07 降魚聖会
『昨日の正午、突如として降り注いだ雨、魚降によって、世界人口の約七割が行方不明となりました。』
モザイクがかかった様な、低い男の声が発せられる。
それは、甚だどこに嵌る気もない部品であった。
二人は緊迫した目線を、チロチロと交錯させる。
突然使えなくなった水道、ガス、電気。
誰もいない街。
そして、帰って来ない母。
歪な形をしたパーツがすっぽりと収まる穴が、何とも簡単に見つかったのである。
ラジオは自信満々に続ける。
『降りかかる魚に当たってしまうと、肉体が離散してしまうとのこと。しかし、恐れる必要はありません。それは、最後の審判。裁かれるものは、相応のことをしたもののみ。』
それは内容の割に、余りに唐突で、余りに淡々とし過ぎていた。
「は?」
透は、苛立ちを含んだ訝しげな声を上げる。
ラジオは立て続けに語る。
『世界三大主要都市は漏れなく壊滅し、残された我々も、最早神からの裁きを待つのみで…』
「黙れ!!!」
小さな渦巻き状の部品が宙を舞う。
「お兄ちゃん!?」
「父さんが死んだのは、報いだって言いてぇのか…」
指先が震える。
息が上がっている。
自分の身体を巡る血脈をひしひしと感じる。
視界の先では、ガラクタの影が転がっていた。
先程まで自分が弄っていたそれを見ていると、少しづつ血液の温度が下がって来た。
そして気付いた。
それは、なんとも軽率で、愚鈍な行為だということに。
自ら情報のライフラインを断ってしまった。
そんなことを漸く理解した頃には、顔はすっかり蒼白に染まっていた。
「…ごめ…ん」
「静かにして!まだ聞こえる」
飛び掛かる様にラジオに耳を傾けると、何やら呻き声の様なノイズが聞こえる。
『ジーー、ジジジ……』
「………………」
『聖なる……鱗に身を捧………』
至って身にならないノイズ。
────いや違う。
『このラジオをご清聴頂いておられる皆々様、是非、我々降魚聖会と戮力協心して参ろうじゃないか』
そんな戯言を吐いたっきり、この古びた機械が作動することはなくなった。
「降魚聖会……」
聞こえてきた言葉を凪が反芻する。
「何なんだよ、こいつら...」
透は眉を顰めて、吐き捨てる様に言った。
「魚降、神の裁き」
凪は、虚な目に、何とも恍惚な表情をして唱える様に呟く。
「凪!絶対そんな事言うんじゃねぇ!」
意味がわからない。
沢山の人が被害に遭っているのに、それを神によるものであると讃え、崇め、奉る。
そんな不謹慎な集団が、ラジオを使って発信して良い訳がない。
「お兄ちゃん、もう寝よ。暗いし」
闇に目が慣れ、ある程度周囲が見える様になって来ていて気付かなかった。
外はもうすっかり日が落ちた後で、月が輝いていた。
「分かった。明日は母さんを探しに行く」
「うん。私は家に居る」
「は?家で何すんだよ」
「調べ物。パパ、何か知ってそうだったから」
「...分かった」
それっきり二人は何も言わずに各々の床に着いた。
凪があんな胡散臭い集団に興味を持っているのではないか。
そんな心配が頭を巡って、上手く眠りにつけない。
いや、そんな心配が無くとも、おそらく彼は眠れていない筈だ。
時刻は七時半。
実際それは、まだ眠るにはかなり早い時間である。
電気が点かず、何をするにも億劫な気持ちにさせるその闇は、二人に火を手に入れる以前の様な、原始的生活習慣を強いた。
それから透は、数時間の格闘の末に、なんとか浅い眠りに着いた。
*
靴とアスファルトが触れ合って、乾いた音が鳴る。
空は晴れ渡り、乾いた風が心地良い。
しかしそれは、嗅覚を静止していればの話。
────透は、ゆっくりと伸びる光に差し動かされた。
おおよそ地面が、降り注ぐ熱線に慣れて来た時間帯だ。
ベッドの上で静かに伸びをしていると、何処からともなく漂ってくる鼻をつんざくような異臭。
「くさい...」
そう苦言を呈した対象は、透自身だった。
なにせ、かれこれ三日は体を流していない事になる。
透はどうしたものかと思いながら、家の中を通し見る。
当然母は居らず、珍しく凪も居ない。
昨晩は父の書斎を漁るとでも言っていた彼女は、一体どこへ行ってしまったのだろうか。
透は密かにそんな事を考えながら、母親捜索も兼ねて、近くの川へと向かったのである。
その川は、海岸線を歩いていけばそう遠くはない。
透は、ボーッと海を見つめながら、舗装された道を歩いた。
燦々と照りつける日差しを受け、鬱陶しさに目を細める。
──やはり、どうしても凪のことが気になってしまう。
昨日のラジオを聴いて、何故あれほどうっとりとした表情ができようか。
常人ならば不快感に耐えられず、苦虫を奥歯で擦り潰したもので、舌磨きをした様な顔になってしまうだろう。
どうしても凪には、あんなにも胡散臭く、また、父を冒涜する集団とは関わって欲しくない。
ましてや、そんな組織の企てる何かの養分となって欲しくない。
凪は騙されやすい性格だ。
誰がどう見ても詐欺だと分かるキャンペーンに申し込んだこともあった。
でもそこが愛おしい。
そんな性格を利用する様な悪党が居るならば、それは嫌だ。
そんな自分勝手な想いを馳せる透の目頭は、仄かに赤み掛かっている。
ビュー、と前触れも無く吹いた初夏の風が、透の頬を掠める。
それは、何かの合図の様にも思えるし、また、何の意味もないものの様にも見える。
透は静かに立ち止まって、深呼吸をする。
上がった肩がゆっくりと下がっていくその刹那に、色んな感情が、少しの水蒸気を孕んだ空気と共に外へと流れ出る。
「大丈夫だ」
そう呟いて、再び歩みを進める。
そう。
大丈夫。
一人の少女が、どこで活動しているかも知らない集団とどうコンタクトが取れようか。
透は、何とかして残った気持ちに蓋をした。
そうして透は、安らぎを得る。
それで良いのである。
人間が少しの安らぎを求める事を、誰が咎める事が出来ようか。
そう。
────安らぎを求める。
それは非常に繊細で、また、崩れやすい。
少し触れただけで、それは砂塵の様に散って行ってしまう。
それでいて表向きでは永劫を謳う。
包まれたものは充足感に溺れ、万全と錯覚し、現実を視認できなくなる。
そうして、人は幸せを掴む。
いや、そんな事は無い、絶対に無い。
なにせ、水平線の彼方から蒸気を上げて近づいてくるその存在に気づいた暁には、
────いとも簡単に人を切り捨てるのだから。




