『不思議研究部』の活動 『夕暮れのピアノ』
夏は、いつか終わる。
どれだけ眩しい日々も、どれだけ笑い合った時間も、少しずつ遠ざかっていく。
蝉の声が小さくなり、夕焼けが早く沈み、吹き抜ける風に、ほんの少しだけ秋の匂いが混ざり始める頃――。
僕達は、ひとつの別れを経験した。
大切な人を失う事。
涙が止まらない夜。
それでも前を向こうとする事。
そして、“心に風を宿す”という事を。
社に吹く優しい風は、今日も変わらず木々を揺らしている。
まるで、あの日の思い出を忘れないように。
これは、ひと夏の別れを越えた少年少女達の、新しい物語。
夏休み最後の週。
強い日差しはまだ残っているのに、吹き抜ける風だけが少し涼しくなっていた。
学校。
誰も居ない廊下。
窓の外では、部活動の声が遠く聞こえる。
ガラガラ――。
古い部室の扉が開く。
『不思議研究部』
手書きのプレートが、少し傾いてぶら下がっていた。
「うわぁ〜……暑い〜……」
机へ突っ伏す真尋。
短くなったピンクの髪が、扇風機の風でふわふわ揺れる。
「……今日は風あるからマシね」
窓を開けながら凪が言う。
カーテンがふわりと膨らんだ。
「あ〜……生き返る〜……」
だらけきった声を出す真尋。
凪は小さく笑う。
部室の中には、夏の匂いが残っていた。
麦茶。
紙束。
古い木の机。
回り続ける扇風機。
そして――。
「……ねぇ凪ちゃん」
「ん?」
真尋は机へ頬を乗せたまま、一枚の紙を差し出した。
「また変な噂見つけた」
「……噂?」
「うん」
起き上がる真尋。
その目は、少し楽しそうだった。
「旧校舎の音楽室。
夕方になると勝手にピアノの音が鳴るんだって」
「誰か練習してるだけじゃない?」
「それがね――」
真尋は、もったいぶるように笑う。
「音楽室、今は改装中で立入禁止ピアノも無い」
風が吹く。
カーテンが揺れる。
凪は静かに、窓の外を見た。
その横顔を見ながら、真尋は少しだけ嬉しそうに笑った。
夏が終わる。
でも。
“不思議研究部”の夏は、まだ終わっていなかった。
『改装中でピアノも無い教室』からピアノの音がする噂を『不思議研究部』として、調査する事にする、部長の真尋、それに付き合う部員の凪
校舎には数人の教師が職員室にいた。
真尋がノックをして職員室へ入室する
「失礼します。」
「あら、真尋さんに、凪さん、どうしました?」
「音楽室覗きたいのですが大丈夫ですか?」
「音楽室?今改装中で入っても面白い物は何も無いですよ?」
「噂を調査したくて…」
「噂?…あー、ピアノの音がするって噂の?一部の生徒が聴いたって騒いでる話ね?」
「それです!」
先生はふふと笑う
目を輝かす真尋
先生は困ったように笑いながら、机の引き出しを開けた。
「まぁ、調べるくらいならいいけど……工事の邪魔しちゃ駄目よ?」
「はーい!」
元気よく返事をする真尋。
先生は苦笑しながら鍵を差し出した。
『旧校舎 音楽室』
小さなプレートが付いた鍵。
真尋は両手で受け取る。
「ありがとうございます!」
「もし何かあったらすぐ戻ってくるのよ?」
「幽霊出たら逃げます!」
「真尋さんが一番騒ぎそうだけどね」
職員室に小さな笑いが起きる。
凪は軽く頭を下げた。
「失礼しました」
ガラガラ――。
職員室の扉が閉まる。
廊下。
西日が長く伸びていた。
真尋は鍵を揺らしながら歩く。
「いや〜、何か本格的だね!」
「……真尋、楽しそう」
「そりゃ気になるもん!改装中でピアノ無いのに音が鳴るんだよ?」
窓から風が吹き込む。
真尋の短いピンク髪が揺れた。
「しかも夕方限定!」
「……まぁ、工事の音かもしれない」
「夢が無い!」
ぷくっと頬を膨らませる真尋。
新校舎と違い、旧校舎は少し空気が違った。
静かで、少し薄暗い。
夏休みだからか、人の気配もほとんど無い。
遠くで工事の音だけが響いている。
コンコン――。
「ん?」
真尋が立ち止まる。
「どうしたの?」
「……今、音しなかった?」
静かな廊下。
二人は耳を澄ます。
すると。
ポーン……
小さく、鍵盤を押したような音。
真尋と凪が顔を見合わせた。
息を飲む二人。
静かな旧校舎。
遠くの工事音だけが、微かに響いている。
「確かに……聴こえたはず……ね!凪ちゃん!」
真尋は目を輝かせながら、嬉しそうに振り返る。
けれど。
そこには――。
ぎゅっと目を瞑り、両耳を塞いでいる凪の姿。
「……凪ちゃん?」
ぴくりと肩を震わせる凪。
ゆっくり目を開けた。
「べ、別に……怖いとかじゃないからね?」
珍しく慌てた様子で言う。
「そ、そう!苦手なだけ!」
「……?」
真尋は首を傾げた。
「わたし、“聴こえたね”としか言ってないけど?」
「っ……!」
凪の顔が一瞬で赤くなる。
「……あ」
「凪ちゃん、もしかして怖いの?」
「違う」
「え、でも耳塞いで――」
「違うったら違う」
じりじりと詰め寄る真尋。
凪は視線を逸らした。
古い校舎の窓から、夕方の風が吹き込む。
カタ……。
廊下の奥で、古い扉が揺れた。
その瞬間。
ポーン……
また、単音のピアノ。
今度はさっきより、少しだけ近い。
真尋の表情が変わる。
「……やっぱり鳴ってる」
凪もゆっくり廊下の奥を見る。
音楽室のある方向。
薄暗い廊下。
夕陽が長い影を作っていた。
真尋は、ぎゅっと鍵を握る。
その横で。
凪はそっと、真尋の制服の袖を掴んだ。
「……行くの?」
「行くに決まってるでしょ!」
「……はぁ」
小さくため息を吐く凪。
でも。
その手は、離れなかった。
ガチャリ――。
真尋が鍵を回す。
古い音を立てながら、音楽室の扉がゆっくり開いた。
ぎぃ……。
「……うわ」
真尋が思わず声を漏らす。
中は、完全に工事途中だった。
蛍光灯は外され、天井は剥き出し。
壁紙も半分ほど剥がされ、床には木材や石膏ボードの欠片が散らばっている。
空気には、木屑と塗料の匂い。
夕陽だけが、窓から差し込んでいた。
そして――。
「……ピアノ、無いね」
ぽつりと真尋が呟く。
音楽室の中央。
本来ピアノが置かれていた場所には、四角く日焼けしていない床だけが残っていた。
確かに、何も無い。
凪は静かに室内を見回す。
「……工事中なのは本当みたい」
「うーん……」
真尋は部屋の奥まで歩いていく。
足元で木片がカラカラ鳴った。
「じゃあ、さっきの音なんだったんだろ」
窓の外から風が吹き込む。
剥き出しの配線が、ゆらゆら揺れた。
カタン。
「っ」
凪が小さく肩を震わせる。
真尋は振り返った。
「凪ちゃん?」
「……な、なに」
「怖いの?」
「だから違うって……」
そう言った瞬間だった。
――ポーン……
今度はハッキリと。
二人のすぐ近くで、ピアノの単音が鳴った。
真尋と凪が同時に息を止める。
音楽室には、ピアノなんて無いのに。
真尋が、ふいに両手を合わせた。
パチン――!
乾いた拍手の音が、静かな音楽室へ響く。
その瞬間。
コトコトコトコト……!
何か小さな物が、慌てて逃げていくような音。
壁際。
天井裏。
いや、もっと奥の方。
“何か”が、気配ごと離れていく。
風が揺れた。
そして、静かになる音楽室。
「……え?」
凪が目を瞬かせる。
真尋は、少し得意げな顔をしていた。
「なるほどね!」
「……なにが?」
真尋は、床へしゃがみ込む。
そして、壁際に転がっていた、小さな金属片を摘み上げた。
「たぶんこれ」
見せられたのは、細い金属の棒。
「工事用?」
「うん。
多分ね、風でこれが転がってた」
真尋は立ち上がる。
「この部屋、今すっごく響くんだよ」
剥き出しの天井。
空っぽの部屋。
何も無い空間。
「だから、小さい音でもピアノみたいに聴こえるんじゃないかなって」
凪は少しだけ安心したように息を吐く。
「……なるほど」
「でしょ?」
真尋は嬉しそうに笑った。
その時だった。
ふわり――。
部屋の奥。
誰も居ないはずの場所で、白いカーテンが静かに揺れる。
風は、吹いていない。
凪の表情が変わる。
「……真尋」
「うん?」
「……今、窓閉まってたよね」
真尋の笑顔が、ゆっくり止まった。
そして、真尋は腕を組みながら考え込む。
「んー……」
しばらくして。
ニヤリ。
嫌な笑みを浮かべた。
「……凪ちゃん」
「なに」
真尋は、すっと凪の背後へ回る。
そして。
「わっ!」
突然、大きな声を上げた。
「ひっ!!」
凪がびくりと肩を跳ねさせる。
そのまま耳を塞ぎ、しゃがみ込んだ。
「お、お化けだけはダメなの!!」
「やっぱり!」
真尋は嬉しそうに、胸ポケットから小さなメモ帳を取り出す。
カリカリカリ――。
「“凪ちゃんの弱点はお化け”っと……」
「ちょっと!」
勢いよく顔を上げる凪。
「そんなのメモしないで!」
「えー、貴重な情報だよ?」
「消して!」
珍しく、凪は完全にペースを崩されていた。
耳まで赤い。
真尋はケラケラ笑う。
「ふふっ、凪ちゃんでもそんな顔するんだ」
「……真尋」
「はい」
「後で覚えてて」
「ごめんなさい」
即座に謝る真尋。
だが。
口元はまだ笑っている。
凪はじとっと睨みながら、立ち上がった。
「……で?」
「さて、冗談は終わりにして、答え見ちゃおっか」
真尋は、部屋の隅へ置かれていた工事用の脚立へ近付く。
ぐいっ。
「くっ……重い……」
床をガガガと鳴らしながら、窓際まで引きずっていく。
凪は呆れたようにため息を吐いた。
「……そういう所だけ行動早い」
「気になるんだもん」
脚立を立てる。
真尋はひょいひょい登っていった。
「……うーん」
ペンライトを口に咥え、天井裏を照らす。
剥き出しの梁。
配線。
暗闇。
その奥を、じっと覗き込む。
そして。
「あ!」
真尋の声。
「やっぱりあった!」
「……え?」
「ほら!凪ちゃんも見てみなよ!」
「無理無理無理無理むーり!」
いつも以上の早口。
ぶんぶん首を横に振る凪。
「絶対変なの居るって!」
「居ない居ない」
「その台詞が一番信用できない!」
真尋は脚立からぴょんと飛び降りる。
そして。
「ほらっ」
ぐいぐい。
凪の背中を押した。
「ちょ、押さないで!」
「大丈夫だって!」
「真尋ぉ……!」
半泣きみたいな声を出しながら、渋々脚立へ手をかける凪だった。
ぎし……。
脚立が小さく軋む。
凪は、恐る恐る天井裏を覗き込んだ。
「……ぅ……」
「ほら、大丈夫だったでしょ?」
下から真尋が言う。
「まだ何も確認してないから……!」
声を震わせながら、凪はペンライトの光を向ける。
暗い天井裏。
木材。
埃。
配線。
その時。
「あ、凪ちゃん」
真尋が下から指を差した。
「右の奥。
光入ってきてない?」
「……え?」
よく見ると。
壁の一部に、小さな穴が空いていた。
そこから、夕方の光が細く差し込んでいる。
「ほんとだ……」
「そこから真っ直ぐ左見て」
「……う、うん」
凪はビクビクしながら、ゆっくり視線を動かす。
すると。
「あ……」
奥の方。
木箱のような物。
その前面に、細い鉄の板が何本も並んでいる。
「楽器……?」
「それが鳴ってたみたい」
真尋は少し得意げに笑う。
「その楽器、“カリンバ”だね」
「カリンバ……?」
「うん。
指で弾く楽器」
凪はもう一度、ペンライトを向ける。
すると。
カサッ。
暗闇の奥で、小さな影が動いた。
「ひっ」
凪が肩を跳ねさせる。
その瞬間。
ポロン……♪
優しい音が鳴った。
「あー……やっぱり」
真尋が納得したように頷く。
「イタチかな?
遊んでるんだと思うよ」
穴から入ってきた小動物が、鉄板へ触れて音を鳴らしていたらしい。
風が吹く。
その度に、小さな鉄板が揺れた。
ポロン……
どこか寂しくて。
でも少し綺麗な音が、夕暮れの音楽室へ響いていた。
ガラガラ――。
職員室の扉が開く。
「失礼します」
先生達が顔を上げる。
「あら、おかえりなさい。
どうだった?
何にも無かったでしょ?」
すると。
真尋が、満面の笑みで言った。
「凪ちゃんの弱点がありました!」
「もう!辞めてよ!」
ペシペシ!
横から凪が真尋の腕を叩く。
「い、痛いって凪ちゃん!」
「誰のせい!」
職員室の空気が、少し和む。
先生達も思わず笑っていた。
真尋はどこか楽しそうに、叩かれながら笑う。
そして。
「で、本題ですが先生」
すっと真面目な顔になる。
「天井裏にカリンバありました!」
「……カリンバ?」
「指で弾く楽器です。
多分、誰かが忘れたままになってたんじゃないかな?それを天井裏に引っ張りこん出たみたいです」
真尋は続ける。
「天井の穴から入ったイタチか何かが、あそこで遊んで音を鳴らしてたみたいですね」
「あぁ……なるほど」
先生が納得したように頷く。
「だからピアノみたいな音が……」
「音楽室、今ほとんど空っぽだから音が響くんですよ」
凪も横で頷いた。
「糞尿で天井腐る前に、追い出した方が良さそうですね」
「それは困るわねぇ……」
先生は苦笑しながらメモを取る。
「一応、業者さんには伝えておくわ」
「お願いします!」
満足そうに笑う真尋。
その横で。
凪は小さく息を吐いた。
「……結局、普通の原因だったね」
「んー……まぁね」
真尋はそう言いながら、窓の外を見る。
現象には、『原因』と『結果』がある。
それを理解している真尋にとって、今回の『謎』は、本当の意味での“怪異”にはならなかった。
『原因』
イタチが見つけた『カリンバ』を、巣穴代わりの天井裏へ運び込んだ。
『結果』
遊ぶ度に音が鳴る。
その音を、偶然聴いた生徒達が噂を広めた。
ただ、それだけの話。
夕暮れの廊下。
窓から風が吹く。
その時。
ポロン……♪
どこからか、優しいカリンバの音が響いた気がした。
真尋は立ち止まる。
凪も静かに振り返る。
けれど。
そこには誰も居なかった。
夏の終わりの風だけが、静かに吹いていた。
「うーん……」
帰り道。
夕焼けに染まる住宅街を歩きながら、真尋が腕を組む。
「どうしたの?」
隣を歩く凪が首を傾げた。
真尋は少し渋い顔をする。
「いや……
イタチには可哀想な事だなって思っちゃって」
「?」
「だって、住む場所無くて入り込んだだけでしょ?
都会に住む野生動物が原因で良くある話すぎて、なんか……物足りない……」
最後だけ、少し不満そうに言う真尋。
凪は呆れたように息を吐いた。
「……いや、十分だったよ……」
「えー?」
「私は十分怖かった」
「お化け!」
「ひっ!」
びくぅっ!
反射的に耳を塞ぐ凪。
だが。
真尋はケラケラ笑いながら手を振る。
「じゃなくて、良かった良かった!」
うんうんと満足そうに頷く。
凪の頬がじわっと赤くなる。
「もう!!」
バシンッ!
「いったーい!」
叩かれた腕を押さえながら、真尋は笑う。
夕暮れの風が吹く。
その風に混ざって。
どこからか、小さなカリンバの音が聴こえた気がした。




