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27話

 朝から人が多い。


 改札を抜けた瞬間、熱気ごと押し寄せてくるみたいな雑踏に少しうんざりした。

 休日の渋谷なんて、用がなければわざわざ来ない。

 立ち止まる場所を探すだけでも気を使う。


 それなのに今日は、朝からここにいる。


 昨夜のうちに一方的に決められた外出のせいだ。


 スマホの画面を確認すると、最後に来ていたメッセージは短かった。


 『朝10時、ハチ公前で待ってるね』


 "待ってる"という言い方もおかしいと思う。

 ここまで来るのに星さんがいるスマホは俺の鞄の中に入っていたのだから、先に着いているわけがない。


 指定された場所へ向かう人の流れに押されながら歩く。

 スクランブル交差点の手前まで来ると、待ち合わせらしい人影がいくつも見えた。

 誰も彼も、それぞれの相手を探している。


 俺だけが、鞄の中のスマホを相手にしている。


「着いた?」


 イヤホン越しに声がして、思わず周囲を見た。


「どこ見てるの。下じゃないよ、上」


(上?)


 言われた方へ視線を戻した、その瞬間だった。


 街頭ビジョンの映像が切り替わる。


 大きな画面いっぱいに、見慣れた顔が現れた。


 星さんだった。


 ビジョンに映る彼女は、人混みの向こうから駆け寄ってきて、少し息を弾ませながら困ったように眉を下げる。


 白いブラウスと薄い水色のスカートをまとった彼女は、風に揺れる長い髪までひとつの情景として完成されていて、思わず目を奪われた。


『ごめん、待った?』


 恋人との待ち合わせに遅れてきた彼女が、甘えた声でそう言う。


 次のカットでは、彼女が少し上目遣いでこちらを見た。


『でも、会えてよかった』


 どこかの恋愛ゲームか、飲料メーカーか、そういう広告にしか見えない作りだった。

 周囲の通行人も、足を止めることなくただの街頭広告として横目に流していく。


 けれど俺には分かった。


 こんな悪ふざけをするのは一人しかいない。


「そこまでやるのか……」


『びっくりした?』


 イヤホン越しにだけ笑い声が聞こえる。


 やっぱりそうだった。


 広告映像の中の星さんは、さらにこちらへ指を伸ばした。


『今日は、いっぱい付き合ってね』


 最後に小さくウインクして、映像は別の化粧品広告へ切り替わる。


 それと同時に、鞄の中のスマホが震えた。


「どうだった? エモい待ち合わせ演出でしょ」


 いつもの画面へ戻った星さんが、得意げに胸を張っている。


「どうもこうもないです。何やってるんですか」


「デートの待ち合わせって言ったら、こんな感じでしょ?」


「いたずらが過ぎます。他の人に気づかれたらどうするんですか」


「でも道行く人には普通の広告にしか見えてなかったでしょ?」


「わざわざそんなことをするな。って言ってるんです」


 星さんはそれを聞いた途端、分かりやすく肩を落とした。

 さっきまで得意満面だった顔が、叱られた子供みたいにしょんぼり沈む。


「えぇぇぇー。喜んでくれると思ったのに」


 思った反応が返ってこなかったらしく、あきらかに不満そうな響きが混じる。


 人混みの中で立ち止まったまま、小さく息を吐いた。


「……別に、嫌ってほどじゃないですけど」


 そう言うと、星さんはぱっと顔を上げた。


「ほんとに?」


「驚いただけです」


「なーんだ。じゃあ成功じゃん」


 数秒前までのしゅんとした様子はどこにもなかった。

 ころっと元気を取り戻して、画面の中でにこにこと笑っている。


 先が思いやられる。


「じゃぁ、最初はどこに行きましょうか」


「朝何も食べてないからお腹減ってるんじゃない?」


「そういえば、そうですね」


「遅めのおしゃれブランチをしましょ」


 人の流れに乗って駅直結の商業施設へ向かう。

 その間も星さんはガラスに映る景色やすれ違う人の服装にいちいち反応していた。

 スマホの中にいるだけなのに、妙に忙しい。


 それを聞き流しながら歩くうち、今日一日ずっとこうなのか、と考えて少し気が重くなる。


◆    ◆    ◆


 案内されたカフェは、ガラス張りで明るかった。


 壁際の席には買い物の途中らしい若い客が多く、二人組やカップルが並んで座っている。

 トレーを持って行き交う店員の声と、食器が触れ合う高い音が絶えず混ざっていた。


 メニューを見ているだけなら普通のカフェなのに、星さんは入った瞬間からやたらに機嫌がいい。


 逆に、俺の方は落ち着かない。


 注文口でスマホへ視線を落とし、席に着いてからも画面へ向かって小声で返事をしているせいで、どう見ても独り言の多い客だった。

 店員はさすがに表情を変えなかったが、横を通った客がちらりとこちらを見たのは分かった。


「ここ、いい感じでしょ」


「まあ、普通にきれいですね」


「普通って言うなぁ。ちゃんと調べたのに」


 星さんは不満そうに言って、すぐメニューを拡大した。


「藤宮君、これにして」


 指さされた先を見て、少し黙る。


 期間限定、サマーツインフロート。


 説明文には、透明なブルーソーダに浮かぶ、ふたつの甘さ。

 二本のストローを通して同じ一杯を分け合えば、その味も時間も自然と重なっていく。


「……カップル向けのやつじゃないですか」


「うん」


「うん、じゃなくて」


「いいじゃない!こういうの憧れてたんだよ」


 駄々を捏ねる子供だった。


「これ、俺が一人で飲むことになるんですけど?」


「大丈夫。飲むのは一人でも、気持ちは二人だから」


「最悪のフォローですね」


「それに、見た目かわいいし。君こういうの頼まなそうだから、今日くらい経験しとこうよ」


 楽しそうに言う。


「嫌です」


「え、なんて言ったの?」


「嫌です。普通に恥ずかしいので」


 小声で言い返すと、星さんはさっきまでの勢いを少しだけ引っ込めた。


「ほんとに、ダメ?」


 画面の中で眉尻が下がる。

 露骨だと思うのに、その露骨さが面倒だった。


「今日のデート、最初のイベントなんだけど」


「その言い方やめてください」


「お願い。ほんとにこれだけ」


 これだけで済む顔ではない。

 絶対に次もある。


 それでも、注文口の前でいつまでも揉める方が目立つ。

 周囲の客から見れば、スマホ相手にごちゃごちゃ独り言を言っている痛い奴が、一人でメニューの前で立ち止まっているだけだ。


(……もう十分にそう見えている気がする)


 仕方なく、店員へその飲み物を頼んだ。

 星さんは横で満足げに頷いている。


 席に着いてしばらくすると、問題の飲み物が届いた。


 写真で見た通り、必要以上に華やかだった。

 背の高いグラスの中で淡い色が二層に分かれ、その上にクリーム、果物、ハート形のクッキーまで乗っている。

 隣の席にいた女子高生二人組が一瞬こちらを見て、すぐに目を逸らした。


 その視線が、ひどく刺さる。


 ストローを差して一口飲む。

 見た目に反して甘さはそこまでくどくなく、酸味があって普通に美味しい。


「どう? どう? おいしい?」


「まぁ、味はまともです」


「でしょ?」


 画面の中で、星さんが満足そうに笑う。


 その顔を見ると、これ以上文句を言うのも少し馬鹿らしかった。


 最初のころなら、もっと露骨に嫌がっていたと思う。

 今だって恥ずかしいし、今日一日こういう目で見られるのかと考えると暗い気分にもなる。


 それでも結局こうして付き合っているのは、推しの懇願に押し負けているからだ。

 本物ではなく、AIだと分かっているはずなのに。


「じゃ、次行こ。まだデートはこれからだから」


 さらっと言われて、頭を抱える。


(いつまで耐えればいいんだ)


◆    ◆    ◆


 カフェを出て、同じフロアをぶらつく。


 雑貨、コスメ、本屋、アクセサリー。

 休日の商業施設はどこも人が多くて、店先を覗くだけでも流れに乗るみたいに次の場所へ運ばれていく。


 星さんはそのたびに「これ好きそう」「あ、これ配信で使えそう」みたいなことを言っていたが、ある服飾店の前で急に動きを止めた。


「ねぇ、藤宮君」


「はいはい、なんですか」


「わたしに似合う服、選んで」


 ショーウィンドウには夏物のシャツやワンピースが並んでいた。

 淡い色の布が照明を受けて柔らかく見える。


「見て選ぶだけならいいですよ」


「やった」


 店の中へ入る。

 冷房の効いた空気の中で、ハンガー同士が触れる小さな音がした。

 店員が一度こちらを見る。

 さっきのカフェほどではないにせよ、スマホへ向かって小声で返事をする客はやっぱり少し浮いていた。


 星さんは画面の中から遠慮なく指示を飛ばしてくる。


「あのへん。白っぽいのと、もうちょい細いラインのやつ」


「自分で選んでるじゃないですか」


「最終決定は君に委ねてるから」


 言いながら、いくつか候補を見て回る。

 袖の形、布の落ち感、色の違い。

 普段なら気にも留めないのに、星さんの顔が浮かんだ途端、ひとつひとつがやけに具体的に見えてきた。


 細い肩には、軽い素材の方が似合う。


 色は真っ白より、少しだけ青みのある方がいい。


 主張が強すぎる柄物より、無地に近い方が、あの顔立ちには合う。


 嫌々見ているはずなのに、自分でも驚くくらい、すんなり判断が出てくる。


「これとか似合うんじゃないですか」


 手に取ったのは、薄いブルーグレーの半袖シャツだった。

 形はシンプルだが、生地が柔らかく、光の加減で少し表情が変わる。


 画面の中の星さんが、一瞬だけ目を丸くする。


「へえ」


「何ですか」


「いや、ちゃんと考えて選んでくれたなって」


 嬉しそうにされると、ちょっと困る。


 俺が選んだものでそんな顔をされると、自分が相手の特別な側へ少し踏み込んだみたいな気になる。


「じゃ、それ試着して」


「試着ってどうやって?」


「わたしの代わりに、藤宮君が試着して」


「はい?」


「着ているときの感じを見たいの」


「俺と星さんじゃ全然違うでしょう」


「雰囲気は分かるよ。たぶん」


 たぶん、で納得すると思ってるのだろうか。


「嫌です」


「また嫌なの?」


「当たり前でしょう。なんで俺が」


 星さんは少しだけ黙って、それからさっきカフェでやったのと同じように、分かりやすくしょんぼりした顔を作った。


「お願い。見たいの」


「見たいで押し切ろうとしないでください」


「今日の思い出になるから」


 意味が分からない。


 それでも、そこで突っぱねるより従った方が早いことは、もう分かっている。


 星さんはすでに「お願いします」と画面越しに試着室の方へ視線で促してくる。

 表情が完全に面白がっている。


 ここで揉めるのも目立つ。

 諦めてシャツを持ち、試着室へ入った。


「似合うじゃん」


「俺にですか」


「そこは今どうでもいいの。服がいいの」


 回れ、止まれ、今のもう一回、次々飛んでくる指示に付き合わされて、ようやく試着室から出る。


「じゃぁ、次はこれ」


 指された先を見て、思わず顔をしかめた。


 薄い色のワンピースだった。

 どう見ても女物だし、さっきのシャツみたいにまだ言い訳が立つ範囲でもない。


「無理です」


 即答したのに、星さんはまるで聞いていないみたいに勢いづいた。


「いやいや、そこで無理って切るの、藤宮君の悪い癖だよ。

 似合うかどうかも見ないうちから線を引くの、もったいないじゃん。

 減るものじゃないし、たぶん君が思ってるより似合うから、ちょっと袖通すだけでいいから。

 ね。

 先っちょだけでいいから」


「揶揄ってるだけでしょ?」


「やっぱバレた?」


 そのまま店を出て、帰ろうと駅へ向かう。


「あっ、待って待って。もうしない、しないから待って」


「次やったら本当に帰りますよ」


 結局そのまま駅へ入る気にもなれず、仕方なく人の流れに紛れて、周辺をだらだらと歩き直していた。


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