28話
「次はさ、あれ、あそこ寄ろ」
指された先には、駅前のゲームセンターがあった。
入口付近から電子音が漏れていて、ガラス越しにクレーンゲームの箱が並んでいる。
「ゲーセンですか」
「そうそう。一緒にゲームしよ」
どうせまた面倒なことになる気はしていた。
それでも、あちこち連れ回されるよりはゲーセンで時間を潰している方がまだましだと思い、結局、寄っていくことにした。
「変なことしたら帰りますよ」
「しないしない。たぶん」
「最後が不穏なんですけど」
何を言っても聞いてくれないのだろうと、半ばあきらめて、ため息を一つついた。
◆ ◆ ◆
中は騒がしかった。
明るい照明の下で機械音と電子音が重なり、フロア全体が落ち着きなく鳴っている。
クレーンゲームの並ぶ一角を抜けようとしたところで、星さんが急に声を弾ませた。
「あ、ちょっと待って。藤宮君、あれ見て」
言われるまま視線を向けると、景品棚の中に見覚えのあるぬいぐるみが並んでいた。
頭身を丸く崩した星屑みさきのマスコット。
頭だけが不自然に大きく、体とのバランスがちぐはぐで、デフォルメされた姿が可愛らしい。
「自分じゃないですか」
「そう、自分。いや、でもさ、これちょっと可愛くない?」
画面の中の星さんは完全に目を輝かせていた。
「あれ欲しいな。取って、お願い」
「やっぱりそうなるんだ」
しぶしぶ筐体の前に立つ。
透明なケースの中で、ぬいぐるみは何体か重なって転がっていた。
狙えない位置ではないが、簡単に取れるとも思えない。
「俺、こういうのそんなに得意じゃないですよ」
「うん、そんな気がしてた」
「じゃあなんで頼むんですか」
「ここはわたしに任せて」
星さんはそこで一拍置いて、さっきまでの浮かれた調子を少しだけ引いた。
「一回だけやってみて。適当でいいから。まずそれ見て考える」
その言い方が思ったより具体的で、少しだけ気をそがれる。
半信半疑のままコインを入れ、目分量でアームを動かす。
爪はぬいぐるみの頭をかすめて、ほとんど何も起こさないまま戻ってきた。
「うん、だいたい分かった」
「何がですか」
「移動の速さと止まるまでのラグ。いまシミュレーション組むからちょっと待って」
さらっと言われて、思わずスマホの画面を見る。
星さんは真面目な顔で、何かを追うように目線を走らせていた。
「次、上を一・八秒、右を〇・六秒。止めるときだけちょっと気持ち早めで」
「そんな細かく分かるんですか」
「ざっくりだけどね。でもさっきよりは確率上がるはず、やってみて」
言われた通りに動かす。
今度は爪がぬいぐるみの肩口に引っかかって、位置が少しだけ崩れた。
「お」
「惜しい。
今ので向きも良くなった。
次は上一・一、右一・九。
右はちょっと長め。
首元に引っかける感じで」
三回目を入れると、今度はぬいぐるみがぐらりと傾き、そのまま落下口の縁へ引っかかる。
「来た」
星さんの声が一段高くなる。
「最後、上はちょっとだけ。右は最後まで押すつもりで」
「最後だけ急にざっくりしてません?」
「こういう最終局面は勢いも大事なんだよ」
「えぇぇ? 急に根性論になるなあ」
苦笑しながらレバーを倒す。
アームが横からぬいぐるみに触れた瞬間、引っかかっていたそれがころりと落ちた。
取り出し口に、丸い星さんの顔が転がってくる。
「本当に取れた」
「きゃー、やった!」
スマホの中の星さんがぱっと笑顔になる。
両手を上げて喜んでいるせいで、ほんの一瞬、本当に隣で跳ねたみたいに見えた。
「すごいですね」
景品を持ち上げたまま言うと、星さんは得意げに胸を張った。
「でしょ。
こういうのはね、やみくもにやるより、一回情報取った方が早いんだよ。
筐体の癖もあるし、アームの入り方もあるし」
「いや、それを見てすぐ計算するのがすごいんですけど」
「ああ、そこ?」
少し照れたみたいに目をそらしてから、でも結局は嬉しそうに笑う。
「まあ、そのへんは得意分野なので」
取れたぬいぐるみを鞄へしまう。
自分のプライズを欲しがるのはどうかと思う。
思うが、さっきの星さんの能力は、彼女が紛れもなくAIなのだと素直に実感する。
◆ ◆ ◆
ゲームセンターを出て少し歩くと、カラオケ店の看板が目に入った。
星さんはそれを見つけた瞬間、何か思いついたみたいに目を細める。
「ねえ、まだいいよね、次はあれ行かない?」
「ここまで来たら最後まで付き合いますよ。
個室なら人目もないから、羞恥プレイさせられることもないでしょうし」
「失礼だなあ。そんな変なこと今までもしてないでしょう」
あまりにはっきり言い切るので、ツッコむ気力も失せてしまった。
店員に案内されて通された部屋は狭く、冷房が少し強かった。
テーブルへスマホを立てかけると、星さんは画面の中でいかにも準備万端といった顔をしている。
「何歌うんですか」
「持ち歌に決まってるでしょ。こういうときは、一番強い球から投げるの」
前奏が流れ始める。
聞き慣れた曲のはずなのに、こうして一人きりの部屋で聞くと、配信で聞くのとは印象が違った。
声は完璧だった。
音程はずれず、息継ぎの位置も乱れず、サビへ入る直前の抜き方まで綺麗に整っている。
配信で聞いていたときと同じ、いや、むしろそれ以上に完成されているように感じる。
上手い、というより、完成している。
歌い終わったあと、余韻まで含めて破綻がなかった。
「どうだった?」
誇らしげに問われて、素直に頷く。
「すごいです。ほんとに上手い」
「うんうん」
星さんは満足そうに頷いたが、そこで終わりにできなかったのは俺の方だった。
確かに上手い。
文句のつけようがないくらい上手い。
でも、だからこそ、わずかに引っかかる。
「でも、なんていうか」
言葉を探しながら、マイクの置かれたテーブルを見る。
「綺麗すぎるんですよね」
「へ? 綺麗なのはいいことでしょ」
「いや、そうなんですけど」
違和感の正体を探るみたいに、少しずつ言葉を繋ぐ。
「カラオケボックスで人が歌うときって、もう少し揺れるじゃないですか。
ちょっと不安定になるところとか、そういうのがほとんどなくて」
星さんは黙って聞いていた。
「ボーカロイドって言うと雑かもしれないですけど、そっちに近い気がするんです」
言い切ると、画面の中の表情がわずかに曇る。
彼女の歌は、まるでスタジオで何度も録り直して仕上げた音源を、そのまま流しているみたいだった。
そこはやっぱり、機械なのかもしれない。
「下手に歌うより、上手く歌う方がいいに決まってるじゃん」
「そうなんですけど、なんていうか、場の雰囲気からは浮いているなって」
「上手く歌ってダメ出しされるなんて、そんな理不尽ある!?」
思った以上に本気で不満そうだったので、少しだけ言い方を選ぶ。
「ダメ出しっていうか、上手すぎて逆にそう聞こえたって話です。
普通に歌が上手いのは間違いないですから」
「それ、フォローになってる?」
「半分くらいは」
星さんはしばらくムッとしていたが、少ししてから次の曲を入れた。
そのあとはお互いに文句を挟みつつ何曲か歌って、気づけば最初の険悪さはだいぶ薄れていた。
◆ ◆ ◆
夜の公園は、渋谷にしては静かだった。
少し外れただけで人通りは目に見えて減る。
ベンチの間を抜ける風も昼よりだいぶ涼しい。
遠くで車の音が流れ続けているが、ここまで来るとそれも背景に近かった。
街灯の下のベンチへ腰を下ろす。
画面の中の星さんも、さっきまでみたいにはしゃいではいなかった。
「今日のデートどうだった? わたしに対しての印象って変わった?」
「そうですね……やっぱり、星さんはAIなんだなって思いました」
言った瞬間、画面の中の星さんが跳ねるみたいに顔を上げた。
「はあ!? なんでそうなるの!?」
かなり強い調子で詰ってきた。
予想外の強い反応に、わずかに面食らう。
「そこは違うでしょ。
だってさ、今日ずっと恋人みたいな甘いデートしてたじゃん。
待ち合わせであんなことして、カフェで変なドリンク飲ませて、服まで選ばせて、それで最後が『やっぱりAIなんだな』はひどくない? そこは普通、まるで人間みたいだって思う流れでしょ」
勢いのまま一息に言い切られて、返事に詰まる。
「いや、そんなこと言われても」
言いかけたところで、星さんはぴたりと黙った。
予定が狂ったのか、何かを考え込んでいる。
画面の中で視線が定まらないまま、沈黙だけが続いていく。
公園の外から聞こえる車の音だけが、やけに遠く感じる。
「……藤宮君」
ようやく開いた口調は、さっきまでとは少し違っていた。
「私の初配信のこと、覚えてる?」
「そりゃ覚えてますけど」
忘れるわけがない。
あの夜、たまたま開いた配信で、俺は初めてコメントを書いた。
「私を最初にスペースデブリって呼んだの、藤宮君でしょ」
あまりにも自然に言われて、心臓がひとつ強く跳ねた。
「……なんでそれを」
背中が少し強張る。
そんなこと、本人が知っているはずがないと思っていた。
「初配信で緊張してた私の空気を、君の一言が変えてくれたから、すごく印象に残ってる」
そこで少しだけ笑う。
「そうだ、デブリんって最初に呼んだのも君でしょ。あれ、本当はちょっと傷ついたんだよ」
「違っ、俺はすぐ消したのに他の七味があっという間に広めて……」
「あはははは」
笑い声が不意に途切れる。
スマホの画面の中で、星さんはまだ口元に笑みを残したまま、こちらをじっと見ていた。
照明の反射で瞳の奥が読み取りにくい。
「そのあとも、藤宮君よく来てくれてたでしょ。ちゃんと見てたんだから」
今度こそ、まともに言葉を失った。
自分の存在が、画面の向こうの本人に認知されていたなんて思ってもいなかった。
「ずっと印象に残ってた人が、あとになって目の前に現れたの。
しかも、私とAIのほんのわずかな違いにも気づいてた」
星さんは少しだけ目を細める。
「藤宮君が現れたの、私ちょっと運命的だなって思ったよ」
そんなことまでAIに学習させていたのか、という考えが先に浮かぶ。
でも同時に、それをAIが作った言葉として簡単に流せないくらい、胸の奥がざわついた。
「……そういう言葉は」
喉が少し乾く。
「AIじゃなくて、本人から聞きたかった」
自分でも驚くくらい、素直な言葉だった。
もう彼女本人の言葉が聞けないのだと思うと、それが急に残念でたまらなくなる。
星さんはその返事を聞いて、少しだけ黙った。
それから、変に飾らない声で言う。
「そうだね。だから今、私が話してるんだよ」
「AIがそれっぽいことを言うのはやめろ」
「うん、そうだね。だから、ちゃんと説明するよ」
画面の中で、星さんがこちらを見つめたまま、すっと姿勢を正す。
「実はさ、私の脳内信号をAIに送ってるの」
「……はっ?……何のこと?」
「向こうで取った脳の電気信号をAIに送って、言葉になる前の反応とか、考えの流れとか、そういうパターンを解釈して、会話として整えて返してる」
一瞬、意味が入ってこなかった。
「もう私の体は動かせないけど、私の意思はAIを通して伝えることができるの」
何かを言おうとしたのに、喉の奥で引っかかって声にならない。
(いや、待て。
どういうことだ? 何を言っている?)
もし今の話が本当なら、これまでの前提がまるごとひっくり返る。
AIだから割り切ろうとしていたことも、妙に本物らしく感じていた違和感も、今まで見ないふりをしていた感情も、全部別の意味を持ち始める。
そんなことがありえるのか?
いや、でも現に……
そこまで考えかけて、逆に何も考えられなくなった。
「待ってください」
ようやくそれだけ絞り出す。
「じゃあ、今俺が話してるのは本人なんですか」
星さんは今度は迷わなかった。
「そうだよ」
風が吹いて、ベンチ脇の葉がかすかに鳴る。
その短い返答が、遅れて胸の奥へ落ちてくる。
しばらく何も言えなかった。
妙に出来すぎた反応。
AIなのに、本物だと平然と言い切る自信。
全部、それで説明がついてしまう。
「……そういうことは、もっと早く言ってくださいよ」
ようやく出たのは、間の抜けた文句だった。
星さんは肩をすくめる。
「だって重いでしょ。最初にそれ言ったら、君はたぶん距離取ったよ」
「それは」
否定できない。
むしろ今でも、すぐ全部を飲み込めたわけではない。
けれど、距離を置きたくなるのとは別に、胸の奥の何かがじわじわ熱を持っていくのも分かった。
俺はベンチの背にもたれて、夜空の端を見る。
「ん? ……じゃあ、今までの」
「うん?」
「同居してからの、あれこれって」
言いかけたところで、星さんが何を思い出したのか先に顔をしかめた。
「あぁー」
「俺、本人相手にだいぶ失礼なことしてません?」
数秒、沈黙があった。
そのあと、星さんが耐えきれなくなったみたいに吹き出す。
「ははっ」
「笑いごとじゃないんですけど」
「いや、ごめん。でも、今それ全部思い出したら無理」
肩を揺らしながら笑っている。
「パンツ一丁でうろうろしてたし」
「やめてください」
「堂々と、その、アレを出されたときは、ね」
「その節は、大変失礼いたしました」
そう言って、軽く頭を下げる。
その様子が余計におかしかったのか、笑いがさらに大きくなった。
最悪なのに、なぜか少し可笑しい。
「でもさ」
笑いの名残を残したまま、星さんが言う。
「そういうの込みで、今君がここにいるんだから、まあいいんじゃない?」
そう返されると、もう何も言えなかった。
彼女はAIで、本人。
その事実が何を意味するのかは、まだ全部は分からない。
けれど少なくとも、ここから先はもう、単なる便利な会話アプリとしては扱えない。
それだけは、はっきりしていた。




