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心に風が吹く者たち  作者: もふ神留奈


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4/8

空にかかる虹橋そして送る風

社の掃除へ行ってから数日後――。


夏の日差しは相変わらず強い。


だが、今日はどこか空気が重かった。


授業が終わる頃、凪のスマホへ連絡が入った。


『……風間さんが、凪ちゃんに会いたいそうです』


電話の相手は院長先生だった。


短い言葉。


けれど、その声色だけで何かを察するには十分だった。


「……わかりました、今から行きます」


荷物をまとめ、急いで病院へ向かう。


いつもの廊下。


いつもの病室。


けれど今日は、部屋の前に黒服のボディガード達が立っていた。


見覚えのある顔。


影野も居る。


「……凪様」


静かに頭を下げる影野。


その表情は硬い。


「真尋ちゃんは?」


「中に」


短い返答。


凪は小さく頷き、病室の扉へ手をかけた。


コンコン――。


「……どうぞ」


院長先生の声。


静かに扉を開ける。


すると――。


部屋の中には、真尋。


院長先生。


そして、見知らぬ弁護士らしき男性。


さらに。


ベッドの上には、呼吸器を付けた風間さんの姿があった。


「……っ」


凪は言葉を失う。


数日前まで、一緒に笑って、クッキーを食べていた。


けれど今の風間さんは、明らかに苦しそうだった。


酸素マスク。


細くなった腕。


弱々しい呼吸音。


真尋はベッドの傍で、その手をぎゅっと握っている。


目が赤かった。


「……凪ちゃん…」


小さな声で名前を呼ぶ。


風間さんはゆっくり視線を向ける。


そして、酸素マスク越しに、少しだけ笑った。


「……来て…くれたのね…」


その声は、酷くか細かった。

「はぁ…はぁ…」


苦しそうな呼吸音が、

静かな病室へ響く。


凪はゆっくりベッドの傍へ寄った。


真尋は場所を少し空ける。


「凪ちゃん…はぁ…はぁ…」


細く震える手が伸びる。


凪はその手を、

そっと握った。


驚くほど軽い。


熱も弱い。


「…はい…」


凪は静かに答える。


風間さんは、酸素マスク越しに小さく笑った。


「出会って…数ヶ月しか…経ってないけど…」


呼吸を整えるように、少し間が空く。


「もう…お別れみたい…」


「……」


凪は何も言えなかった。


隣では、真尋が唇を噛んでいる。


院長先生も、静かに目を伏せていた。


「風間さん…」


真尋の声が震える。


「やだよ…そんなの…」


ぽろりと涙が落ちた。


風間さんは、ゆっくり真尋を見る。


「真尋ちゃん…泣かないで…」


「だって…!」


「私はね…最後に…楽しい時間を…いっぱい貰えたの…」


弱々しく笑う。


「あの社も…お家も…」


「凪ちゃんと…真尋ちゃんと…行けて…嬉しかった…」


真尋は俯いたまま、風間さんの手を強く握る。


「……もっと…いっぱい行こうよ…」


掠れた声。


「まだ夏休み…始まったばっかりだよ…」


その言葉に、風間さんは目を細めた。


「……優しい子ね…」


酸素マスクの奥で、小さく息を吐く。


そして――。


「弁護士さん…」


静かに名前を呼んだ。


控えていた男性が、一歩前へ出る。

病室の空気が、さらに静まり返った。

静まり返る病室。

弁護士の男性は、静かに書類を開いた。


「……風間 静香様のご意思により、本日は今後についてのご説明をさせていただきます」


淡々とした声。


けれど、その内容は重かった。


真尋は風間さんの手を握ったまま、俯いている。


「まず財産についてですが――」


紙をめくる音。


「既に、社とご自宅が建っている土地を除き、その他資産の大部分は現金化されています」


凪は静かに聞いていた。


「また、贈与税等も含め、必要な支払いが可能な状態へ整理済みです」


院長先生が小さく頷く。


どうやら、かなり前から準備していたらしい。


「なお、ご自宅及び社についてですが――」


弁護士は一度、風間さんを見る。

風間さんは、ゆっくり頷いた。


「管理は、真尋様及び凪様へ託したいとのご意思を残されています」


「……え?」


凪が僅かに目を見開く。

真尋も驚いた顔をした。


「わ、わたしたち…?」


「はい」


弁護士は静かに続けた。


「また、ご遺骨についても遺言がございます」


病室の空気が、さらに重くなる。


風間さんは、静かに窓の外を見ていた。


「遺骨は粉骨し――」


「社へ撒いて欲しい、とのご希望です」


蝉の声が遠く聞こえる。


凪は、あの日社で聞いた言葉を思い出していた。


『私は…ここが…好き…』


『あの人と…出会ったのも…あなた達と出会ったのも…この社…』


真尋の肩が小さく震える。


「……そんなの…」


涙声だった。


風間さんは、ゆっくり真尋を見る。


「真尋ちゃん…」


「人はね…いつか終わるの…」


苦しそうに息をしながら、それでも優しく語る。


「でも…最後が寂しいだけじゃ…嫌でしょう…?」


真尋は何も言えない。

ただ、涙を零していた。

凪は静かに、風間さんの手を握り続ける。

その手は、少しずつ冷たくなり始めていた。


「真尋…ちゃん…」


風間さんの声は、もう途切れ途切れだった。

酸素マスクの奥で、苦しそうに息をする。


「さい…後に…」


小さく震える声。


「可愛い…可愛い…笑顔を…見せて…」


真尋の肩が震える。

涙がぽろぽろ落ちていく。


それでも――。


真尋はゆっくり立ち上がった。

静かに、風間さんの傍へ近寄る。

その細い手を、両手で優しく包み込む。


そして、そっと自分の頬へ当てた。

暖かさを忘れないように。

泣き声を必死に殺しながら。

唇を震わせながら。


それでも、とびっきりの笑顔を作った。


「……っ……!」


涙で滲みながらも、確かに笑っていた。


風間さんは、その顔を見て――。


とても嬉しそうに目を細めた。


「凪ちゃん…」


ゆっくり視線が動く。


凪は静かに手を握り返した。


「真尋ちゃん…」


呼吸が浅くなる。


「楽しい時間を…」


一度、小さく息を吸う。


「あり……が……と……」


その言葉と共に。

風間さんの力が、ふっと抜けた。

静かだった。

機械音だけが、病室へ響く。

真尋の笑顔が崩れる。


「……風間さん?」


返事は無い。


「……風間さん…?」


震える声。

院長先生が、ゆっくり目を閉じる。


そして――。


静かに、首を横へ振った。


その瞬間。


「っ……ぁ……ぁぁ……っ!!」


真尋が、風間さんの手へ顔を埋めて泣き崩れた。

凪は何も言えなかった。

ただ、最後までその手を握り続けていた。

窓の外では、夏の蝉が鳴いていた。


葬祭場の一室。


静かな線香の香りが漂っていた。


白い花に囲まれた風間さんは、眠っているみたいに穏やかな顔をしている。


黒い服に身を包んだ、

凪。


真尋。


そして真尋の家族達だけが、その場へ集まっていた。


誰も大きな声を出さない。


静かな時間だけが流れている。


「最後に入れたいものがある…」


ぽつりと、真尋が呟いた。


胸元で抱えていた封筒から、何枚かの写真を取り出す。

社で撮った写真。

病室で笑っている写真。

大きな虹の前で、凪、真尋、風間さんが並んだ写真。


「これを一緒に…」


スタッフへ、大事そうに手渡した。


「かしこまりました」


スタッフは丁寧に受け取り、風間さんの胸元へそっと置く。

まるで、思い出を抱かせるみたいに。

真尋はその姿を見つめる。


そして――。


「凪ちゃん…お願いがあるの…」


小さな声。


真尋は、凪へハサミを差し出した。


「……?」


何も言わず、真尋は背を向ける。


長いピンク髪が、黒い喪服の上へ流れていた。


「このゴムで縛ってある部分から…バッサリ切り取って欲しい…」


「え?…でも…」


凪は目を見開く。


あれほど大事にしていた髪。


風間さんも、綺麗だと褒めていた髪。


「お願いします…」


震える声だった。


「……わかった」


凪はゆっくり、ハサミを受け取る。


そして。


しゃり――。


静かな音が、部屋へ響いた。


長いピンク髪が、ふわりと手の中へ落ちる。


凪は、切り取った髪をそっと真尋へ渡した。


真尋は、それを両手で抱きしめるように持つ。


「これもお願いします…」


涙を堪えながら、スタッフへ差し出した。


「風間さんが寂しくないように…」


スタッフは静かに頭を下げる。


そして、その髪を風間さんの傍へ添えた。


まるで、ずっと一緒に居られるように。


真尋は、自分の髪へそっと触れる。


腰近くまであった長いピンク髪は――。


今は、肩下あたりまでしかない。


三分の一ほど、ばっさり切られていた。


「……軽い…」


ぽつりと呟く。


その声は、どこか寂しそうだった。


凪は、何も言えなかった。


切った瞬間の感触が、まだ指先へ残っている。


真尋がどれほど、その髪を大切にしていたか知っていたから。


風間さんに褒められるたび、嬉しそうにしていたから。


真尋は、祭壇の風間さんを見る。


「これで…寂しくないよね…」


小さく笑おうとする。


けれど、涙が先に零れた。


「……っ」


声を押し殺し、唇を噛む。


凪は静かに、真尋の隣へ立った。


「……似合ってる」


「……え?」


「短いのも」


真尋は目を丸くする。


少しだけ、涙が止まった。


「……ほんと?」


「うん」


凪は短く答える。

真尋は、少しだけ照れたように俯いた。

そして再び、風間さんを見る。


白い花。

優しい顔。

添えられた写真。


そして、自分の髪。


まるで、最後まで一緒に居るみたいだった。


静かな読経が響く。


線香の煙が、ゆらゆらと揺れていた。

棺の蓋が閉じられる。


真尋は、ぎゅっと自分の服を掴んだ。


「……」


声は出ない。


スタッフが、静かに石を配っていく。


最後の別れ。


棺桶へ、釘が打ち付けられていく。


コン……。


小さな音。


真尋の肩が震える。


コン……コン……。


ひとつずつ、確実に閉じられていく。


もう、開かないように。

凪も石を受け取る。

重かった。


とても。


静かに釘へ当てる。

乾いた音が、胸へ響いた。


真尋も、震える手で石を握る。


「……風間さん…」


小さく呟きながら、釘へ触れるように打った。


涙が、ぽたぽた落ちる。


全ての釘が打ち終わる。


そして――。


ゆっくりと、棺が運ばれていく。


白い花に囲まれながら。


火葬場へと。


ゆっくり。


ゆっくり。


真尋は、その後ろを歩く。


まるで、離れたくないみたいに。


凪はその隣へ並んだ。


火葬炉の前。


最後の扉。


スタッフが静かに頭を下げる。


「それでは……」


機械音。


重たい扉が開く。


熱気が、微かに流れ出た。


真尋の呼吸が止まる。


棺が、ゆっくり奥へ運ばれていく。


「……っ……」


耐えていた涙が、また溢れる。


そして――。


重たい扉が、静かに閉じられた。


ゴゥン――。


その音だけが、静まり返った空間へ響いた。


火葬が終わるまで、しばらく時間がかかる。


そのため、皆は会場内にある小さなカフェで待つ事になった。


静かな店内。


コーヒーの香り。


けれど、誰もほとんど口をつけていない。


窓の外。


遠くに見える火葬場の煙突から、

白い煙が空へ昇っていた。


ゆらゆらと、細く伸びていく。


真尋は、その煙をぼんやり眺めていた。


「……」


言葉は無い。


ただ、じっと見つめている。


凪は向かい側へ座り、静かにその姿を見守っていた。


真尋の短くなったピンク髪が、肩で揺れている。


時々、無意識に毛先へ触れていた。


「……風間さん、空に行っちゃうのかな…」


ぽつりと、真尋が呟く。


凪は少しだけ窓の外を見る。


白い煙は、空へ溶けるように消えていた。


「……どうだろ」


短い返事。


「でも…」


凪は続ける。


「風間さんなら…社に帰ってきそう」


その言葉に、真尋が少しだけ笑った。


涙で滲んだ、弱い笑顔。


「……うん…」


「ミミちゃんと一緒に居そう…」


「うん…」


二人はまた、煙を見る。


夏の空へ昇る白い煙。


まるで、誰かが静かに旅立っていくみたいだった。


どれくらい時間が経ったのだろう。


静かな呼び出し音が鳴る。


「ご遺族の方、こちらへどうぞ」


スタッフの声。


真尋は、ゆっくり立ち上がった。


足取りは重い。


凪はその隣へ並ぶ。


火葬場の奥。


案内された部屋の中央には――。


白い骨が並んでいた。


「……っ」


真尋の呼吸が止まる。


さっきまで、確かに風間さんだった。


笑って。


話して。


優しく頭を撫でてくれた人。


それが今は、静かに白い骨となってそこにある。


けれど――。


不思議なくらい綺麗だった。


真っ白で。


丁寧に残されていて。


まるで、静かに眠っているみたいに。


真尋は震える手を口元へ当てた。


涙が零れる。


凪も、言葉が出なかった。


スタッフは静かな声で説明を始める。


「こちらが喉仏になります」


骨を指し示す。


「仏様が座っているように見える事から、そう呼ばれております」


小さな部屋へ、淡々とした説明が響く。


「こちらは足の骨です」


「こちらが腕になります」


一つずつ、風間さんだったものを辿っていく。


真尋は、その説明を必死に聞いていた。


泣きながら。


ちゃんと覚えようとするみたいに。


「……綺麗…」


ぽつりと呟く。


「え?」


凪が小さく顔を向ける。


「風間さん…最後まで綺麗…」


涙声だった。


スタッフは静かに頭を下げる。


「とても丁寧なお骨でした」


その言葉に、院長先生が目を閉じる。


真尋は、ぎゅっと拳を握った。


現実だった。


本当に、居なくなってしまったのだと。


白い骨が、それを静かに教えていた。


スタッフの説明が終わる。


静かな空気の中、骨壷が用意された。


「それでは、お骨上げをお願いいたします」


長い箸が渡される。


真尋は少し震える手で、それを受け取った。


凪も隣へ立つ。


二人でそっと、白い骨を持ち上げる。


かつて、風間さんだったもの。


とても軽く感じた。


「……」


真尋は唇を噛み、涙を堪えながら骨壷へ納めていく。


一つずつ。


丁寧に。


大切に。


院長先生も、静かに手を合わせていた。


全てのお骨が納められると、スタッフが静かに蓋を閉じる。


「この後、粉骨の準備を進めさせていただきます」


真尋は骨壷を見つめたまま、小さく頷いた。


「……お願いします…」


声が掠れている。


スタッフは深く一礼した。


「では、もう暫くお待ちください」


そう言い残し、骨壷を大事そうに抱えて部屋を後にする。


扉が静かに閉まった。


残された皆は、誰もすぐには動けなかった。


そこにあったはずの姿が、もう無い。


けれど、確かに最後までそこに居た。


真尋はそっと、短くなった自分の髪へ触れる。


そして小さく呟いた。


「……ちゃんと、送れたかな…」


凪は静かに隣へ立つ。


「……うん」


短い返事。


それでも、真尋は少しだけ救われたように目を閉じた。


どれくらい待っただろうか。


時計を見ると、三十分も経っていなかった。


けれど、真尋にはもっと長く感じられた。


静かな待合室。


誰も大きな声を出さない。


やがて――。


扉が開く。


スタッフが、白い壺袋を両手で抱えて現れた。


「お待たせいたしました」


静かな声。


真尋は立ち上がり、その壺袋を受け取る。


「……ありがとうございます…」


抱えた瞬間。


「……あったかい…」


小さく呟いた。


粉骨された後の骨壷は、まだ熱を持っていた。


服越しにも、じんわりと暖かさが伝わってくる。


真尋は、それを胸へ抱きしめる。


まるで、まだそこに居るみたいに。


涙が、またぽろりと零れた。


「……風間さん…」


掠れた声。


凪はその隣で、静かに見守っていた。


院長先生も、ゆっくり目を閉じる。


白い壺袋は、とても軽かった。


けれど。


真尋には、とても重たく感じていた。


十数時間前まで、確かに話していた。


笑っていた。


「またね」と言っていた。


その人が――。


動かなくなって。


冷たくなって。


白い骨になった。


真尋は、白い壺袋を胸へ抱えたまま俯く。


「……なんか…変だね…」


ぽつりと呟く。


「昨日まで居たのに…」


震える声。


「昨日まで…笑ってたのに…」


凪は静かに聞いていた。


「人って…こんなすぐ居なくなるんだね…」


涙が、また落ちる。


真尋は壺袋をぎゅっと抱きしめた。


まだ少し暖かい。


けれど、その暖かさは、もう風間さん自身ではない。


それが、余計に苦しかった。


「……怖い…」


小さな声。


「みんな…いつか居なくなるのかな…」


凪は少しだけ目を伏せる。


答えは知っていた。


でも、簡単には言えなかった。


しばらく沈黙が続く。


そして凪は、静かに口を開いた。


「……だから、一緒に居た時間が大事なんだと思う」


真尋がゆっくり顔を上げる。


「風間さん…最後まで笑ってた」


「……うん…」


「真尋と居るの…楽しそうだった」


真尋の目から、また涙が溢れた。


「……もっと一緒に居たかった…」


消えそうな声。


凪は、そっと真尋の肩へ手を置く。


窓の外では、夕方の空が赤く染まり始めていた。


まるで、今日という日が静かに終わっていくみたいに。


その日から――。


四十九日が終わるまで、風間さんのお骨は真尋の家で預かる事になった。


本来なら、専用の場所で管理する予定もあった。


けれど。


「……やだ…」


真尋が、白い壺袋を抱えたまま離さなかった。


「まだ…一緒に居たい…」


掠れた声。


真尋の母も、院長先生も、何も強くは言えなかった。


結局、真尋の部屋へ小さな祭壇が用意された。


白い花。

写真立て。

線香。


そして、中央に置かれた白い壺袋。


夜。


部屋の灯りは少し暗い。


真尋はベッドへ座り、壺袋をぎゅっと抱えていた。


「……風間さん…」


小さく名前を呼ぶ。


返事はない。


それでも、真尋は壺袋へ頬を寄せた。


まるで、まだ温もりが残っているみたいに。


凪は少し離れた場所から、その姿を見ていた。


「真尋…」


「……もう少しだけ…こうしてたい…」


泣き疲れた声。


凪は静かに隣へ座る。


線香の香りが、静かに漂っていた。


「……寂しいね…」


「……うん…」


真尋は、壺袋を抱えたまま俯く。


「また…会えるかな…」


凪は少し考える。


そして。


「……社に行けば、居るかも」


その言葉に、真尋が少しだけ顔を上げた。


「ミミちゃんも居るし…」


「……うん…」


少しだけ、真尋が笑う。


涙でぐしゃぐしゃの、弱い笑顔だった。


それでも、風間さんが最後に見た笑顔と、どこか似ていた。


残りの夏休み――。


真尋と凪は、何度も社へ足を運んだ。


蝉時雨の中、落ち葉を掃いたり。


縁側へ座って、ぼーっと風を感じたり。


ミミは相変わらず、気まぐれに現れた。


時には鳥居の上。


時には屋根の上。


時には、真尋の膝の上。


「ミミちゃん、今日も居たね」


真尋が撫でると、ゴロゴロと喉を鳴らす。


風間さんのお骨も、時々一緒に連れて行った。


白い壺袋を大事そうに抱えながら。


「ただいま、風間さん」


真尋は、社へ着くたびそう言った。


風が吹く。


木々が揺れる。


まるで、誰かが返事をしているみたいだった。


風間さんの家にも通った。


窓を開けて。


風を通して。


掃除をして。


時々、凪がお菓子を焼いた。


真尋は相変わらず、不格好な形を量産していた。


「これはミミちゃん!」


「前より猫っぽくなった」


「ほんと!?」


少しずつ。


少しずつ。


悲しいだけじゃない時間も、戻ってきていた。


そして――。


夏休み後半。


街では花火祭りが開かれる日。


「凪ちゃん!早く早く!」


浴衣姿の真尋が、手を振っている。


長かったピンク髪は、肩辺りまでになっていた。


けれど、その髪には小さな髪飾りが付いている。


風間さんが以前、「似合いそう」と言っていた色だった。


「走ると転ぶよ」


「大丈夫ー!」


凪も浴衣姿だった。


人混み。


屋台。


提灯の灯り。


夏の夜の賑わい。


「りんご飴!かき氷!焼きそば!」


「全部食べる気?」


「夏祭りだもん!」


真尋は久しぶりに、子供みたいに笑っていた。


その笑顔を見て、凪は少しだけ安心する。


やがて。


ドォン――。


夜空へ、大きな花火が咲いた。


赤。

青。

金色。


光が、二人の顔を照らす。


「……綺麗…」


真尋が空を見上げる。


その目には、花火が映っていた。


そして、そっと呟く。


「……風間さんも見えてるかな…」


凪も夜空を見る。


「……見えてるよ、多分」


夏の夜空へ、次々と花火が咲いていく。


まるで、悲しみを少しずつ照らしていくみたいに。


花火の音が、夜空へ響いている。


人々の笑い声。


屋台の灯り。


けれど、少し人混みから離れた場所で。


凪は、小さな包みを取り出した。


「……真尋」


「ん?」


「これ」


手のひらサイズの、小さな筒型のキーホルダー。


銀色で、シンプルな作りだった。


真尋は不思議そうに受け取る。


「これは?」


凪は少しだけ視線を逸らした。


「……渡すか迷ってた」


珍しく、言葉を選んでいる。


花火の光が、凪の横顔を照らした。


「風間さんの……右小指の先の骨が入ってる…」


「……え…」


真尋の目が大きく開く。


「粉骨する前に…院長先生に相談して…少しだけ分けてもらった」


静かな声。


「ずっと持ち歩けるように」


真尋は、震える手でそのキーホルダーを見る。


小さな筒。


でも、その中には確かに、風間さんの一部が入っている。


「……っ……」


涙が、ぽろりと落ちた。


「……いいの…?」


「風間さん…多分、真尋が持ってた方が喜ぶ」


真尋は、そのキーホルダーを胸へ抱きしめた。


まるで、壊れ物みたいに大事に。


「……ありがとう…凪ちゃん…」


声が震える。


その時――。


ドォォン!!


大きな花火が、夜空いっぱいに咲いた。


金色の光が、二人を包む。


真尋は涙を流しながら、空を見上げた。


「……風間さん…」


小さく呟く。


胸元では、小さなキーホルダーが静かに揺れていた。


夜空へ、大輪の花火が咲く。


赤。

青。

金。


腹へ響くような音と共に、光が広がっては消えていく。


真尋は、胸元の小さなキーホルダーを握りしめていた。


凪は空を見上げたまま、ぽつりと呟く。


「花火って――」


「霊魂をお迎えしたり、送り出したりって諸説あるけど…」


次の花火が上がる。


ドォン――。


光が、二人の顔を照らした。


「『慰める』って話もある」


真尋は静かに聞いていた。


「慰める…?」


「うん」


凪は続ける。


「亡くなった人が、暗くて寂しくならないように、とか」


「残された人が、少しでも前を向けるように、とか」


「そういう意味もあるらしい」


真尋は再び夜空を見る。


大きな花火が、まるで昼みたいに辺りを照らした。


「……そっか…」


涙で少し潤んだ目が、花火の光を映す。


「じゃぁ今…風間さんも慰められてるのかな…」


「……多分」


凪は短く答えた。


風が吹く。


屋台の匂い。


遠くの笑い声。


そして、絶え間なく打ち上がる花火。


真尋は胸元のキーホルダーへ、

そっと触れる。


「……風間さん」


小さく呼ぶ。


「寂しくないといいな…」


その瞬間。


夜空いっぱいに、ひときわ大きな花火が咲いた。


金色の光が、まるで優しく包み込むみたいに広がっていく。


真尋は、少しだけ笑った。


涙を零しながら。


それでも確かに、前を向こうとする笑顔だった。

四十九日――。


その日は朝から、空気が静かだった。


蝉の声も、どこか遠く感じる。


凪と真尋は、白い壺袋を抱えて社へ来ていた。


今日は、風間さんを送り出す日。


黒服のボディガード達も、少し離れた場所で待機している。


けれど。


「……少しだけ、二人にしてください」


真尋が頭を下げた。


「ですが――」


「お願いします」


凪も静かに言う。


影野は少し迷った後、静かに頭を下げた。


「……承知しました」


やがて、黒服達が鳥居の外へ下がっていく。


足音が遠ざかる。


完全に気配が消えたのを確認し、凪はゆっくり前へ出た。


石畳の中央。


朝の風が吹く。


真尋は壺袋を大事そうに抱えていた。


「……凪ちゃん?」


凪は答えない。


静かに目を閉じる。


そして――。


僅かに、魔力を流した。


空気が変わる。


ざわり、と木々が揺れる。


真尋が驚いたように空を見上げた。


さっきまで青かった空へ、ゆっくり雲が集まり始める。


風が冷たくなる。


「……これって…」


ポツリ――。


小さな雨粒。


石畳へ落ちる。


また一粒。


また一粒。


優しい雨だった。


まるで、泣いているみたいな。


それでいて、どこか暖かい雨。


真尋は呆然と空を見る。


「……凪ちゃん…」


凪は静かに言った。


「……今日は、空も見送りたいらしい」


雨は少しずつ強くなる。


社の屋根を叩く音。


木々を濡らす音。


その中で。


白黒の猫――ミミが、

いつの間にか鳥居の上へ座っていた。


じっと、二人を見ている。


真尋は壺袋を抱え直す。


「……風間さん」


雨粒が頬を伝う。


涙なのか、雨なのか、もう分からなかった。


降り続いていた雨は――。


五分ほどすると、嘘みたいに静かに止んだ。


木々から、雫がぽたりぽたりと落ちる。


湿った風が、優しく吹き抜けた。


そして。


空に、大きな虹が架かった。


社の向こう。


山から山へ繋がるような、大きな虹の橋。


真尋は、息を呑む。


「……綺麗…」


涙で滲んだ目に、七色の光が映る。


凪は静かに、真尋を見る。


「さぁ…真尋ちゃんの番だよ…」


その声に、真尋は小さく頷いた。


白い袋から、小さな骨壷を取り出す。


大事そうに抱えながら、石畳の中央へ歩いていく。


雨で濡れた石畳。


空には虹。


真尋は、静かに目を閉じた。


涙が、頬を伝う。


「……風間さん…」


小さな声。


骨壷を抱く手が震える。


その時――。


ふわり。


風が吹いた。


優しく。


包み込むみたいな風。


真尋の短くなったピンク髪が、

揺れる。


その風は、ゆっくり渦を巻き始めた。


まるで、誰かが手を引いているみたいに。


真尋は、そっと骨壷を開く。


白い骨粉が、風へ乗った。


さらさらと。


空へ舞い上がっていく。


虹の方へ。


まるで、橋を渡っていくみたいに。


真尋は、涙を流しながら空を見上げた。


その胸の中へ――。


『楽しい』


『嬉しい』


『悲しい』


沢山の感情が、優しい風になって吹き抜けていく。


別れの痛み。


一緒に過ごした時間。


笑った日々。


全部が混ざり合い、心を揺らす。


そして――。


『可愛い少年』の心に、風が吹いた。


その瞬間。


真尋の周囲で、風が優しく渦を巻く。


落ち葉が舞う。


虹色の光が、ふわりと反射する。


凪は静かに目を細めた。


「……おめでとう、真尋」


真尋は涙を流しながら、小さく笑う。


風が、その涙を優しく攫っていった。


――『心に風が吹く者』になった。

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