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38話

 9月に入っても、暑いものは暑かった。


 昼過ぎの研究室は冷房こそ効いているが、廊下を歩いてきた熱気がまだ肌に貼りついている。

 窓の外では蝉が往生際悪く鳴いていて、夏が終わる気配だけを先に口にするのが馬鹿らしくなる暑さだった。


 そんな中で、西田と森下だけは珍しくだらけていなかった。


 二人とも机に肘をつき、ひどく真面目な顔でスマホの画面を見ている。


「……なんだ、その葬式みたいな顔」


 声をかけると、西田がゆっくり顔を上げた。


「藤宮さん、ちょっといいですか」


「どうした?」


「……いや、やっぱりなんでもないです」


 言ったそばから、西田は気まずそうに視線を逸らした。

 深刻そうな顔だけがそのまま残っていて、余計に気になる。

 すると今度は森下が少しだけこちらへ身を乗り出した。


「あの、ちょっと……いや、やっぱりなんでもないです」


「なんなんだよ」


 森下もそれ以上は言わず、西田の方へ顔を寄せた。

 二人はすぐにまた小声で何か話し始める。


 聞こえてくるのは「いやでも」「それはきついだろ」みたいな途切れた単語だけで、余計に落ち着かない。

 あいつら、何かあったのか。


 見ているこっちの方が気持ち悪くなって、俺は椅子を引いて二人の机へ寄った。


「おまえら、何か聞きたいことでもあるのか?」


 西田と森下は顔を見合わせ、それから観念したみたいに息を吐いた。


「言いたいことがあるなら聞くけど、卒業の単位足りないとかは無理だぞ。

 そういうのは准教授に相談しろよ」


「違いますよ」


 西田は即座に否定し、それから一拍置いて、さらに面倒な話を切り出した。


「そのスマートグラスを譲ってください」


「はっ? ダメに決まってるだろ。会社からの試供品なんだぞ」


 反射で返すと、西田は露骨に肩を落とした。

 隣の森下もつられたみたいに沈む。


「いや、まあ、そうですよね……」


「わかってはいたけど、でも……」


 二人ともあまりに分かりやすく落ち込むので、こっちの方が気持ち悪くなる。


「なんでそんなにこれが欲しいんだ?」


 西田はこちらに向き直り、観念したみたいに息を吐いた。


「実は、かなさんと付き合おうか悩んでるんです」


「かな? それって誰だっけ?」


 どこかで聞いたことのある名前だが、いくら首を傾げても、どうしてもそこまで辿り着けない。


「この前の合コンで会ったじゃないですか」


「合コン?」


 姫島が友人を二人連れてきて、西田と森下が店に入った瞬間から死んだ目になっていた、あの地獄みたいな合コンか。


 西田の相手は、華奢なくせにやたらに力が強くて、距離感が近かったゴリラ女だった。


「……は? あのゴリラと付き合うの?」


「うっ、やっぱり普通はそういう反応になりますよね」


「おまえも死ぬほど嫌がってただろ。

 何で付き合うなんて話になってるんだ? 意味が分からないぞ」


「いや、ゴリ……かなさん、温和で繊細なんですよ。

 すごく包容力あるし、ああ見えて空気読むし、距離近いのも慣れると変に気を遣わなくて楽で」


 途中から急に早口になった。

 軽く言っている感じがしないせいで、逆に衝撃だった。

 西田はあの夜で心が折れたどころか、しっかり落とされていたのか。


「……それがスマートグラスを欲しいってのと、何が関係あるんだ」


 そう聞くと、西田は一瞬言い淀み、観念したように口を開いた。


「かなさんは素敵な女性なんですが、致命的に不細工なんです」


 一瞬、意味が飲み込めなかった。

 つまり、内面はいいが外見で受け付けられない、ということか。

 ひどい話だが、こういうのはよくある話だ。


「合コンのときみたいに、外見だけ可愛いVTuberの姿に見えれば、もう言うことないんです」


 要するに、現実の顔は受け付けないが、見え方だけ誤魔化せれば本気で付き合えるということらしい。


 最低の理屈だった。


「自分も、まあ、似たような感じです」


 今まで黙っていた森下が、西田に続くように口を開いた。


「ゆきさんは胸も大きいし、体の相性は良かったんです。でも、顔が受け付けないんです」


 おまえら、いつの間にそんな関係になってたんだ。

 酔った勢いだったとはいえ、やることやっておいてその言いぐさとは。


「お前、言ってること西田よりひどいぞ」


 最低の会話だった。


「ひどいのは分かってるんですけど」


「でも、現実問題としてそこが一番きついんです」


 二人とも神妙な顔だけはしているのが余計にたちが悪い。


 こいつらの言ってることについてはただ呆れるばかりだが、外見の問題さえ越えられれば、こいつらがもっと素直に幸せになれるのもまた事実だった。


 顔の良し悪しとか、身体の特徴が判断材料として重いことくらい分かっている。

 現実では、そこを無視して生きられるほど話は簡単じゃない。


 それでも、そういうものが人間全部を決めるわけじゃないと、俺はどうしても思いたかった。


 バーチャルの肉体が当たり前に代わりを務められるなら、顔の美醜や身体の欠損みたいなものが占める重さは、今よりずっと小さくなっていいはずだ。


 人間全体の価値を考えたとき、肉体なんてものは本当は一部分でしかない。

 星さんのことを思ったとき、そうあって欲しいし、そうでなければ彼女が救われなさすぎる。


「譲れるわけないだろ」


 少し間を置いて、そう言った。


「今使ってるのは開発中のもので、売ってるわけじゃないんだぞ。

 勝手に人へ回せるわけないだろ」


「そこをなんとか」


「ならない」


 西田と森下は露骨に肩を落とした。


「でも、開発中ってことは、完成すればいずれ世に売り出されるだろう」


 二人の沈んだ顔を見て、少しだけ言葉を足した。


「ちゃんと製品になって出回れば、お前らだって手に入れられるはずだろ。

 それまで待て。

 俺も試供品のレポートに、"期待されてます"って書くくらいならしてやるよ」


 西田と森下は、さっきまでよりわずかに生き返った顔をした。


◆    ◆    ◆


 その日の研究室は、姫島が入ってきたところでもう一段階騒がしくなった。


 姫島は部屋へ入ってくるなり、スマホを片手に俺たちの机の前まで寄ってきた。


「今度の土曜、花火大会あるの知ってますか?」


「花火大会?」


「はい。

 隣町の河川敷でやってる花火大会で、毎年数万人が集まるんです。

 花火も豪華で、見ごたえがあるみたいです」


 スマホの画面には、花火大会を宣伝する派手なポスターが映っていた。


 打ち上げ数も、それなりに多いらしい。

 屋台の出店エリアも広く、駅から会場までの導線も込みで、いかにも大きい祭りのようだ。


「へえ。名前は知ってたけど、結構大きな祭りだったんだな」


 俺がそう返すと、姫島は画面を引っ込めないまま、いちばん肝心なところだけをさらっと付け足した。


「かなちゃんとゆきちゃんも行くそうです。

 それで、西田と森下も誘ってほしいって頼まれました」


 その一言で、西田と森下の空気が変わる。


 さっきまで気の抜けた顔をしていた二人が、反射的に顔を上げた。

 ただ、すぐに飛びつくほど単純でもないらしい。

 西田は一度だけ眉を寄せ、森下も腕を組んだまま黙り込む。


 行きたいのは間違いない。

 だが、かなとゆきの二人を、そのままの見た目で正面から受け止める覚悟までは、まだ出来てないようだ。

 その逡巡が、ほんの数秒だけ研究室の空気を止めた。


 そこで姫島は、ダメ押しとばかりに俺のほうを見る。


「合コンのときみたいに、先輩がまたスマートグラスを貸してくれますよね」


 もちろん、あの機材の本当の出どころは俺じゃない。

 どう考えても星さん側だ。

 分かったうえで提供元をぼかし、俺の名前を前に出しているのは、この話から逃げられないようにするためだろう。


 案の定、その一言で二人の迷いは一気に片付いた。


「……行きます」


「俺も行きます」


 西田と森下は低く言い、参加を表明する。


 姫島は小さく微笑んで、スマホの画面を軽く叩いた。


「じゃあ、これでトリプルデート成立ですね」


「待て。なんで俺まで確定してるんだ」


 思わず口を挟むと、姫島は不思議そうに目を瞬かせた。


「先輩が来ないと、スマートグラス使えないじゃないですか。

 かなちゃんたちのためにも、先輩の参加は絶対です」


 言っていることは分かるが、明らかに俺を巻き込むための理屈だ。

 かなとゆきの名前を出されて、ようやく行くと決めた二人の前で今さら梯子を外すのも後味が悪い。

 姫島もそこまで見越して、俺を最後に据えたのだろう。


「「お願いします!」」


 二人がそろって頭を下げる。


 またこれか。

 何度も同じエサで釣られる西田達がバカなのか、姫島が一枚上の策士なのか、すでに俺に逃げ場はなかった。


「わかったわかった。行く、行くけど、これが最後だからな」


 俺がそう言った瞬間、西田と森下の顔に分かりやすく光が戻った。


 姫島はその反応を見てから、満足したようにスマホへ視線を落とす。


「じゃぁ、かなちゃんたちにも伝えておきますね。当日が楽しみです」


 こうして、俺に拒否する余地が生まれないまま、休日の予定だけがきれいに確定した。


◆    ◆    ◆


 研究室を出て駅まで歩くあいだも、星さんはやけに機嫌がよかった。


「ねえ、花火大会、ちゃんと楽しみにしてる? わたしはもう楽しみで仕方ないよ」


 横断歩道の手前で、星さんは前置きもなくそう言った。


 軽い声なのに、返事の逃げ道はあまり用意されていない。

 浴衣を着て、屋台を回って、花火を見る。

 その一つ一つを、もう今から本気で楽しみにしているのが顔に出ていた。


「俺は勝手に予定を決められた側なんですが」


「さっき観念したじゃん。行くって決まったんだからウジウジしない」


「行くって言わないと、場が収まらなかっただけですよ」


「でも、今更行かないなんて言えないでしょ?」


 星さんはそう言って笑うと、少しだけ先を歩くような位置へ出た。


 当然だが、実際には誰もいない。

 ただグラス越しには、本当に連れ立って帰っているみたいに見える。


「せっかくだから浴衣で行こうかな。藤宮君もそっちの方がいいでしょ?」


「……似合うとは思いますけど」


「ふふ。じゃあ決まり。待ち合わせしたら、最初に感想言ってね」


 さらっと言うが、ほとんどデートの約束みたいな口ぶりだった。


 しかも頭に浮かんだのは、グラスの中の、触れることが出来ない彼女だけじゃない。


 もし合コンのときみたいな見え方がまた起きたら、そこにいる姫島が、星さんの姿に見えることになる。


 待ち合わせ場所で俺を見て笑うのは姫島のはずなのに、目には星さんが立っているように映ってしまう。

 そこで袖が触れたり、肩がぶつかったりしたら、触れられないはずの推しに触れた気分になるかもしれない。


 そんな期待が一瞬でも先に立つのが嫌だった。

 星さんの輪郭へ姫島の体温が混ざるたび、推しの存在が少しずつ別の誰かへ置き換わっていきそうで、落ち着かない。


 それでも、その想像を完全に振り払えないあたりがいちばん質が悪い。


「屋台もちゃんと回るよ。ベビーカステラ食べて、りんご飴見て、最後に花火」


「順番まで決まってるんですか」


「決まってる。君と行くなら、そのくらい考えるでしょ」


 君と行くなら。


 何でもないみたいに言ったその一言が、頭の片隅からはがれなかった。


◆    ◆    ◆


 花火大会の朝、目が覚めた瞬間に、何かが足りないと分かった。


 耳元でうるさく喋る声がない。

 起きるのが遅いだの、今日は浴衣なんだから寝坊しないでよだの、そういう面倒な一言が何も飛んでこない。


 天井を見たまま、数秒だけぼんやりする。

 それから枕元のスマートグラスを掴んで掛けるが、そこにいるはずの彼女だけがいない。


「……星さん?」


 呼んでも返事はない。


 グラスを外して掛け直し、接続もやり直す。

 それでも、レンズの向こうは静かなままだった。


 機器の調子が悪いのかと思い、今度はスマホを立ち上げてアプリを開く。


 すると、そこには星さんがいた。

 いつもの姿のまま、画面の中にちゃんと映っている。


「どうしたんですか? スマートグラスの方に姿が映ってないですよ」


「……」


 返事はない。

 画面の中の彼女はそこにいるのに、口も開かなければ、こちらへ反応を返してもこない。


「聞こえてますか?」


 最初は呆れが先に立った。

 こういう無言の悪戯は、彼女ならやりかねない。


「またいたずらですか」


 だが、何度呼んでも同じだった。


 画面の中には姿だけがあって、こちらの声だけが空振りする。

 さすがに気味が悪い。


 完全に消えたわけではないぶん、なおさら判断に困った。

 八十神さんへ連絡するには大げさな気もするし、単なる機器の不調だと言い切るにも引っかかる。


 いったんスマホを机へ置き、朝食をかき込む。

 何度か画面を確かめたが、特に変わりはない。


「なんで返事してくれないんですか。何か言ってくださいよ」


 何度見ても変わらない画面に、わずかに焦れが滲む。

 視線を外に向けると、窓の外では風が強く、雲が低く流れていた。


 昼前になるころには、グループチャットが騒がしくなり始めた。


『今日、雨やばくないですか』


『風も強いですね』


『今のところは開催予定みたいです』


 姫島は少し遅れて、公式サイトのリンクを貼ってきた。


 だが、画面を追いながらも、俺の意識は半分しかそっちへ向いていなかった。


 スマホを手に取ってアプリを開く。

 星さんは相変わらずそこに映っている。


「星さん、もしかしたら花火大会中止になるかもしれませんよ」


「……」


「せめて何か言ってくださいよ」


 それでも、返事はない。


 昼を回っても開催可否は出なかった。

 風はさらに強くなり、空模様は怪しくなるばかりなのに、公式の案内は曖昧なままだ。

 星さんもまた、同じ姿が映るばかりで何も返してこない。


 天気と彼女の両方に、じわじわと落ち着かないものが溜まっていく。


 16時を少し回ったころ、ついに大会の中止が発表された。


 その発表がスマホへ表示された瞬間、研究室のグループチャットが一気に荒れる。


『終わった』


『俺の夏、終わりました』


『かなさんからも残念って来ました……』


『ゆきさんの方もです』


 西田と森下が、それぞれ絵に描いたみたいな絶望を流し始める。


『また別の機会にしましょう』


 姫島は残念そうなスタンプとその一文を、重ねるように送ってきた。


 トリプルデートは、結局始まる前に消えた。

 数日前まであれだけ騒いでいた予定が、通知ひとつで跡形もなく吹き飛んだ。


 その知らせを見た瞬間、まず肩の力が抜けた。


 合コンのときのような、星さんの姿をした姫島と会わずに済む。

 助かったと思う一方で、星さんと並んで花火を見上げる楽しみまでなくなったことに、言葉にしきれない違和感が残る。


 予定が無くなったことにほっとしたのか、惜しいと思ったのか、自分でもすぐには分けられない。

 ただ、その両方をまとめてぶつける相手が、今はいない。


「……星さん。花火大会は中止になったみたいですよ」


「……」


 やっぱり返事はない。

 画面の中の彼女は、朝から変わらない姿のまま黙っている。


 時間が過ぎるほど、花火大会が消えたことより、彼女が返事をしないことの方が頭から離れなくなっていった。


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