37話
前回の合コンから数日が過ぎた。
研究室の空気はいつも通りだらけていたが、西田と森下だけは、あの夜の話題に触れそうになるたび露骨に顔をしかめる。
かなさんとゆきさんと、この二人があの後、結局どうなったのかは分からない。
何度かそれとなく聞き出そうとしてみたが、二人とも怯えたみたいに目をそらすばかりで、何も口にしなかった。
変に掘り起こすのもまずいと思い、俺はこの件には触れないことにした。
「あの先輩、今日って暇ですか?」
既視感を引き起こすような流れで、姫島が入ってきた。
「……とくに予定はないが?」
「研究室のみんなで、また合コンしませんか」
西田と森下の肩が、揃ってびくりと跳ねる。
「いや、今日はこのあと昨日の配信のアーカイブ見る予定があるんで」
「あ、俺も今日はちょっと」
さっきまでだらけきっていたくせに、二人とも忙しそうに振る舞い始める。
そのまま会話を終わらせて逃げ出したい、という気配がまる見えだ。
「そうなんですね、残念です」
姫島はまったく慌てなかった。
その反応を予想していたのか、あっさり引いたあとで今度はまっすぐ俺のほうを見る。
「先輩はどうですか。今日来るの、この二人なんですよ。すごい美人でしょ?」
差し出されたスマホの画面には、やけに出来のいい写真が二枚並んでいた。
一人は明るく華やかで、もう一人は大人びた雰囲気だ。
どちらも普通に美人と言っていい。
「ああ、確かに美人だな」
「えぇ? これってミスコンのときの写真なの? すごいね」
グラスの中の星さんもスマホを覗き込み、素直に感嘆の声を上げた。
その言い方が、どこか芝居がかって聞こえた。
たしかに、二人とも姫島より一段上の美人と言って差し支えない。
だが、そこが不思議だった。
あの姫島が、自分より見栄えのする女をわざわざ俺たちへ紹介してくるなんて、何か裏があるとしか思えない。
「え、ちょっと見せて」
「そんなに美人なんですか?」
西田と森下は、美人という単語に釣られて寄ってくる。
さっきまで怯えていたくせに、反応が露骨すぎる。
「はい。今日来るのは、この二人です」
姫島がスマホを少し二人の方へ傾ける。
その口元は、ほんの少しだけ緩んでいるように見えた。
「これなら全然ありです」
「かなり、ちゃんとしてる感じですね」
二人はあっさり手のひらを返し、合コンに出ると言い出した。
節操がないにもほどがある。
「男って現金だねえ」
星さんが楽しそうに笑う。
「先輩も来ますよね」
「行かない」
「ええ、三対三じゃないと形悪いじゃないですか」
「そんなのは知らん。お前たちだけで行けばいいだろう」
「どうしてもだめですか?」
「行かない」
「はぁ、それじゃ仕方ないです。女の子だけで行ってきます」
姫島があっさり引いた途端、西田と森下の顔色が変わった。
「いや、それはだめでしょ」
「ここまで見せられて、それはないです」
「そんなの知るかよ」
「「お願いします!」」
二人がそろって頭を下げる。
完全に姫島の手のひらの上だった。
その横で、星さんが満面の笑みでこちらを見る。
「観念しなよ、藤宮君」
この二人が並ぶと、話がろくな方向へ転がらない。
「……わかったよ」
◆ ◆ ◆
夜、駅前の店へ着いた時点で、西田と森下は前回とは別人みたいに顔色が良かった。
一度帰って着替えてきたらしく、二人ともまた気合の入った格好をしている。
「今日はいける気がする」
「リベンジを果たそう」
二人は拳を軽く合わせて、短く気合を入れ直す。
何を格好つけてるんだこいつら。
店に入り、案内を確認する。
女性陣は既に着いているらしく、中からは賑やかな声が漏れていた。
個室へ入ると、姫島たちはもう席についていた。
姫島の友達だという二人は、少なくとも俺の目には、写真で見たとおり普通に美人だった。
柔らかい色の服を着た明るい雰囲気の子と、黒を基調にした落ち着いた雰囲気の子。
どちらも目を引く。
ただ、その印象はすぐ別の違和感に上書きされた。
三人とも、なぜか俺が使っているのと同じ型のスマートグラスをかけていた。
「こんばんはー」
「こんばんは」
「こんばんわ」
「お待たせしました」
西田と森下は、その異様さをまるで気にしていない。
鼻の下を伸ばしたまま、前回よりよほどまともな挨拶をしている。
「なあ姫島、お前たちのその眼鏡って」
「そうです。先輩が使ってるのと同じスマートグラスです」
何でそんなものをこいつが持っているんだ。
俺が眉をひそめる横で、グラスの向こうの星さんがいかにも面白そうに口元を緩める。
「じゃあ西田と森下にも」
姫島は鞄から眼鏡ケースを二つ取り出し、二人の前へ置いた。
「え? なにこれ?」
「どういうこと?」
さすがに二人も困惑した顔になる。
「ちょっとした余興なんで、とりあえずかけて」
西田と森下は顔を見合わせるが、断るようなことはせず、言われるままグラスをかける。
全員が装着したのを見届けてから、姫島がどこかへ向かって指示を送る。
「じゃあ、お願いします」
次の瞬間、視界が一度だけ淡く白く弾けた。
部屋の中の全員の姿が、そのまま有名VTuberのアバターに変わっている。
姫島の友人は、ミラージュの「白羽ひかね」と「灰吹レジー」そのものの姿になっていた。
配信で見ている通りの可愛らしい姿だ。
西田と森下も、同じミラージュの男性グループの誰かに変わっている。
名前は思い出せないが、見たことのある顔ではある。
多分俺の姿も同じように誰かの姿に変わっているのだろう。
「おお?」
「なにこれ?」
「あはは、すごい」
「えー、すごいすごい」
戸惑う声と歓声が一斉に重なる。
反応を見る限り、どうやら全員同じものが見えているらしい。
「姫島、これはどういう……」
そこで言葉が止まった。
姫島だけは、星屑みさきの姿になっていた。
肩へさらりと落ちる瑠璃色の髪。
ステージ衣装ではなく、配信の雑談で見慣れた、肩の力が抜けた普段着の姿。
白を基調にしたゆるいトップスの軽さまで、それらしく見えた。
見慣れた星屑みさきそのものの顔で、こちらを見て小さく首をかしげている。
「どうしました、先輩?」
言いながら、姫島は俺の腕へ軽く触れた。
そこにいるのが姫島だと頭では分かっているのに、目に映る姿に引きずられて、一瞬だけ本当に星さんが触れてきたみたいに錯覚する。
その勘違いが胸の奥をざわつかせたまま、俺はうまく次の言葉を返せなかった。
◆ ◆ ◆
乾杯してしばらくは、まだ普通の飲み会だった。
西田はひかねの姿をした子へ調子よく話しかけ、森下もレジーの姿をした子にぽつぽつ返し始める。
女性陣のほうも、向こうからは俺たちがそれなりのイケメンに見えているせいか、最初からやけに距離が近かった。
何度かグラスを合わせて笑ううちに、全員の緊張が少しずつほどけていく。
空気が少し緩んだところで、星屑みさきの姿をした姫島が、当然のような顔で王様ゲームを始めた。
「王様だーれだ」
笑い混じりの声に押されるように、全員が同時にくじへ手を伸ばす。
「っし、わたしが王様ね」
最初は姫路が王様だった。
「じゃあ、一番と三番が握手してください」
一番は西田、三番は白羽ひかねの姿をした姫島の友人だった。
西田は分かりやすく頬を緩め、身を乗り出す勢いで手を差し出す。
ひかねの姿をした彼女は「あたしと握手でそんなうれしい?」と笑いながらその手を取った。
小さく見える手のわりに握り方が妙にしっかりしていて、西田は一瞬だけ顔を引きつらせたが、すぐにまた締まりのない笑顔へ戻った。
「次、王様だーれだ」
今度の王様は、先ほど握手をしていた姫島の友人だった。
「じゃあ五番が六番に、あーんで料理を食べさせて」
五番は森下、六番は灰吹レジーの姿をした子だった。
森下は震える手でフライドポテトを一本つまみ差し出しすが、指先からそれが滑り落ち、レジーの姿をした彼女の胸元へ挟まるみたいに収まってしまった。
場が沸く中、「あーん、取ってー」と彼女に笑われ、森下は真っ赤な顔のまま回収して差し出し直した。
合コンらしい盛り上がりを見せて場が温まっていく。
飲み物を交換させたり、隣同士で見つめ合ったり、回を重ねるうちに少しずつ理性のたががはずれていく。
気づけば、星屑みさきの姿をした姫島が俺の隣に座っていた。
姿だけは見慣れた推しそのままなのに、距離の詰め方が姫島らしい近さで、目が合うたびに心臓の調子が狂う。
「王様だーれだ」
王様は西田だった。
こいつ、さっきから引きが良すぎる。
酒が回っているせいか、西田の顔はいつも以上に緩んでいた。
にやにやしながら番号札を振り、いかにも調子に乗った声を出す。
「じゃあ四番が三番のほっぺにちゅー」
一拍遅れて、場が爆発した。
「おおー!」
「ぶっこんで来たな」
「いいじゃんいいじゃん」
笑い声と歓声がいくつも重なって、狭い個室の空気が一気に熱くなる。
全員がめいめいに手元の番号札を見下ろし、違ったやつが安堵している。
アルコールで頭の回転が鈍っていたせいで、自分の数字を理解するまで半拍遅れた。
「……三番、俺か」
「っしゃ、来た。四番! わたしです」
姫島がそう言って勝ち誇るように番号札を持ち上げる。
「おー、来た来た」
「先輩、逃げないでくださいよ」
「ほっぺだし軽い軽い」
そんなわけがあるか。
酒の勢いに押されて、全員が手を叩きながら「早く早く」とはやし立てる。
そのたび、場の熱だけが無責任に上がっていく。
「いや、ちょっと……それは……待てって」
酔いで舌が少し重い。
隣から身を寄せてくるのは姫島だと分かっているのに、アルコールで鈍った頭ではその確認がうまく最後まで届かない。
(キスはさすがに……でも星さんが相手なら……まぁ、それも)
そんな期待のような諦めが、一瞬で心の中で理屈を押しのけた。
「……ほんとにやるのか」
「王様の命令は絶対ですから」
姫島はさっきまでの勢いを少しだけ失くし、星さんの姿のまま気まずそうに視線を揺らした。
それでも観念したみたいに息を吸って、そっとこちらへ顔を寄せる。
周りが「おお……」と妙に息を潜めた次の瞬間、柔らかい感触が頬をかすめた。
ほんの一瞬だった。
たったそれだけなのに、本物の星さんが触れたみたいな錯覚だけが、生々しく残る。
誰かが大きく囃し立て、遅れて笑い声が弾けた。
俺は頬に残った熱のせいで、しばらくまともに顔を上げられなかった。
◆ ◆ ◆
店を出るころには、西田も森下もすっかり上機嫌だった。
前回みたいに潰れてはいないが、酒はそこそこ入っている。
「いやあ、今日は勝ちましたね」
「何にだよ」
「人生にです」
いつにもまして西田は浮かれている。
森下のほうも酔いで顔を赤くして、いつもよりテンションが高い。
「すごい、楽しかったです」
「前回との差が激しすぎるだろ」
「この研究室で良かったです」
この様子なら、学生時代最後の夏のいい思い出には、なったんだろうな。
姫島は満足そうに頷く。
「今度こそみんなハッピーになりましたね」
「こういうのも、意外に悪くなかったな」
余韻を引きずったまま歩き出そうとして、足元がふっと頼りなくなった。
駅前で方向が分かれるところまで来ると、西田と森下はそれぞれの相手と自然と二組に別れ、笑いながら別の方向へ歩き出す。
そこを見送ろうと体の向きを変えた拍子に、足の運びがわずかにもつれた。
「危ないですよ、先輩」
姫島がとっさに腕を支える。
その拍子にスマートグラスがずれ、視界の端だけが変ににじんだ。
「あぁ……悪い」
俺は一度グラスを外し、レンズを袖で拭いた。
外した瞬間、駅前の夜気がそのまま顔へ触れる。
「あれ……?」
さっきまでそこにいたはずの、美人な友人二人の姿はどこにもなかった。
西田の隣にいたのはかなさんで、森下の隣にいるのはゆきさんだった。
アルコールのせいで見間違いをしたのかと思い、何度も見返すが、そこにある光景は同じだった。
二組の背中が遠ざかるほど、さっきまでの酔いがじわじわ引いていく。
「え……? は……? うそだろ?」
西田と森下は、何も知らないまま、かなさんとゆきさんに連れていかれている。
その後ろ姿が、屠畜場へ引かれていく家畜みたいに見えて、どうしようもなく哀れだった。
「姫島、お前……これは……」
「えっ、なんですか?」
隣を見ると、もうそこにいるのは星さんじゃなくて、見慣れた姫島だった。
「どうしたんですか、先輩? 酔いすぎちゃいましたか」
いつもの聞きなれた声のはずなのに、うまく現実へ戻ってこられない。
目の前の彼女が自分にとってどんな存在だったのか、それさえ急に分からなくなった。
俺はそれ以上何も言えず、その場から逃げるように踵を返した。




