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36話

 その日の午後も、西田は椅子へ深く沈み込み、森下はノートPCの画面を眺めながら、やる気のない顔でキーボードを叩いていた。


「あの先輩、今日って暇ですか?」


 姫島が突然話しかけてきたのは、ちょうど俺がログを一段落させたタイミングだった。


「まあ、とくに予定はないが、どうかしたか?」


「よければ、研究室のみんなで合コンしませんか」


 西田が勢いよく体を起こし、森下まで手を止める。


「え、マジで?」


「ずいぶん、急じゃないですか」


「えっと、他学部の友達が二人いるんです」


 西田は完全に乗り気だ。

 森下も警戒している顔をしつつ、断るつもりはなさそうだった。


 そんな二人の食いつきを確認すると、姫島は主導権を握るように、そのまま話を押し進めた。


「かなちゃんと、ゆきちゃんっていうんですけど。ちょうど暇してるみたいで」


 正面からの押しが駄目だったから、今度は団体戦に切り替えたのか。


 そう思った瞬間、星さんが何食わぬ顔で会話に割って入り、グラスの縁へ頬杖をついた。


「かなちゃんと、ゆきちゃんってどんな子? ノリいい?」


「かなちゃんはすごく元気な子で、ゆきちゃんは静かめかな。二人とも面白い子ですよ」


 姫島が素直に答えると、星さんはぱっと顔を明るくした。


「いいねいいね、これって研究室の親睦会でしょ? 合コンってやつ、わたしも一度やってみたかった」


「なんで星さんまで参加するんですか」


「はあ? わたしだけ除け者にするつもり!?」


 ひどい、と星さんは大げさに肩を落とし、目元に指を当てて泣くふりをする。


 完全に面白がっている。

 こっちの都合など考える気は最初からないらしい。


「いや、俺も行かないですよ」


 即答したところに、西田と森下が机を叩く勢いで乗ってくる。


「いやいやいや、藤宮さんも来てくださいよ」


「三対三じゃないと形悪いじゃないですか」


「そんな形にこだわる必要ないだろ。お前たちだけで行ってこい」


 行く気はないと言っているのに、二人ともまるで引く気はないようだ。


 その横で、星さんまで西田と森下の顔を見比べ、わざとらしくため息をついた。


「ほら見てよ。この二人、もう今日を逃したら年越しまで引きずる顔してる」


「知ったことではないですよ。俺に面倒を押しつけないでください」


「面倒じゃないよ。君はただ座って見てればいいんだから」


 姫島はそこで小さく首をかしげ、俺の机のほうへ半歩だけ距離を詰めてきた。


「先輩も来てください。たまには後輩と交流するのも必要だと思うんです」


「こんな不意打ちみたいな合コンは、まっとうな交流とは言わない」


「どうしても来てくれないんですか?」


「行かない」


「はぁ、それじゃ仕方ないです。女の子だけで行ってきます」


 姫島があっさり引いた途端、西田と森下の顔色が変わった。


「いや、待って、それはだめでしょ」


「これを逃したら、もうチャンスないかもしれないんですよ」


「そんなの知るかよ」


「「お願いします!」」


 二人がそろって深々と頭を下げる。


(完全に姫島の手のひらの上だな、こいつら)


 星さんは頭を下げる二人の横で、唇の端だけをわずかに上げていた。

 さっきから合いの手を入れる間が良すぎる。

 おそらく今回の合コン、裏で糸を引いているのは……彼女だ。


 このままだと、本当に二人の恨みを買いかねない。

 グラスの中で俺の肩に手をかけ、星さんが満面の笑顔で見ている。


「観念しなよ、藤宮君。どうせ今夜、家でだらだらして終わるだけでしょ」


 俺は肩にかかった星さんの手を見ないふりでやり過ごし、机へ額を擦りつけそうな勢いで頭を下げている二人へ視線を向けた。


「……分かったよ。行くだけだぞ」


◆    ◆    ◆


 その日の夜、駅前の店へ向かった時点で、もう帰りたかった。


 西田と森下は一度帰って身なりを整えてきたらしく、二人とも昼の研究室とは打って変わって、気合の入った格好になっていた。


 俺だけが研究室にいたときの格好のままでいる。


 さっきまで死んだ魚みたいな顔をしていた二人が、今は鏡でも見てきたみたいに何度も髪を触っている。

 グラスの中の星さんはその変わり身を見て、けらけら笑った。


「二人とも気合い入ってるねえ」


「あれは張り切りすぎですよ」


「藤宮君は、もうちょっと楽しみにしたら?」


「こんなしょうもない飲み会を、どうやったら楽しめるって言うんですか」


 星さんは肩をすくめるように笑い、路地の方へ視線を向けた。


「あ、来たみたいだよ」


 星さんの声につられて視線を向けると、姫島が友人を二人連れて立っていた。


「お待たせしました」


 姫島の後ろにいた片方は、体格だけ見ればかなり華奢だった。

 肩も腕も細い。

 なのに歩き方だけ迫力があり、立ち止まるなり自分の胸元をぺちぺち叩いて笑う。


「こんばんはー、かなでーす。

 人文の四年で、姫ちゃんとは高校のときからの友達です。

 よろしくねー」


 明るくて、ノリも良く、初対面相手にも距離が近い。

 きっとゴリラでなければモテていたのだろう。


 もう一人は、別の意味で強烈だった。


 胸元の存在感とは裏腹に、空気だけはおとなしかった。

 白すぎる下地に、黒く深い目元。

 唇の色も濃く、輪郭まできっちり塗られていて、顔全体が人類のものとは思えなかった。


「こんばんは、ゆきです。

 かなちゃんと同じ人文四年で、姫ちゃんとはかなちゃん繋がりで友達になりました」


 声もおとなしく、落ち着いた感じで、胸元の凶器できっとモテていたのだろう。

 顔が化け物でなければ。


 自己紹介の時点で、西田と森下の目から、目に見えて光が消えた。


 期待していた種類の合コンとは、だいぶ違ったらしい。

 言葉を飾らずに言えば、ここは地獄だった。


 二人に同情を隠せない俺に、耳元で星さんがささやく。


「ちょっと露骨すぎない?」


「これは仕方ないですよ。

 まさか、こんなゴリラと化物が現れるなんて、想像も出来なかったですよ」


「そういうの良くないよ。ちゃんと中身を見てあげて」


 星さんは二人を庇うが、こればかりはムリというものだ。


◆    ◆    ◆


 席について十分で、合コンらしい空気はほとんど死んでいた。


「西田さんって、体細いよね」


 かなさんが豪快に笑いながら、西田の肩をばんと叩く。


 華奢な腕のくせに、叩かれた西田の上体が大きく揺れた。


「もっと食べなよ。ほら、肉。細い人って見てるこっちが不安になるんだよね」


「……ありがとうございます」


 か細い声だった。

 西田は皿へ増えていく肉を止めるでもなく受け入れていて、もはや抵抗する気力も残っていないらしい。


 その横では、ゆきさんが森下のほうへ体を静かに身を寄せていた。


「森下さん、肌きれいだね。こういう人、下地だけでだいぶ変わるよ」


「はあ……」


「眉も少し整えたらもっと映えそう。まつ毛も長いし」


「っ、そうですか」


 ゆきさんの胸に収まっている凶器が、森下に押し付けられて形が変わっている。

 森下は目線を落とすと頬が緩み、上げると途端に引き締まる。


 既にこの動きを何度も繰り返している。

 この煩悩と理性の鬩ぎあいはどちらが勝つのだろうか、興味深い戦いが繰り広げられていた。


 長椅子の隣へ腰かけた星さんは、手に取ったバーチャルの日本酒を煽りながら感心したように呟く。


「かなさん、強いね。完全に胃袋をつかみにいってる」


「物理的につかまれたら、逃げようがないですね」


「ゆきさんは、女の武器を惜しみなく使ってるね。さすがだわ」


「順調にSAN値を削ってますね。あれはもうダメかもしれません」


 俺たちは二人の様子を酒の肴にして、勝手な感想を投げ合っていた。


「あ、先輩これ焼けましたよ」


 姫島は網の上から焼けた肉を拾い、そのまま皿へ置き、こちらへ差し出した。


 視線は西田と森下の惨状に向いたまま、俺は置かれた肉に箸を伸ばす。


「美味しいですか?」


「うん? まあ、そうだな」


 気のない返事だったはずだが、姫島の表情はぱっと明るくなった。


「じゃあ次これですね」


「ん? ああ、いいんじゃないか」


 俺は軽く相槌を打つ程度で、差し出されるものをそのまま受け取る。

 何が楽しいのか、その後も肉が次々に差し出される。

 俺はそれをただ黙々と食べるだけだったが、それでも姫島はなぜか機嫌よく手を動かし続けていた。


 その様子を、星さんは少し不服そうな顔で眺めている。


「藤宮君だけ姫島さんに世話されすぎじゃない?」


「知らないですよ」


◆    ◆    ◆


 店の外へ出たころには、西田も森下もすっかりグロッキーだった。

 西田は半分目を閉じたままふらつき、森下も足元がかなり怪しい。


 かなさんはそんな西田の腕を自分の肩へ回し、そのまま軽々と持ち上げた。


「この人、かなが連れてくよ。軽いし」


「あ、じゃあ西田のことはかなちゃんお願いね」


 ゆきさんのほうも、ぐったりした森下の腕を取る。


「じゃあ、森下さんは私が連れてくね」


「うん、お願いね」


 こうして二人と二匹は、それぞれのペアに分かれて夜の闇に消えていった。


 その横で、姫島がしみじみと頷く。


「みんな楽しそうで良かったです」


 西田と森下の惨状を見て、出てくる言葉がそれなのか。

 姫島、お前に人の心はないのか。


 さすがの星さんも一拍だけ黙ったが、すぐに声を潜めて笑う。


「藤宮君、次は君の番っぽいよ」


 星さんが小さく肩をすくめ、こちらへ視線を送る。


 彼女たちの意図を察した瞬間、俺は足音を殺して走り出した。

 そのまま人の流れへ滑り込み、その場から速やかに逃げ出した。


「じゃあ、先輩は私と……あれ?先輩?」


 繁華街の喧騒に紛れて、遠くから姫島の声が聞こえた。


「姫島さんはあんなに尽くしてたのに、黙って置いていくんだね。

 人の心がないのは君の方だよ」


 星さんの、揶揄うような非難の声が聞こえたが、俺は黙っておくことにした。


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