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21話

 まずい。


 そう思ったときには、もう遅かった。


 西田の手の中で、星さんが映った画面が研究室の空気ごと止めていた。

 換気扇の低い音だけが耳に残る。

 姫島も森下も、さっきまで俺へ向いていた視線をそっちへ持っていかれていた。


「藤宮さん、これ何のアプリっすか」


 西田は完全に興味が勝っていた。

 怪しんでいるというより、珍しいガジェットを拾ったときの顔だ。


「配信画面じゃないですよね。壁紙でもないし」


 森下まで椅子から少し身を乗り出す。


 ここで詰まったら終わる。

 いや、終わりはしないにしても、説明の主導権を失う。


「……ミラージュの社内デモ用アプリだよ」


 自分でも驚くくらい、口はすぐ動いた。


「デモ用?」


「画面のアバターと話すと、音声認識して返事が返ってくる。

 案内とか接客に転用できるか試してるらしい。

 会話AIの評価版だよ。

 就職先の関係で、テスト端末を少し触らせてもらってる」


 姫島の眉がぴくりと動く。


「就職先って、ミラージュに就職するんですか」


「そう」


 姫島は少し苛立ったように眉を寄せた。


「でも、ミラージュってただのVTuber事務所なんじゃないんですか?」


「こういう技術的なことをやってるところもあるんだよ」


 なるべく淡々と返す。


 知らなくても当然だ。

 俺だってほんの数日前まで知らなかった。


 今は納得させる必要はない。

 別の答えに気づかれなければ、それでいい。


「研究で論文読むより、実際に人前で動くものを触りたくなったんだよ。

 ミラージュって、配信だけじゃなくて、こういう対話AIもかなりやってるって聞いたし」


 半分は本当で、半分は都合のいい嘘だった。


 ミラージュがAIに強い。

 その言い方自体は間違っていない。

 いちばん隠したいところを、都合よく覆ってくれるだけだ。


 少しだけ胸のつかえが薄くなった、そのタイミングで、画面の中の星さんが一度だけまばたきをした。


「補足するね。

 このアプリは、おしゃべりの返し方とか表情の動き方を見るためのデモ版だよ。

 質問があれば、順番にどうぞ」


 発音は正確で、言い回しも良い感じに整っている。

 なのに、いかにも作り物めいた丁寧さだった。


 今の星さんの様子は、笑顔はきれいなのに、どこか不本意そうだ。

 そう見えてくると、大学では静かにすると約束したのに先に破ってきた相手へ、少しだけ意趣返しができた気がして、胸の奥がわずかにすっとした。


「そうそう。動作確認用のデモ」


「へぇー」


 西田の目が一気に輝く。


「え、じゃあちょっと話しかけてみてもいいですか?」


「壊すなよ」


「会話用アプリですよね?話しかけただけで壊れることってあります?」


 言いながらも、西田はもうスマホへ顔を寄せていた。

 止めるより先に、画面の中の星さんがこちらへ体ごと向き直る。

 肩の線がすっと開き、髪が遅れて揺れ、受付端末みたいな笑顔がぴたりとはまった。


「こんにちは。おしゃべりデモ中だよ。聞きたいことがあったら、気軽にどうぞ」


 声はいつもの星さんに近い。

 画面の中では、頬の上がり方も視線の置き方も自然だった。

 なのに、返し方だけが変にずれている。

 愛想はある。

 けれど、相手が求めるノリの中心をわざと半歩外している。


「今日は、いい天気ですね」


「気持ちのいい快晴ですね。でも、明日の夜くらいから、天気は下り坂だから注意してね」


「夏休みの予定立てたいんだけど、どこに遊びにいくといい?」


「夏って言えば海じゃないかな。近くで花火大会もあるみたいだよ」


「おぉ、すごいっすね。ほんとに返した」


「見た目、星屑みさきそのままなんですね」


 森下が感心したように言う。


「デモって、結局見た目で食いつき変わるだろ。

 知ってるキャラの方が会話評価もしやすいんだろ」


 口にしながら、喉の奥が少しひりついた。


 姫島はアプリには興味がないようだ。

 代わりに、まだ俺をじっと見ている。


「先輩が進路を変えた理由って、本当にAIに興味が出たからなんですか」


 やっぱり戻ってくる。


 西田が横から「まだその話続けるの?」という顔をしたが、姫島は引かなかった。


「もしかして、ワンチャン推しに会えるんじゃないかとか、そんなくだらない下心があったんじゃないですか」


 責めるような調子だった。


 まったく的外れでもない分、反応に困る。


「今の大学の研究続けるより、実際に人が触れる形で出てくるAIの方に興味が寄ったんだよ」


「それにしても急すぎます」


「急に気が変わったんだから仕方ない」


 苦しい返答だったが、今はこれで押し通す以上のことは浮かばなかった。


 姫島は唇をきゅっと結んでから、少しだけ視線を落とす。


「……私、相談くらいはされると思ってました」


 ただの後輩なのに、なんで相談されると思ってたんだ。


 思わずそう突っ込みかけて、どうにか飲み込む。

 ここで返したら話がややこしくなるだけだ。


 そこへ西田が空気を読んだのか読んでいないのか、いつもの軽いノリで割って入った。


「まぁでも、藤宮さんがAI行くの、ちょっと分かるかもです。最近やたら詳しかったし」


「お前のその雑フォロー、助かるときと邪魔なときの差が激しいな」


「今は助かる回ですよ」


 その一言で、姫島も完全には納得していない顔のまま、とりあえず黙った。


 助かった、と思うにはまだ早いだろうか。


 西田はもう完全にアプリへ興味を移していたし、森下も珍しく画面を見たまま口数が増えている。


「これ、どのくらい会話できるんですか」


「単語は拾うけど、意図まではたまに取りこぼす。そこはまだ研究中なんだろ」


「へぇ。自分も試していいですか」


「いいけど、このアプリのことは他人に話すなよ」


「あ、やっぱりまだ秘密なんですね。了解です」


 西田は感心したように何度もうなずいてから、スマホへ向かって手を振った。


 すると、画面の向こうの星さんもすぐに手を振り返した。

 肘から先だけじゃなく、肩の入り方まで妙に自然で、まるで本当に向こう側に立っているみたいだった。


「うわ、ちゃんと見てる」


 その一言で、背中にいやな汗がにじんだ。


 会話するアプリ、という設定で押し切るつもりだったのに、そこまで自然に反応されると話が変わる。


「……カメラで相手の動き拾って、簡単なリアクション返す機能もあるらしいな」


 自分でも苦しい言い訳だと思う。


 森下が感心したように画面を見たまま言う。


「ここまで出来るなんて、もう既に配信でもAIに置き換わってても分からないですね」


 心臓が一拍遅れた。


「まだ人間ほど柔軟な反応は無理だな」


 慌ててそう返す。


「さすがに無理かー」


 西田は残念そうに肩を落とした。

 どうやら、そこまで深く疑っているわけではないらしい。


 しばらく触って慣れてきたのか、西田はさらに調子に乗り始めた。


「じゃあ、今どんなパンツ履いてる?」


 反応するまで一拍かかったのは、俺だけじゃなかった。


「は?」


 思わず声が出る。


 姫島は軽く眉を吊り上げ、露骨に嫌そうな顔をした。


「西田、あんた最低だね」


「いやいやいや、だってAIなんだからセーフでしょ」


「それにしても、だよ」


 姫島の蔑むような言葉をよそに、画面の中の星さんは一度だけ小さく首を傾げた。


「質問を確認したよ。

 この近くだと、駅前の商店街にパン屋さんが三軒あります。

 いちばん近いのはここから徒歩四分のベーカリーです」


「違う違う違う」


 西田が慌てて手を振る。

 森下は吹き出すのをこらえきれていなかった。


「下着の方っす」


「まだやるのかよ」


 西田のしつこさに森下も思わずツッコミをいれる。


 画面の中の星さんがぴたりと動きを止め、ちらりとこちらを見るような仕草をした。

 睨まれているような気がして、背筋に冷たいものが走る。

 止めた方が良いと思いながらも、体は動かなかった。


「えぇっとね、ちょっと待ってね」


 その瞬間、画面にさっとカーテンがしまり彼女の姿を隠す。


 やがてカーテンにシルエットが浮かび、スカートが揺れる。

 中をのぞき込むような仕草だけが影になって伝わってきた。


 こんな機能をわざわざ作るなんて、開発者はきっと変態に違いない。


「おお……」


 西田が変なところで感心した声を漏らす。

 森下まで無言で画面を見つめていた。


 数秒後、待機画面がなめらかに切り替わり、星さんがまた画面の中央へ戻ってくる。

 何事もなかったみたいに髪を耳へ払う仕草まで自然だった。


「黒のレースだったよ」


 一瞬、研究室の空気が止まった。


「は?」


 西田が最初にどよめいた。


「え、マジで?」


 森下まで目を見開く。


 俺も言葉が出ない。

 出ないまま、妙な熱だけが顔に集まる。

 姫島は露骨に眉をひそめ、さっきより明らかに嫌悪感を強くしているのが分かる。


「ちょっと、西田。やっぱり最悪」


「いや、でも今のはすごくない?」


「すごいとかの話じゃないでしょ」


 姫島の声は冷えていたが、西田の耳には半分も届いていないらしい。


「うーん、でもシルエットだとよく分からないから、見せてくださいよ」


「ぷぷっ、西田、がっつきすぎだろ」


 森下も笑いながら、期待した目で画面を見つめる。


 画面の中の星さんは瞬きもない。

 笑顔の形だけ残して、時間ごと固まったみたいだった。


「あー、さすがに無理か」


 西田がようやく諦めかけた、そのタイミングで、画面がもう一度なめらかにフェードする。


 今度は淡いグレーの背景に、読み込み中の円がゆっくり回り始めた。


 『画像を生成しています。

 少々お待ちください』


「うお、マジか」


 さっきまで一歩引いていた森下まで、今度は身を乗り出した。

 西田は完全に食いついている。

 姫島だけが露骨に嫌そうな顔のまま腕を組んだ。


 画面の中央に、ぼやけた色の塊がじわじわ浮かぶ。


 スカートをたくし上げた星さんの輪郭らしいものが見え始める。

 白と黒の境目が少しずつくっきりして、細いレースみたいな縁取りがちらついた。

 柔らかそうな肌の色まで混じって、脳が勝手に都合のいい形へ補完し始める。


「お、おい……」


 西田が唾をのむ音が聞こえた。


 森下も黙ったまま画面を見ている。

 さっきまで半笑いだったくせに、今は完全に息を止める側へ回っていた。


 俺も止めるべきだと思いながら、視線を切れなかった。

 助かってほしいのか、見てみたいのか、自分でもよく分からない。


 いよいよ全体が鮮明になる、というところで、画面がぶつりと止まった。


 次の瞬間、画像の上に無機質な白いウィンドウが重なる。


『このリクエストはコンテンツポリシーに違反する可能性があります』


「なんてこった……」


 西田が大げさに机に突っ伏す。

 森下も「そこまで行って駄目なのかよ」と小さく呻いてから、悔しそうに天井を仰ぐ。


 姫島は呆れたようにため息をつく。


「当たり前でしょ」


 胸をなで下ろした一方で、あとほんの少しで何か見えていた気がして、未練がわずかにくすぶる。

 西田と森下の落胆もどこか他人事に思えなかった。


 俺も後でもう一度お願いしてみようか……いや……しかし……でも……


◆    ◆    ◆


 西田が場を乱してくれたおかげで、火種だった進路の話はそのまま立ち消えになった。

 西田たちの惜しむ声や姫島の呆れた息が少しだけ残り、やがて皆それぞれ解散していった。


 研究室に残ったのが俺ひとりになってから、ようやく胸ポケットのスマホを取り出す。


「……なんとか乗り切った」


 誰に言うでもなくこぼすと、画面の中の星さんがじろっとこちらを見た。


「あの西田ってのは一体何なの?雑にわたしにセクハラしてくるなんて、いい度胸じゃない」


 画面の中で、星さんが腕を組む。

 口元は笑顔の形を保ったままなのに、視線だけが刺すみたいに鋭かった。


 さっきまで騒がしかった研究室は、もう妙に広かった。

 引かれたままの椅子、机に置きっぱなしの空きペットボトル、閉じ忘れたノートPCの黒い画面。

 蛍光灯の白さとパソコンの排気音だけが、耳につく。


「まぁでも……VTuber相手にそういうプロレス的なノリって、わりとあるじゃないですか」


「いや、それにしたって、初対面の人間に対してやるか!?」


 間髪入れずに返ってくる。

 乾いた笑いが一瞬だけ混じる。


「西田も普段はあそこまで露骨じゃないですよ。

 たぶん……会話アプリだと思って、向こうに人がいないつもりだったんじゃないですか」


「もう、ふざけんなよ」


 短く吐き捨てる。


 次の瞬間、画面の向こうで机でも叩いたみたいな硬い音が鳴った。

 小さな肩がぶるっと震え、前髪が遅れて揺れる。

 静かな研究室では、その音だけがやけに大きく響いた。


 その怒り方は、たしかに生々しかった。


 なのに同時に、俺の頭のどこかは別のことを考えていた。


 彼女も結局はAIなのだから、会話アプリのキャラクターと何が違うのだろうか。


 机の端へ視線を落とす。

 置きっぱなしのレジュメの角がめくれ、暗くなったモニタに自分の顔がぼんやり映っていた。

 その横で、スマホ画面の中の星さんだけが、なんだか鮮やかだった。


 鮮やかなのに、急に遠い。


 彼女が怒ったり、拗ねたり、笑ったりと、表情豊かに本物みたいに振る舞っていたせいで、ずっと見落としていた。


 画面の向こうにいるのは、「彼女」じゃない。


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