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2.ソアラ編


 どんな時もいっしょだった。

 風の冷たい夜も、雷がうるさい夜も、お父さんとお母さんが帰ってこない夜も。

 1日の始まりはいつもあの笑顔だった。



 あの一件の後、わたしはトライトン家に保護されることになった。

 アウレリア様には10歳になる弟がいて、ありがたいことに、その子と一緒に侯爵家で教育を受けさせてもらえることになったのだ。「今後魔法を生かした職に就くとしたら、貴族との関係を避けて通れないから」というのが理由だった。


 でも、お兄ちゃんは違った。


 お兄ちゃんは侯爵家から別の仕事をもらったと言って、住んでいたアパートを引き払い、王都から少し離れた街へ一人で移り住んでしまった。


「大丈夫だよ、ソアラ。ちゃんとした仕事だから。お前は何も心配せずに、そこでしっかり勉強するんだぞ」


 そう言って笑うお兄ちゃんの目は、少しも笑っていなかった。

 お父さんとお母さんが亡くなった時と同じ目をしていた。


 お兄ちゃんだって同じはずなのに。いきなりこんなことになって、辛くないはずないのに。

 どんなに苦しい時も手を引いてくれたのは。笑って、いつまでも立ち止まるわたしの手を引いてくれたのは、お兄ちゃんだった。



 なのに、今のお兄ちゃんは何も話してくれない。

 たまに会えても、どこか疲れた顔で、核心に触れようとすると決まって話をはぐらかす。


 ―― ねえ、本当はなんの仕事をしているの?


 わたしの頭の中で、最悪な想像がぐるぐると渦巻く。

 侯爵家という大きな存在。そこで、身寄りのない少年がもらえる「人には言えない仕事」なんて、一つしか思い浮かばない。

 わたしをここで不自由なく暮らさせるために、お兄ちゃんは、自分の手を汚しているんじゃないのか。


 ―― なにを考えて、なにを思っているの?

    わたしにも分けてよ、あの頃のように。

    いつからそんなに、うそつきになったの?


 ぽつりと溢れた呟きは、豪華な部屋の壁に吸い込まれて消えた。

 お兄ちゃんへの不信感は、そのまま、わたしをここに囲い込んでいる侯爵家への強烈な疑心暗鬼へと変わっていく。



 ある日、面会にやってきたお兄ちゃんの服の袖を、わたしは両手で強く握りしめた。その服の下が、痣や傷でボロボロなのを知っている。堪えきれずに涙がこぼれ落ちる。


 これ以上、お兄ちゃんを犠牲にしたくなかった。


「お願い……お兄ちゃん、もうやめよう。わたし、学校やめる! 二人で遠くの街に行って、冒険者になろう?」

「ソアラ!? 何を言って――」

「どうしてお兄ちゃんだけ頑張るの? なんでわたしを置いていくの? わたし、魔法なんて、貴族の教育なんていらない! お願い、置いて行かないで。わたしも戦うから。」


 泣きじゃくりながら必死に訴えるわたしを、お兄ちゃんは目を見開いて見つめていた。その瞳にのぞいたのは、隠しきれない動揺と、深い悔恨の色だった。



 数日後、わたしたちはトライトン家を去ることになった。


 引き止めるアウレリア様の顔は、本当に、心から残念そうだった。

 彼女に悪気はなかったのだろう。ただ純粋に、わたしたち二人の才能を優秀だと認め、傍に置いておきたかっただけ。お兄ちゃんに与えた仕事も、彼女にとっては「適材適所」の信頼の証だったのかもしれない。


 だけどわたしたちは、誰かの手のひらの上で踊れるほど器用じゃなかった。


 王都を離れる馬車の窓から、遠ざかる侯爵邸を見上げる。

 隣に座るお兄ちゃんの手を、わたしは今度は自分からぎゅっと握りしめた。

 お兄ちゃんは驚いたように瞬きをしてから、困ったように、でも、久しぶりにいつもの優しい笑顔でその手を握り返してくれた。


 もう、お互いに嘘はいらない。

 これから始まる新しい街での冒険者生活。どんな時も、またいっしょに。



 ――――――――――――――――――――



 去っていく馬車を見送りながら、私は小さくため息をついた。


「……本当に、行ってしまったのね」


 残念、という言葉だけでは足りないくらいには、胸の奥が寂しい。

 これまで平民の子と深く話す機会なんてほとんどなかった私にとって、あの子たちの考え方や、話す外の世界の暮らしは、どれも新鮮で驚きに満ちていた。

 何より、ソアラは本当に可愛らしかった。見た目も特別かわいいが、それ以上にとても純真で、考えていることが全部顔に出る。あんな妹が私も欲しかったと、本気で思っていたくらいに。


 二人ともとても優秀だったから、ずっと手元に置いて、その才能を開花させてあげたかったのだけれど……。私が差し伸べた手は、あの子たちにとって、窮屈な籠に見えてしまったらしい。意図がうまく伝わっていなかったのは、少し反省しなくてはね。


 まあ、いいわ。

 あの子たちの行き先なんて、調べればすぐに分かることだし。


「冒険者、だったかしら」


 ふっと唇に笑みが浮かぶ。

 ギルドを通じて「依頼」という形をとれば、お仕事にかこつけて、たまにはあの可愛い顔を見に会いに行けるかしら。今度会う時は、もう少し私を信用してもらえるように、とびきりの報酬を用意しておかなくちゃね。


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