っているそうだ。
リヴォーラ山脈――リヴォーラ山はポルトの北部全域を西から東へ伸びる高い山々だ。
町の最も西にある館からは、遮るものもなくよく見える。
だが、風景画に描かれた山は、俺が見慣れたリヴォーラとは少し違う。
俺が見慣れている山はもっと遠くにある気がする。
父さんはこの市が好きで、祝願祭を一緒に回っていたころ、この市にいる時間が一番長かった。
『今年は……』
そこまで考えて、やめた。
市を抜けると静けさが増し人の姿がなくなった。
ここには各種ギルドの建物が並でいる。だが、入り口には鎖が引かれ【Close】の札がぶら下がり、昨日までの喧騒が噓みたいに消えている。
「今日は静かだな……」
♦︎♢♦︎♢♦︎♢
教会から西に向かって伸びる通りは、最西端に建つ館でその道を終える。
その館が領主エヴァルト=フォン=カリス、俺の住む家だ。
誰も歩いていない西区を抜け、館へと戻った。
「おかえりなさいませ!」
門衛によって開けられた門を抜け、館へと向かう。
庭園に出ていたメイドや庭師たちからも、挨拶をされ手を上げ返す。
庭園には季節折々の花が咲いている。
館までの道のりに植えられた樹木は丸く刈り込まれ、オブジェのような綺麗な球体が等間隔で並んでいる。
庭園の一角に、より華やいで見えるのは、母さんが好きな小さな東屋だ。
小さいころに走り回っていた庭園も、今は少し小さく感じる。
あの頃は、どこまで走っても終わらなかった気がするのに、今は――すぐに館が見える。
駆けまわっていた俺に、母さんがあそこで手を振っていたのを思い出し、少し立ち止まった。
風が抜けると、花の香りが舞った。
ここには肉も潮の匂いも混ざっていない、華やかで……でも、無機質だ。
さっきまでの、焼けた肉の匂いも、甘い菓子の香りもない。ただ整えられた匂いだけが、ここにはある。
奥歯に力が入り、ハッとした。気づかないうちに、さっきの匂いを探していた。
心配そうに視線を向けるメイドに一瞥しエントランスへと向かう。
館へと戻ってきた俺を待っていた人物が一人。
逃げ場を塞ぐように、扉の前に立っている。
黒色の燕尾服に白い手袋、ダークグレーの髪、長身で細身の男。
「お帰りなさいませ、エルネスト様」
右手を胸に当て、一礼した彼の名【キース・シュバリエ】。
歳は若いが、カリス家の家人を取り仕切る筆頭執事だ。
「ただいま、キース」
他の家人同様に軽く返した。
「本日のご予定ですが。十三時より社会学、十五時から経済学、十七時から歴史学となっております。もう少しされますと先生も来られると思いますので準備の程お願いいたします」
「明日は朝から王都の学者様が来られます。その他にエヴァルト様からの課題が多く出ております、明日からしばらく外出はお控えください」
いつも通りだ。胸が占められて息苦しくなる。
「わかった。……父さんは帰ってきたのか?」
「いえ。先ほど早馬が届き、予定が伸びたので帰るのが十日ほど遅れると――」
「もういい。……わかった」
話も程ほどに自室へと向かい、カギを落とした。
『キースの声も、仕草も――どうにも慣れない……』
一言も無駄のない声だった。まるで感情を持たないみたいに。
「――この家は、静かすぎる」
さっきまで耳に残っていた笑い声も、もう思い出せない。
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ここまでお読みいただきありがとうございます。
今回は、祝願祭の賑わいの裏側にある「静かな場所」と、エルの家での時間を書いてみました。
外の自由さと、家の息苦しさ。
この差が、これからの行動にも少しずつ影響していきます。
次回はまた祭りの空気に戻っていきます。
次回更新は明日19時30です。
引き続きよろしくお願いします。




