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1.デリカ編

 

 1年前、馬車の暴走事故で両親を失ってから、身寄りのない僕たちの生活は一変した。

 あの血の匂いと雨の日の夜、僕は冷たくなった両親の傍らで、泣きじゃくるソアラを抱きしめて心に誓った。


 ―― 何に代えても、絶対に僕が妹を守る。


 僕は王立学園を辞め、ギルドで得た翻訳の仕事で食いつないできた。ソアラが特待生として魔法学園に通えることは、僕らのささやかな希望だった。


 しかし、現実は僕たちの日常を足蹴にする。


「ソアラ・ターセル。君を私の側室、いや、真実の愛の相手として迎え入れよう」


 放課後の校舎裏にソアラを呼び出しそう告げたのは、セブリング公爵家の嫡男であるバネオだった。

 高位貴族に見初められること。端から見ればそれはシンデレラストーリーかもしれない。だけど、そこには致命的な闇が混ざっていた。バネオには、王家とも繋がりの深い侯爵家のご令嬢という婚約者がいたのだ。


「お兄ちゃん、私、どうしたらいいの……?」


 小さなアパートの片隅で、ソアラは震えていた。

 貴族の言うことは絶対だ。断れば不敬罪、でも、受け入れても正妻となる侯爵令嬢とその実家を敵に回すことになるだろう。現に、学園内ではもう「身の程知らずの泥棒猫」と囁かれ、ソアラへの陰湿な嫌がらせが始まっていた。


「大丈夫だ、ソアラ。僕がなんとかする。お前は何も心配しなくていい」


 ソアラを抱きしめながら、僕は奥歯をかみしめる。


 バネオという男は、妹を愛しているわけではなく、退屈な貴族社会の刺激として、可憐で無垢な平民の少女をおもちゃにしているだけだろう。その結果、ソアラが傷こうが、自分の婚約者の実家に破滅させられようが、彼には痛くも痒くもないのだ。


 ―― 貴族の気まぐれで、僕のたった一つの宝物が壊されてたまるか。


 僕は翌日から行動を開始した。

 ギルドの顔見知りをたどってつなぎを取り、金を握らせ、夜の街の情報屋からバネオとその婚約者の情報をかき集めた。寝る間を惜しんでその書類を漁り、粗を探す。


 そして分かった、バネオがソアラを選んだ理由。

 美人で優秀な侯爵令嬢に相対する相手として、特待生として優秀でかわいいと評判な平民が選ばれた。ただ婚約者に当てつけするのにちょうどよかっただけだった。バネオがソアラに気のある振りをして、侯爵令嬢がソアラを虐める、それを醜聞として広め、公爵家と侯爵家の間で進められている利権争いの優位に立つ。そんなばかげた幼稚な計画の一端に利用されたに過ぎなかった。

 そしてもう一つ見つけたもの。それはバネオが公爵家にも内緒で、ある密輸組織と繋がっているという決定的なネタだった。

 多少拍子抜けしたものの、最悪の展開ではなかったことに安堵した。




 一週間後、僕はバネオの婚約者である侯爵令嬢アウレリア様を呼び出した。


「平民の分際で、私に何の用かしら? あなたの妹の命乞い?」

 彼女は貴族らしく冷たい目で僕を見下ろしていた。


「いいえ。あなたと取引をしたいと思っております、アウレリア様」

 僕は懐から、この一週間で文字通り命がけで盗み出した密輸組織の顧客名簿の写しを机に置いた。そこにはバネオのサインと、公爵家の紋章が刻まれている。


 それを見たアウレリア様の目が細まった。

「これは……」

「バネオは、あなたとの婚約を破棄する大義名分として、僕の妹を利用しています。そして同時に、この密輸で得た資金で、あなたの実家を裏から潰し、その資産を奪おうとしている。

 これがあれば、あなたの家は完全な『被害者』として、公爵家に莫大な慰謝料と有利な条件を突きつけて婚約を白紙に戻せます。……バネオを失脚させて」


 アウレリアは冷酷な笑みを浮かべた。

「おもしろいわね。でも、これを公表すれば、あなたの妹も当然無事では済まないわよ? 貴族の醜聞に巻き込まれた平民など、切り捨てられて終わりだわ」


「だから、あなたに渡すのです」

 僕は一歩も引かずに、彼女の目を真っ直ぐに見た。

「これを使い、あなたの手でバネ男様を『有罪』に、僕の妹を『無理矢理脅されていた被害者』として処理していただきたい。それが、この証拠の対価です」


 アウレリア様はしばらく僕を睨みつけていたが、やがてふっと息をはき、書類を回収した。

「……平民にしては、いい度胸ですわね。乗ってあげるわ。私のプライドとトライトン侯爵家の威信にかけて、あの男を叩き潰してさしあげましょう」




 数日後、学園内は大騒ぎとなった。

 バネオ公爵令息の密輸組織との関係が発覚し、侯爵家からの告発によって彼は謹慎処分、公爵家は事実上の失脚となったのだ。ソアラを縛っていた見えない鎖は、消え去った。


 夕焼けが街をオレンジ色に染めていく。

 学園からの帰り道、僕とソアラは並んでその光を見ていた。


「お兄ちゃん、やっと終わったんだね…… ありがとう」

 ソアラが僕の手を握る。その目は、もう怯えていなかった。


 神様も、国の法律も、高貴な貴族様も、僕たちのような平民を助けてはくれない。理不尽なことが起きれば、いつだって真っ先に叩き潰される。


 だけど、絶望する必要はない。

 確かなものは、いつだって自分たちで見つけてきた。絶対に揺るがない、この気持ちさえ。


「ああ、終わったよ。これからもまた、二人でがんばろう」


 僕はソアラの手をぎゅっと握り返す。


 妹を守るためなら、僕はなんだってする。

 僕の中で燃え続けるこの誓いだけは、決して誰にも破らせない。


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