35話
盆休みが終わり、いつもの風景が戻ってきた。
夏の暑さは最盛期を迎え、外に出た瞬間からまとわりつく熱気に、思わず顔をしかめる。
研究室へ入ると、西田と森下がそれぞれ机に体を預け、だらしなくもたれ掛かっていた。
「短すぎません? 盆休み」
「去年まで夏休みは二か月あったのに、今年は一週間しかないなんて辛すぎる」
「こんなことなら、留年すればよかった」
二人とも愚痴が止まらない。
「藤宮さんも一週間は短いと思いますよね?」
「研究に余裕があるなら、自主休講でもすればいいだろ」
「うぅ、でもサボって卒業できないのも困るんすよ」
「お前、さっき留年すればよかったとか言ってなかったか?」
バカなことを言っている二人を他所に、いつもどおり実験のログのチェックを始める。
ガタ、と椅子を引く音がして、さっきまで騒がしかった二人がぴたりと口を閉じた。
違和感に顔を上げると、そこには姫島が立っていた。
普段は清楚な感じのブラウスとスカートで来る姫島が、今日は丈の短いトップスとデニムのショートパンツという、見慣れない格好をしている。
腹部を覆うものは何もなく、へそまで大胆に露出している。
研究室にはまったく見合わない、露出の高さだ。
「おはようございます、先輩」
「お、おはよう」
思わず返事が遅れた。
姫島はその反応を見て、少しだけ口元を緩める。
「どうしました?」
「いや、その格好……」
言いかけたところで、西田が耐えきれずに口を挟んだ。
「姫島さん、今日めちゃくちゃ攻めてますね」
「そうですか? 少し雰囲気を変えてみただけですけど」
「少しではないだろ」
森下まで小さく同意する。
スマホのスピーカーから、星さんのいかにも楽しそうな声が聞こえる。
「お、いいじゃん、いいじゃん。超セクシーで夏の追い込みって感じ」
「夏の追い込みって何ですか」
「うーん、勝負をかけにきた感じ?」
明らかに面白がってる。
姫島は否定しきれない顔で、それでも頬だけは分かりやすく赤かった。
着なれない露出の高い服で無理をしているせいだろう。
恥ずかしいなら、そんな格好で来なければいいのにと思う。
「先輩、どうですか」
姫島はそう言って、わざわざ俺の隣まで来た。
少し腰をひねって、どうにかセクシーな感じを出そうとしているのが分かる。
視線の置き場に困る距離だった。
「どうって言われても」
「似合ってませんか?」
「まあ、似合ってるんじゃないか」
なるべく無難に返したつもりだったのに、星さんがすぐ横から茶々を入れる。
「感想が雑すぎるよ。もっとちゃんと見てあげなよ」
「見てますって」
「せっかく姫島さんが頑張ってるんだから、もっとこう、言うことがあるでしょ」
次の瞬間、姫島の手が伸びてきて、俺の顔からスマートグラスがするりと外された。
「グラス越しじゃなくて、ちゃんと見てください」
そう言いながら、姫島は外したグラスをちらっと覗き込む。
レンズの奥では、星さんがなぜかサムズアップで応援していた。
この二人は、いつの間に結託したんだ。
姫島はそこからさらに一歩近づき、少しだけ身をかがめた。
視界の端で胸元がちらついて、目のやり場に困る。
「その……どうですか……やっぱり先輩も、こういうのが好きなんですよね」
困る。
甘えながら後輩が迫ってくるシチュエーションは、俺の好みドストライクだ。
それだけに余計に困る。
姫島は俺の顔を見て、手応えがあったと分かったのか、こっそりほくそ笑んだ。
スマホのスピーカーから、追い打ちみたいに星さんのやじが飛ぶ。
「セクシーだよ!」
「効いてるよ!」
「男は下半身で考えてるから、こういうのが一番効果あるよ!」
「余計なことを言わないでください」
口ではなんとか反論するが、姫島の胸元から見える谷間から目が離せなくなっている。
(このままではまずい)
「先輩……」
姫島がさらに何か言いかけた、その直後だった。
「……くしゅっ」
小さなくしゃみが飛び出して、張りつめかけていた空気が一気にしぼむ。
姫島は自分でも予想していなかったのか、恥ずかしそうに口元を押さえた。
よく見ると、さっきから肩がかすかに震えている。
露出した腹や脚に、研究室の冷房がまともに当たっていた。
攻めた格好をすることに気を取られて、部屋の寒さまでは計算に入っていなかったらしい。
「……寒いのか」
「さ、寒くないです」
否定しながら、姫島は腕を抱くみたいに身を縮める。
説得力はまるでなかった。
スマホのスピーカーからも、さっきまでのやじは聞こえない。
気まずい沈黙だけが落ちる。
姫島は視線をそらしたまま、外したスマートグラスを俺に返した。
「……今日は、ちょっと調子が悪いだけです」
負け惜しみみたいなことを言ってから、姫島は足早に自分の机へ戻っていった。
さっきまでの勢いは、もうどこにも残っていない。
俺もそれ以上は何も言えず、返されたグラスを掛け直して端末へ視線を落とす。
盆休み明けの研究室は、締まらない感じで再開した。




