04 空っぽの街
太陽は再び昇り、地球に光をもたらす。
何億キロメートルも離れたところから発せられたそれは、カーテンの隙間を縫って透の部屋を静かに照らす。
やがて透は目を覚ました。
かつてない程穏やかで、静かな朝だった。
静まり返った家は、まるで世界に自分一人しか残されていないかのような錯覚を起こさせる。
軽く伸びをして、両親の寝室を覗く。
そこはガランとしており、最初から誰も使っていないとすら思えてしまう。
階段をゆっくり降り、洗面所へ向かう途中、リビングを通る。
目を腫らした凪が、くしゃくしゃのブランケットに包まってスヤスヤと眠っていた。
いっぱい泣いたのだろう。
気持ちの整理がつかないことには、充分過ぎる程共感できる。
時計の針は八時を指していた。
良い時間だが、凪を起こす気にはなれない。
洗面台の鏡に映る自分の瞼も、醜く浮腫んでいた。
やけに落ち着いた気分でいられるのは、昨晩、感情を使い果たしてしまったからだろう。
変に水圧の低いシャワーヘッドで顔を洗い流し、深呼吸をする。
すると、リビングの方からゴソゴソと蠢く音が聞こえてきた。
「おはよう、お兄ちゃん」
「おはよう、よく眠れたか」
「うん。……ところで、ママは?」
「.......」
「まだ、帰ってきてないの?」
凪の不安気な顔に透の心は浮ついた。
もしかしたら、本当にもう帰って来ないのかもしれない。
或いは、母さんはもう─
最悪の事態が透の頭をよぎる。
だが、今の自分が動揺を見せるわけにはいかなかった。
「凪、何だか静かすぎないか?あれからずっと」
凪は、重い戸を押すかの様に口を開く。
「私、思ったんだ。」
「うん」
「もしかしたらさ、みんな、あの雨で消えちゃったのかも」
「……そんなこと、まだ分からないよ。外に行ってみよう」
妹の不安を否定しきれない自分を隠し、二人は外へ出た。
アスファルトには昨日の水たまりが残り、西から仄かな潮の香りが漂ってくる。
しばらく歩いても、人っ子ひとり居ない。
「まさか、本当に...」
「決めつけるにはまだ早いだろ。街の方にも行ってみよう。」
透は声を無理やり張って言う。
そんな様子に凪は小さくうなづいた。
潮室団地の西側に位置する銀翠谷。
かつて山を切り開いて作られた大都会。
高層ビル群が鬱蒼と生い茂るあの街なら、きっと誰かが居るはずだった。
*
「もし」
途中で凪が足を止めた。
朝からずっと思い詰めた様子の妹の顔色は、以前の天真爛漫な彼女とはまるで違っている。
「もしさ、本当に私たち以外居なくなってたら、どうすれば良いのかな」
凪の目が潤む。
その様子に透の胸も締め付けられた。
「もしそうなったとしても、取り戻せる方法はあるかもしれない。俺は、最後まで諦めたくない」
「そう、だね」
「それに、まだ街の方を確認した訳じゃないだろ?」
張り詰めていた凪の表情が、少し緩む。
水浸しの黒い道に、二つの影が伸びていた。
*
銀翠谷へ続く一本道。
歩を進めるにつれ、潮の香りは濃くなっていく。
不気味だった。
海から遠ざかっているはずなのに、潮の香りは濃くなる一方だ。
「凪、もう少しだ。歩けるか?」
「....歩く」
少しの迷いを見せたが、歩くらしい。
「そんなことより、何でこんなに磯臭いの?」
「知るもんか」
「海から遠ざかってる筈じゃん!何?海でもでき──」
凪の言葉が突絶えた。
「凪?」
「……見て、あれ」
震える指先を追って、透は目を細めた。
遠く、ビルの影。
「……は?」
──魚人。
直立し、道を堂々と闊歩する異形の群れ。
百メートル程先で、数十、数千の影がユラユラと揺れている。
「嘘だろ……」
「お兄ちゃん、逃げな──」
背を向けようとした、その瞬間。
群れから外れた一匹と、パチリと目が合った。
異常に発達した腕。
四本、いや六本。
周りに居る有象無象とはまるで様子が異なる。
関節を歪に折り曲げたそいつが、こちらを凝視しながら口を開いた。
『縺薙s縺ォ縺。縺ッ』
頭蓋を直接引っ掻くように鳴り響く電子ノイズ。
二人は悲鳴を上げて耳を塞ぎ、目を瞑った。
それはほんの一瞬だった。
本当に、ほんの一瞬。
目を開けたときには――魚人の顔が、目の前にあった。
バタバタバタバタッ!
六本の腕で地を這い、弾丸のような速度で肉薄してくる!
「うわあああああああッ!」
振り向く余裕すらない。
血の味がするまで息を乱し、ただ全力で走った。
地面を蹴る音。
荒い息遣い。
そして──急に、辺りが静まり返った。
追ってきていない?
足を止め、隣を見る。
そこに、凪は居なかった。




