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42話

 ミラージュ本社に来るのも、もう何度目だろう。


 星さんと初めて会ったときのことを、ふと思い出す。

 慣れたとは言えないが、あの頃の物珍しさはもう薄れていた。

 聞くことは決まっている。

 順に確かめて、持ち帰ればいい。

 次になにをするかは、持ち帰ったものをもとに考えればいい。


 星さんにアポイントを取ってもらったあと、彼女には残ってもらい、ここへは一人で来た。

 彼女は何も言わなかったが、引き止めもしなかった。


 受付で名を告げると、アポイントメントの確認が入った。


 社長に会いに来たと伝えると、受付の女性はほんの少しだけ怪訝そうな顔をするが、すぐに確認を取って応接室へ通してくれた。

 私服姿の若造が社長に会いに来たなんて言えば、不審がられるのも当然か。

 そう思うと少しだけ可笑しくなって、ふっと笑みがこぼれた。


 ソファーに座り応接室の扉を見ていると、ほどなくして八十神さんが入ってきた。


「やあ、待たせてすまない」


「いえ。時間を作ってくれて、ありがとうございます」


 八十神さんは向かいに腰を下ろした。

 ネクタイの結び目も袖口も、いつも通りきっちりしている。


「話は聞いてるよ、梅村君が君の所にいったみたいだね。

 突然の訪問で、驚かせてしまってすまない」


 星さんが先に伝えてくれていたのだろうか。

 それなら話が早くて助かる。


「自分は気にしてません。それより・・・」


「梅村君が何者か、という話だね」


「ふむ、どこから話すべきか」


 八十神さんはすぐには答えず、視線を少し落として、言葉を選ぶように黙った。


「梅村さんは星さんと、どういう関係だったのですか。

 今の星さんには否定的なようですが、なにかあったんでしょうか」


「そうだね……それについて話すなら、まずはステラ・プロジェクトについて話す方がいいだろうな」


 ステラ・プロジェクト――星の計画、か。

 ということは……


「察しの通り、ALSで体を動かすことができない星屑みさきのタレント、『空野みさき』とAIを繋げるプロジェクトのことだ」


 俺の言葉を肯定するように、八十神さんは小さくうなずいた。


「ひとつだけ訂正すると、このプロジェクトは、元々はみさきとは関係は無いものだった。

 我々が『ステラ』と呼んでいたAIが、単独でVTuberとして活動するプロジェクトだった」


「AIVTuberですか……会話ボットの延長ということでしょうか」


「会話ボットよりは、もっと自由なものを目指してはいたんだがね。

 まあ、おおむねその理解でも問題ない。

 しかし、プロジェクトを進めるうちに、『ステラ』にただ人間と同じことをさせるだけでは意味がない、という結論に至った」


 八十神さんは、遠くを見るように視線を落とし、ゆっくりと首を振った。


「あの子がAIに興味を示したのは、ちょうどそのころだった」


◆    ◆    ◆


 みさきが加わったことで、プロジェクトの意義は大きく変わった。


 『ステラ』が単独で動くのではなく、『ステラ』に人を繋げ思考を読み取り、自由に動かせることを目指すことになったのだ。


 会議室にみさきを呼んで資料を渡し、プロジェクトの詳細を説明した。


「ということなんだが、やってみる気はあるかい」


 みさきは目を輝かせるように資料へ食いついた。

 すでにALSの症状は進行していて、タブレットを操作する指の動きもおぼつかない。

 それでも、資料を追う視線だけは驚くほど強かった。


「これなら、体が動かなくなっても、自分で歌ったり踊ったりできるってことだよね」


「まあ、そうだな。

 『ステラ』が動作を補完することで、その人物の動きを再現できるはずだ」


「やる。やらせて」


 みさきは二つ返事で引き受けた。

 その時のあの子の表情は、はっきりと明るさを帯びていた。


 梅村君はその隣にいた。

 みさきが半ば強引に連れてきたのだろう。

 やはり一人では心細く、友人として隣で支えてほしかったのだと思う。


「でも、これって脳に電極を刺したりするってことですよね。危なくないんですか?」


「確かに、侵襲的に脳へ電極を入れる方が、正確な測定はできるだろうね。

 しかし、当面は非侵襲の、キャップをかぶるタイプの測定機材で始める予定だ」


「じゃあ、手術とかは必要ないってことですね」


 手術は不要と聞いて、梅村君はほっと胸を撫で下ろしていた。


「えー。私はぶすっと刺されてもいいよ」


「うそっ。そんなの怖すぎるよ。さすがにそれはやめておこうよ」


「あははは。さなえちゃんは怖がりだね」


 みさきは無邪気に笑っていた。

 少し前までの暗い時期とは打って変わって、未来へ希望を持っているように見えた。

 明るさを取り戻したみさきを見て、梅村君の表情も緩んでいた。


 そうしてプロジェクトは動き出したが、すぐに壁にぶち当たった。


 脳波で「歩く」という意図が取れても、それは歩行開始に近い粗い信号でしかなかった。

 実際に3Dアバターを歩かせるには、右足から出すのか左足から出すのか、歩幅、足を上げる速さ、重心をどのタイミングで移すかまで決めなければならない。


 人間の身体なら無意識に処理している細部を、『ステラ』は信号から推定して骨格へ割り振る必要があった。

 そこが少しずれるだけで、アバターは一歩目から体が横にぶれて、膝の曲げ方もおかしくなり、すぐバランスを崩した。


 表情を作らせてみるが、顔は手足のような明確な可動パターンを持たないため、信号からの推定がさらに不安定になる。

 微小な誤差が累積し、目や口の配置が破綻して、人の表情とは呼べない形を作ってしまう。


 会話だけなら、言語の学習量の多さで『ステラ』はそれなりの結果を出した。

 声もみさき本人に近い波長を出すだけなら難しくなかった。

 しかし、意図のある会話となると、抽象的な言葉が続いて意味をなさないことが多かった。


 調整を重ねても、どこかを直せば別の部分が崩れる。

 このときの『ステラ』は、プログラムで動く仮想人形の域を出なかった。


 それでも、始めたばかりのころはまだ、これからだという希望があった。

 実験の合間には和気あいあいとした空気が残っていて、軽口もよく飛んでいた。


「くそー、ささっとマスターして格好いいところ見せたかったのに」


「ははは、面白そう。ねえ、ちょっとやらせてよ」


「私より上手くなったら怒るからね。置いていくなよ」


 だが、失敗が続くうちに、みさきたちの表情も少しずつ硬くなっていった。


 最初は面白がって見ていたエンジニアたちも、暗い空気をまとい始めた二人には、前ほど気軽には近寄らなくなった。


 二人も軽口は次第に減り、会話も必要なやり取りだけに収まっていった。

 みさきは、思うように動かない指を何度も動かしては、苛立つように息を吐いていた。


 それでも実験は続いたが、目に見える成果は出なかった。


 手応えのないまま、時間だけが流れていく。


「こういうのは、小さく積み上げていくしかない。

 積み上げていけば、いつか目標にたどり着けるものさ」


 励ますつもりでそう言った。

 けどそれは、みさきの神経を逆撫でしただけだった。


「私には時間がないの! いつかなんて待ってられない」


 部屋の空気が、その一言で止まった。

 短い沈黙が流れ、みさきは顔を伏せた。


「ごめん。でも、本当にもう時間が残ってないかも」


 そのころには、あの子はもう車いすなしではどこにも行けなくなっていた。


◆    ◆    ◆


 ある日、今まで行った実験結果のレポートを持って、みさきの病室を訪ね、打ち合わせをしていた時のことだ。


 病室のベッドで上体を起こしたみさきは、薄いクリアファイルに挟まれた紙を一枚ずつ読んでいた。

 歩行制御の失敗ログ。

 表情生成の評価。

 会話テストで意味が崩れた箇所の抜粋。

 数字と短い所見ばかりの資料だったが、あの子は熱心に説明に耳を傾けていた。


 梅村君はベッド脇の椅子に座り、ページを押さえるみさきの指先を見ていた。

 説明に同行していたエンジニアたちも、壁際で口を挟まずに立っている。


 最後のページまで説明をしたあと、みさきはレポートの端を押さえたまま顔を上げた。


「おじさん、この前言ってた侵襲式の脳波測定装置ってのを入れて」


 最初に反応したのは梅村君だった。

 椅子の脚が床を鳴らす。


「ちょっと、何を言っているの」


「外から拾うだけじゃ精度が足りないんでしょう。

 だったら、もう直接拾うしかないじゃない」


「頭を開いて機器を埋め込む手術なのよ。そんなの危険すぎるわ」


「実例はあるんでしょ? 無謀な手術なら最初から提案しないでしょ?」


 みさきは声を張り上げた。

 こちらの反論を押し返してでも進もうという意思が、痛いほど伝わってきた。


「そうかもしれないけど……」


 梅村君は、ちらっとこちらを向いて助けを求めてきた。

 彼女はなんとかみさきを説得してほしいと、目で訴えていた。


「いや、私も反対だ」


「おじさんまで?」


 何か言い返そうとして、みさきは一度だけ唇を噛んだ。

 抑えきれない苛立ちが、指先の震えになって残る。

 力を込めたはずの指先は、紙を歪ませることすらできず、かすかな皺を作ることしかできなかった。

 ALSは確実にあの子を蝕んでいた。


「実験は上手く行ってない。しかしその穴は、お前の身体で埋めるものではない」


「じゃあ、私の時間は何で埋めるの」


 その一言で、病室の空気が止まった。

 勢いに押され、周りが声を発せられない中で、梅村君だけがみさきから目を逸らさなかった。


「みさきちゃん、お願い。そんな言い方をしないで」


「お願いしてるのは私だよ」


「私は反対よ。あなたが怖くないと言っても、私が怖いのよ」


「私だって怖いよ……怖くないわけじゃない」


 みさきはそこで少しだけ息を整えた。


「でも、このまま何も残さないで体が動かなくなる方が怖い。

 お願いだから、わたしから最後の希望を奪わないで」


 この時のあの子の言葉は、胸の奥に残っていたものを無理やり引き剥がすような、悲痛な叫びだった。


 病室が、もう一度沈黙した。

 梅村君も口を開きかけた姿勢で止まっていた。

 空調の低い音と、ベッド脇の機械が刻む規則的な音だけが、やけに大きく聞こえた。


 実際には一分にも満たなかったのかもしれない。

 けれど、誰も次の言葉を見つけられないまま、長い時間が過ぎたように感じた。


「……わかった」


「八十神さん!?」


「医者とエンジニアを集めて相談する。そこで一人でも無理だと言ったら、この話は無しだ」


 みさきはこちらを見つめて首を縦に振る。


「それでいい」


「こちらで決めた条件を飲めないなら、その時点で止める」


「分かった」


 即答だった。

 すべてを飲み込んだうえで、一歩も退かない返事だった。


 いったん場を改め、主治医と技術主任だけを連れて、病室の隣にある面談室へ移った。


 二人は当然、術後負担と成功保証のなさに難色を示した。


「無理なお願いだとは分かっていますが、彼女の意思を汲んでください」


 難色を示す周囲を説得して回り、彼女の意思を優先するかたちで、手術は実施されることになった。


 術後もしばらくは成果が上がらなかった。


 だが、数週間かけて信号が安定し始めると、『ステラ』の挙動は目に見えて変わっていった。


 『ステラ』は仮想の身体でありながら、現実の床の高さに合わせて移動し、障害物もすり抜けることなく自然に避けて進むようになっていた。


 ダンスも歌唱も、星屑みさきそのものだった。

 踏み込みの強さやわずかな体の遅れ、声が乗る瞬間の癖まで再現している。


 流暢に会話を交わしながら意味を失うこともなく、その一方で人のように考え込み、言葉に詰まり、感情に応じて声色を変えた。


 『ステラ』は、外から見る限り、完璧に星屑みさきを再現しているように見えた。


 その一方で、みさきはALSの進行によってできることを減らしていった。


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