表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
32/43

32話

 翌朝は、家の中がちゃんと動き出すより少し早く出た。


 玄関で靴を履いていると、台所から顔を出した母が苦笑する。


「なんかあんた、今回は帰ってきたっていうより、旅行の途中で寄っただけみたいだね」


「まあ、そうかもね」


 昨日帰ってきたばかりなのに、もうまた出るのだから、そう見えても仕方がない。


 駅へ向かうころには、日差しはもう強くなり始めていた。

 朝のうちはまだ涼しさが残っていた空気も、昼にはきっと熱気に満ちるだろう。


 改札を抜けると、ホームには昨日と似た光景が広がっていた。

 休みの時期なのに仕事へ向かうらしい人がまばらに立ち、列車が入るたびに空気が少しだけ揺れる。

 こういう風景は、どこへ行っても大差ないのだろう。


 窓際に腰を下ろす。

 隣の席は空いたままだ。

 その空席には、星さんが座っている。


 白いワンピースの裾を整え、膝の上で手を重ねている。

 肩が触れそうな距離だけが、きれいに埋まっていた。


 俺のスマートグラス越しにしか映らない、虚構の彼女の姿だった。


「ぱんぱかぱーん。本日の目的地を発表します」


 その彼女が、わざとらしく溜めをつくる。

 口元は楽しげに緩んだまま、こちらの反応を窺っている。


「で、どこに行きたいんですか?」


「清水寺と伏見稲荷。今日はその二つを回るよ」


「なるほど。まあ、いいんじゃないですか」


 最初から行き先が決まっているだけで、今日は少しだけ気が楽だった。


「でも、二か所とも、観光で行く定番中の定番ですね」


「いいんだよ。今日はそこに行きたいんだから」


「修学旅行とかで行かなかったんですか」


 星さんは一瞬だけ口ごもった。


「……行かなかった」


 俺はその一言で、すぐに察した。


「そういえば、ぼっちで一人行動してたから、人が多いところは避けてたんでしたっけ。

 前に配信で言ってましたよね」


「ぐ、そういうのまで覚えてるの、なんかやだ」


 少しだけ拗ねた声になる。


「自分で話したことじゃないですか」


「それはそうなんだけど」


 そんなやり取りをしているうちに、列車は少しずつ西へ進んでいった。

 乗り換えを挟み、窓の外の景色が見慣れた街並みから、観光地らしい賑わいへと移り変わっていく。


 なんやかんやで京都駅へ着いたころには、朝だというのに、人の流れはすでに濃くなっていた。


◆    ◆    ◆


 清水寺近くの駅を出ると、個人で来たらしい観光客たちが、スマホの地図を片手に何人も坂の方へ降りていくのが見えた。


 その流れに紛れて歩き出すと、土産物屋の軒先には扇子や焼き物が並び、甘い匂いのする店の前では若い観光客が足を止めている。

 まだ午前のはずなのに日差しは容赦がなく、少し歩いただけで背中に汗がにじんだ。


 三年坂――産寧坂に差しかかると、石畳の坂道が思っていたよりずっときつい勾配で先まで続いていた。

 両脇には町家ふうの店が肩を寄せ合うように並び、見上げるだけで、いかにも京都の定番という景色ができあがっている。


「うわぁ、すごい坂だね。上るの大変そうだ」


「あなたは運ばれてるだけだから楽でしょ」


「あははは、そうかも」


 笑いながら、グラスの中の星さんは本当に軽快だった。

 白いワンピースの裾を揺らして、石畳の上をひょいひょい上がっていく。

 こっちはただ歩いているだけなのに、ふくらはぎがじわじわ重くなってきていた。


「普段の運動不足がこういう時に出ますね」


「自覚あるんだ」


 そう言いながら彼女は、途中からスキップまで始めた。

 バーチャルの中だから何でもありだな、と妙なところで感心してしまう。

 汗も切れた息も関係なしで、景色の上を好きに跳ね回れるのは、さすがにずるい。


「ねぇ、知ってる? ここで転ぶと、三年以内に死ぬんだって」


「ずいぶん物騒ですね」


「本当かどうか確かめてみよう。ちょっと転んでみて」


「嫌ですよ」


 言った直後、視界の端がぐにゃりと歪んだ。

 石畳の目地が波打ち、店の軒先がほんの少しだけ傾いて見える。

 坂の角度まで一段きつくなった気がして、思わず足を止めた。


「ちょっと、歩きにくいのでやめてください」


「さすがに転ばないか」


 楽しそうに言うあたり、悪戯を隠す気もないようだ。


「実験するまでもなく、三年以内に死ぬなんてただの迷信に決まってるじゃないですか」


「でもさ、昔の人は信じてかもしれないじゃない?」


「さあ? どうなんですかね」


「ここで転んで、お前はもうすぐ死ぬんだ。って言われた人はどういう気持ちだったのかな」


 返事を探しているあいだにも、まわりの観光客は楽しそうに坂を上っていく。

 ざわめきと足音だけがはっきりして、俺は結局、何も言えないまま歩き出した。


 坂を上り切るころには、さすがに少し息が上がっていた。

 境内へ入ると、さっきまで両側から迫っていた店の並びがほどけて、視界が一気に広がる。

 木造の堂と朱の門、その向こうに見える京都の町並みまで、まとめて夏の光にさらされていた。


 テレビとかでよく見る風景だった。

 実際に来たことは、あっただろうか。

 よく覚えてない。


「こういう分かりやすい京都、いいよね」


「パンフレットとかでも定番ですよね」


「でも、本当にいい景色だよ。やっぱり、定番には定番になる理由があるってことだよ」


 そう返されて、少しだけ笑ってしまう。


 人の流れに合わせて本堂の方へ進み、舞台へ出る。

 欄干の向こうへ視線をやると、高さがまず目に入った。


「清水の舞台から飛び降りるっていうことわざあるじゃない?」


「ありますね」


「ちょっと端によって下を見てみてよ。どのくらいの高さか見たい」


「はぁ、こんな感じですか?」


 言われた通り、端に寄って下を覗き込む。


「わっ」


 耳元で急に大きな声がして、肩が跳ねた。


 その瞬間、視界だけが舞台の端から外れた。


 欄干も床板も一気に遠ざかり、身体ごと下へ放り出されたみたいに景色が落ちていく。

 木々と地面がものすごい速さで迫ってきて、反射的に喉から声が飛び出した。


「うおおおおぉぉぉ」


 地面に叩きつけられた、と思ったのに、衝撃は来ない。


「……は?」


 恐る恐る瞬きをしてから、俺はその場でスマートグラスを外した。


 そこは普通に、清水の舞台の上だった。

 足も手も無事なまま、周りの観光客も何事もなかったみたいに景色を見ている。


 耳元では、星さんが吹き出していた。


「ぷっ。あはははは」


 完全に、みさきの悪戯だった。


 安堵と呆れが一緒に押し寄せてきて、ため息しか出ない。


「ちょっと、いたずらはやめてくださいよ。本気で焦ったんですから」


「ごめんごめん。でも、いい反応だったよ」


 まったく反省している声ではなかった。


 それからもしばらく、境内を見て回った。

 音羽の滝の方へ流れる人波に混ざり、見晴らしのいい場所では立ち止まり、店先の甘い匂いに釣られそうになっては歩く。

 人は多かったが、星さんがいちいち楽しそうに反応するせいで、定番の観光地までちゃんと面白く思えた。


◆    ◆    ◆


 清水寺を出て、次の目的地、伏見稲荷の方へ向かおうと歩き出す。


 暫く歩くと、大きな案内板が目に入ってきた。


「三十三間堂ってここにあったのか。名前だけはよく聞く名所ですよね」


「藤宮君」


「なんですか」


「ちょっと寄って行こう」


 有名どころ、というだけで興味を引かれたのが声から分かった。


「まぁ、いいんじゃないですか」


「やった」


 三十三間堂へ着くと、空気が少し変わった。


 さっきまでの坂道の賑やかさが急に遠くなり、長い軒の下に入っただけで声の出し方まで自然と小さくなる。

 堂内へ足を踏み入れると、涼しさと薄暗さの向こうに、千手観音がずらりと並んでいた。


 しかも、どれだけ目で追っても列の終わりが見えない。

 堂そのものまで不自然に引き伸ばされているような気がして、俺は思わずスマートグラスを外した。


「なんでグラス外すの?」


 耳元で、すぐに不服そうな声がする。


「いや、星さんがまたいたずらして長く見せてるのかと思って」


「失礼だなあ」


 しかし、外しても三十三間堂はちゃんと長かった。

 現実のまま、十分すぎるほど長かった。


 言葉もなくゆっくり歩いていると、列の途中に、妙に違和感のある仏像が立っていた。


 金色じゃないし、やけに楽しそうな顔をしている。


「なにやってるんですか」


「千手観音の真似」


 隣を歩いていたはずの星さんが、いつの間にか仏像の列の横へ紛れ込み、背中から半透明の腕を何本も生やしていた。

 手の伸び方だけは無駄にそれっぽいのが腹立たしい。


「それ、リアルでやったら滅茶苦茶怒られるやつですからね」


「バーチャルだからセーフ」


「……」


「あははは」


 星さんが楽しそうに笑う。

 さっきまでの張りつめた空気が、そこでわずかに緩んだ。


 三十三間堂を出たところで、ようやく朝から何も食べていなかったことに気づいた。


「ちょっとお腹減ってきたので、どこかで昼飯にしたいですね」


「あー、そういえばお腹減ってきたかも」


「いや、別にあなたは平気ですよ」


「あははは」


「どこか近くにお店ってないですかね」


「ちょっと探してみるね」


 少しして、グラスの端に店名がいくつか浮かぶ。

 うどん屋、定食屋、甘味処。

 観光地らしい顔ぶれで、どれも歩いてすぐの距離に収まっている。


 言われた通りの店へ向かってみたものの、どこも店先まで人が溢れていた。

 入口の前で順番待ちの列ができていて、いまから並ぶ気力はさすがにない。


「どこもいっぱいですね」


「うーん、近くにコンビニならあるけど」


「じゃあそこでいいですよ」


「風情がないなあ」


 ぼやく星さんをよそに、コンビニへ向かう。

 今は何でもいいから腹を満たしたい。


 結局、コンビニでおにぎりをいくつかと飲み物を買い、そのまま店の横の日陰にある低い縁石へ腰を下ろした。

 落ち着いて食べるような場所でもないが、座れただけ十分だった。

 俺は買ったおにぎりを、ほとんど間を置かずに腹へ入れていく。


 その横で、グラスの中の星さんは少しかがみこむようにして、俺の手元を興味深そうに覗いていた。

 白いワンピースの裾が視界の端で揺れるたび、誰もいないはずの隣に誰かがいるような気配が差す。


「すごい勢いで食べるね」


「お腹減ってたんですよ」


「あははは、もっと味わって食べなよ」


「コンビニの飯なんてどこでも同じで、ごほっ」


 飲み込みが雑すぎた。

 喉に引っかかった米粒に息が詰まり、思いきりむせる。


「ちょっと、大丈夫?」


 星さんが慌てたように身を乗り出し、ペットボトルを差し出してくる。


「大丈夫、ほら水飲んで」


 反射的にそのボトルへ手を伸ばして、俺の指先は空を切った。

 掴めるわけがない。

 そこにあるように見えているだけで、星さんが差し出したものはただの映像だ。


 一瞬きょとんとしたあと、星さんが吹き出した。


「あははは、わーい、引っかかった」


「ちょっ、ぐほっ」


 苦情を入れようとして、さらにむせる。

 喉がひりついて涙までにじんだ。


「ちょっと、大丈夫? ごめんごめん、早く水飲んで」


 今度こそ自分で買ったペットボトルを掴み、慌てて茶を流し込む。

 何口か飲んでようやく咳が収まるころになっても、星さんは口元を押さえながらまだ肩を震わせていた。


 最後のおにぎりを飲み込むころには、胃のあたりがようやく落ち着いていた。

 ペットボトルの茶で流し込み、息をつくと、さっきまでの空腹はすっかり消えている。


「じゃあ、そろそろ行きますか」


「うん。次いこ」


 そう言って後始末をして立ち上がると、そのまま歩き出した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ