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23話

 土曜の朝は、アラームなしで目が覚めた。


 平日より少し遅いだけなのに、部屋の明るさが違う。

 カーテンの隙間から入る光が遠慮なくて、寝直すにはもう遅かった。


 枕元のスマホは、俺が触る前から起きていたらしい。


「おっはようー。ねぇねぇ、今日どこ行く?」


 第一声がそれか、と思う。


「……起きた直後にいきなりそれですか」


「だから聞いてるんじゃん。

 休日を一秒たりとも無駄になんかできないでしょ。

 早く予定決めようよ」


「どこにもいきませんよ……」


 喉の奥に残った眠気を押し流すみたいに息を吐いて、上半身を起こす。

 スマホの画面では、星さんがすでに外へ出る気満々の顔をしていた。


「今日は洗濯して、掃除して、溜まっていた家事をやります」


「はぁ!?」


 露骨に不満そうな声が返る。


「その並び、休日の朝いちばんに聞きたい単語じゃないなあ」


「生活ってそういうものでしょ」


「もっとこう……あるじゃん。映画とか、水族館とか、カフェとか」


「ないです。少なくとも俺の部屋には」


 そう返して布団を出る。

 足の裏に触れる床が少しぬるい。

 六月までなら朝の涼しさで誤魔化せたのに、七月に入ってからは何もしていなくても部屋が生活の熱を持っている。


 洗面所へ向かう途中で、背中に星さんの声がついてきた。


「でもさあ、せっかく大学ないんだよ? わたし、今日はもうちょっと休日っぽいことしてもいいと思う」


「昼過ぎまでに家事終わったら考えます」


「言ったね? 約束だからね? 破ったら許さないよ?」


 鏡の前で顔を洗う。

 冷たい水が気持ちいいのは一瞬で、顔を上げたころにはもうどうでもよくなっていた。


 休日だからって、急に生活の手順が消えるわけじゃない。


◆    ◆    ◆


 洗濯機を回しているあいだに、床に散らばった教科書とレジュメを机へ寄せる。


 ハンガーを持ってベランダへ出ると、空気がもう朝じゃなかった。

 日差しは強いのに風だけ半端に湿っていて、すぐ戻りたくなる。


「暑っ」


「でしょ。だから出かけるなら、早い方がいいんだって」


「じゃぁ、もう今日は手遅れですね。今度にしましょう」


「ちょちょちょ……」


 彼女が画面の向こうでふくれっ面をしている。


 洗い上がったシャツを広げる。

 水を含んだ布の重さが腕に残る。


 背中側では、スマホスタンドに立てた星さんが、じっとこっちを見ていた。


「藤宮君ってさ、休みの日までちゃんとしてるね」


「褒めてるんですか、それ」


「半分は。半分は、つまんないなって意味」


「素直でよろしい」


 返しながら洗濯物を順に干していく。

 Tシャツ、タオル、靴下。

 並べるものが生活そのもので、見ていて楽しいものではない。


 やることがないのか、星さんは飽きずに口を出してくる。


「ちゃんと一人暮らししてるんだね」


「そうですね、寮出てから大分経ちますからね」


「一人暮らしならもっとだらけてもいいと思うんだよね」


「俺も忙しいときは雑になりますよ。でもちゃんと出来るときはしたいだけです」


「ふーん……」


 ベランダから戻って、今度は掃除機を引っ張り出す。


 コンセントを差したところで、星さんが含みのある声を出した。


「……ちゃんと掃除もするんだ」


「放っておくと汚れが溜まりますからね」


「そうだけどさ」


 その間が妙だった。


 掃除機のヘッドを床へ置きながら、何となく口にした。


「そういえば、星さんって昔から部屋汚いって有名でしたよね」


 一拍、沈黙があった。


「……は?」


「いや、配信でたまに言われてたじゃないですか。片づけ苦手だって」


「違う違う違う」


 激しく首を横に振って否定が返ってきた。


「それ、だいぶ盛られてるからね? わたし、別にゴミ屋敷の住人じゃないし」


「ははは、そこまでは言ってないですよ」


「あのね、わたしゴミに囲まれて生活なんてしてないからね」


 その言い方に、少しだけ苦笑してから返す。


「じゃあ違うんですか」


「違うよ。掃除の優先順位が低かっただけ」


「掃除してないことを認めてますよ」


「違う違う違う。

 あ、あと忙しかったし。

 片付ける時間がなくって、そしたら机の上に置き場所がなって、仕方なく床へ物が置かれるでしょ」


「床へ物が置かれるの、かなり末期じゃないですか」


「言い方!」


 画面の中で、星さんが本気でむっとした顔をした。


 けれど、その反応の早さが少し面白い。


 掃除機をかけ始める。

 低い音が部屋の空気を震わせ、床を滑るヘッドの動きに合わせて、机の下のほこりが目に入る。

 週に一回はやっていても、こういうのはなくならない。


 星さんは負けじと声を張った。


「ていうか、七味のみんなが勝手に面白がってただけだからね。

 脱いだ服が床に散らばってるとか、飲み終えたペットボトルが足元に転がってるとか、その程度で『生活感やばい』とか騒ぐじゃん、あの人たち」


「十分やばいと思いますよ」


「それは本当にひどいときだけだから!」


「そうでしたっけ?」


「みんなが何度もネタにするからだよ!そういうイメージがついちゃっただけ!」


 掃除機を止める。

 静かになると、彼女の言い訳だけが鮮明に聞こえた。


「じゃあ、よく風呂入らないっていうのも盛られてるんですか」


「……何でそこまで知ってるの?」


「七味なので」


 今度は、あからさまに嫌そうな顔をされた。


「あれも違うから。

 入らない日がある、じゃなくて、配信終わって気力尽きて寝落ちした日がたまにある、くらい」


「じゃぁ、朝起きてから風呂入ってたんですか?」


「……入ってない」


「結果は一緒ですよね」


「結果で人を裁くな」


 当たりが強い。


 けれど、その必死さが、逆に図星っぽく聞こえる。


「藤宮君って正論で人を殴るタイプだよね」


「そんなことないと思いますよ?」


「配信コメントはもっと紳士だったのに、なんでこんなに辛辣なの」


「配信はもっと他に人がいますからね。

 小さなことでも、みんなで一斉にやると大きくなるんで、その分抑えてたんじゃないですか」


「……お気遣いどうも」


 星さんが一瞬だけ黙って、それからわずかに顔をそむけた。


「でも、汚い、臭いが許されてるのって女性だけですよね。

 男がそれやってたら普通にドン引きですよ」


「それは……そうかも」


「女性でも若いうちはネタになるけど、年取ったおばさんがそれだと、普通に嫌ですよね」


「うっ……」


「汚い、臭い、おばさん、って大分終わってますよ」


「……」


 画面の向こうで星さんが、白目で視線を漂わせたまま、呆けたような顔をしていた。


◆    ◆    ◆


 キッチンでフライパンを火にかける。

 油が温まるまでの短い時間に、冷蔵庫から卵とハムを出して、昨日の余りのポテトサラダもそのまま皿へ移した。


 卵を落とすと、白身がじわっと広がった。

 小さな音と一緒に、昼の気配がようやく部屋へ入ってくる。


 ハムを焼きながら、トースターへ食パンを入れる。

 凝ったものを作る気はないが、せかせか食べる必要もない。

 休日の昼なんて、そのくらいでいい。


「藤宮君って、女子力高いって言われない?」


「いや、ないですね」


「そんなバカな」


「これくらい普通ってことじゃないですか」


「いや、でも、休日にちゃんと自炊して、洗濯して、掃除してるんだよ?」


「一人暮らしならそのくらいしますよ」


「ぐうの音も出ない」


 食べ終わるころには、部屋の空気も少し落ち着いていた。

 満腹になると、さっきまでの家事の疲れが遅れて上がってくる。


 食器を流しへ運んで、フライパンだけ軽く洗う。

 洗濯物の具合を一度見にベランダへ出て、戻って麦茶をもう一杯。

 ゆるい午後が続いていた。


 やることが片付き、手持ち無沙汰に部屋を見回して棚のゲームに気づいた。


「手も空いたし、ゲームでもしますか」


「やった」


 二つ返事だった。


◆    ◆    ◆


 ゲーム機を起動して、何をしようかソフトを選ぶ。


 目に留まったのはカートゲームだった。

 配信でもやってた彼女のお気に入りのゲームの一つだ。


「配信以外でやるのは久しぶりかも」


 星さんはそう言って張り切る割に、最初のスタート直後から見事に壁へ突っ込んで行った。


「え、ちょっと待って。今の絶対わたし悪くない」


「スタートして三秒でしたよ」


「違うって。いまちゃんと操作したはずだよ」


「あー、よくある言い訳ですね」


「ちっがーう!ほんとに操作したんだよ」


「はいはい」


 二戦目も似たようなものだった。

 ショートカットへ入ろうとして柵にぶつかり、そのあと焦って変な方向へドリフトして、結局また後ろへ沈む。


「……納得いかない」


「もう二連敗ですけど」


「こういうアクション系、通信誤差がだいぶ出るんだって。

 配信の環境でやればもっとちゃんとできるんだから」


「便利な言い訳ですね」


「言い訳じゃないよ。

 入力してから反映されるまで、ほんの少し間があるの。

 君はそのまま触ってるけど、わたしはスマホ通してるんだから不利」


 たしかに、彼女の側にだけ余計な一拍があるのは分かる。


 分かるが、それはそれとして負けているときの星さんは面白かった。


「じゃあ、別のにします?」


「する。こんなの不公平すぎる」


「負けたから言ってるだけでは?」


「不公平だから負けたの」


 言い切られると、少し笑う。


 カートゲームを閉じて、今度は操作の速さが物を言わないものを探す。


 最初はオセロだった。


「え」


 開始五分で、盤面の端を全部取られた。


「ちょっと待って」


「待たないよ。こういうのは待ってる方が負けるから」


「急に強くないですか」


「急じゃないよ。もともとわたしはゲーム得意なんだから」


 二戦目も負けた。


 三戦目は五目並べに変えたが、今度は三手目くらいから露骨に誘導されて、気づいたときには逃げ場がなかった。


「……うわ」


「はい、またわたしの勝ち」


 星さんの声が、先ほどまでより明らかに機嫌いい。


 盤面を見下ろしたままそう言うと、彼女は少し得意げに笑った。


「勝ってるからね。藤宮君だって、さっきカートで勝ってるとき楽しそうだったじゃん」


「まぁ、そうですけど、でもこれはちょっと」


 そのあと、トランプゲームをいくつか挟んだ。


 スピード感のある勝負は苦手でも、手札を読むものになると彼女はやたらに強い。

 こっちが安全だと思って切った札の先を、最初から読んでいたみたいに潰してくる。


 手札を一枚置いた瞬間に流れをひっくり返されて、思わず眉が寄る。


「またですか」


「まただね」


 あっさり返されるとさすがに悔しい。


「でもちょっとずるくないですか?」


「うん?なにが?」


「だって星さんAIなんだから、思考するゲームで人間が勝てるわけないですよね」


「負けてるからって言い訳は見苦しいよ」


 画面の中の彼女は、ドヤ顔でこちらを見下している。

 すっかり立場が逆転してしまった。


「いや、でもそれはそうでしょう。

 チェストか将棋とか、ボードゲームじゃ人間はAIの計算量に勝てないですよ」


 言いながら、手元の盤面を指先で軽く叩く。


「やっぱり、ゼロサムゲームじゃ人間が不利すぎます。

 もっと運の要素が絡むゲームじゃないと、勝負になりません」


「うーん……」


 星さんはすぐには言い返さなかった。

 勝っているときの勢いのまま押し切るかと思ったのに、そこで少しだけ目を細める。


「まあ、それはそうかも」


「しぶしぶですね」


「しぶしぶだよ。だって今すごく気分いいし」


 正直すぎて、少し笑う。


「でも、カートのときはわたしが不利だったんだから、おあいこでしょ」


「それとこれとは違うと思いますよ」


 結局、そこからも何戦か続けた。

 オセロをもう一局やって、今度は少しだけ粘って、それでも最後はひっくり返される。

 麻雀をやることになって、ようやく一回俺が勝ち、その後は結局全部負けてしまった。


◆    ◆    ◆


「日、暮れましたね」


「ほんとだ。休日って終わるの早すぎない?」


 星さんがぽつりと言った。


 その声は軽かったが、冗談だけでもなさそうだった。


「まだ夜ではないですけど」


「でも、もう今日は大体終わりじゃん。

 このあとごはん食べて、お風呂入って、だらっとしてたら終わるよ」


「まあ、そうですね」


「ほらね」


 画面の中で、彼女が少しだけ唇を尖らせる。


「わたしはもうちょっと、休日っぽいことしたかったな」


 そう言われても、今日一日が失敗だった感じはしない。


 洗濯は終わったし、部屋も片づいた。

 昼はゆっくり食べたし、ゲームもした。

 十分だと思う。


 思うのに、その言い方だけが少し引っかかった。


「また今度でいいじゃないですか」


「その“今度”が、いつ来るかなんて分かんないよ」


「まだ明日も日曜で休みですよ」


「明日はわたし、配信とか仕事あるし」


 そこでようやく、引っかかりの理由が分かった。


 俺の中では、休日の延長みたいに明日も彼女がいる前提になっていたらしい。


「……仕事あるんですか」


「あるよ。何その驚き方」


 画面の中で、星さんが呆れたみたいに眉を上げる。


「もしかして、わたしのこと毎日暇してる人だと思ってた?」


「そこまでは思ってないですけど……」


 いや、思ってた。

 朝から起こしにきて、毎日大学についてきて、帰ってきても普通にいる。

 いつ話しかけてもすぐ返ってくる。

 そんな彼女にも別の時間があることを想像していなかった。


「じゃあ、明日はずっと居ないんですか?」


「そうだね。

 話しかけられてもすぐは出られないかも。

 チャット入れといてくれたら、あとで見るよ」


 システムメンテナンスでサービスが一日止まるようなものだろうか。


 そうと知っていればもうちょっと遊べばよかったな、と思いながら、立ち上がる。


 明日が少し静かになるだけで、やること自体は何も変わらない。


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