バラの香りとともにエリアスのもとへ
王宮の重厚な扉が背後で閉まる音を聞いたとき、アデラは深く息を吐いた。祝福の言葉を投げかけてくる貴族たちを振り切るように、ヴァルティナの手綱を強く握る。その瞳には、ただひとつの場所だけが映っていた。
フォルモーネ邸──。
愛しき人が待つ、唯一の帰る場所。
王都の石畳を駆け抜けるうち、アデラの頬に風が優しく当たった。騎士としての仮面を脱ぎ捨てたその横顔には、どこか少女のような面影すら宿っていた。
やがて、見慣れた鉄製の門が見えてくる。黒を基調とした壁に囲まれた屋敷。その前に、陽光を浴びて輝く背の高い男性の姿があった。
金の髪は風に揺れ、まるで柔らかな光を纏っているようだった。
「おかえり、アデラ。」
その一言に、アデラの心が揺れた。
戦場では誰にも見せなかった微笑みが、その唇に浮かぶ。
「ただいま、エリアス。……約束通り、無事に戻ったわ。」
エリアスは何も言わず、ただアデラに近づく。手を伸ばしかけて、けれど触れる前に、一歩引いた。まるで今ここにある奇跡を壊すことを恐れているかのように。
けれど、アデラの方からその距離を埋めた。そっと、手を握る。
「私、本当に帰ってきたのよ。あなたの元へ。」
その言葉に、エリアスの目が潤む。彼は、戦場で立ち続けた者の強さを知っていた。だからこそ、アデラのその手の温もりが、どれほどの意味を持つのかを痛いほど感じていた。
ふと、庭に目を向けると、そこには見渡す限りのバラが咲き誇っていた。赤、白、桃色──色とりどりの花々が陽に照らされて輝いている。
「……こんなに、たくさん……。」
アデラが呟くと、エリアスが笑った。
「覚えてる?かつて、『アンドレ』が『エイラ』に求婚したとき、108本のバラを捧げたんだ。」
アデラは頬を赤らめた。
「そんな昔のこと、よく覚えてるのね。」
「覚えてるさ。あの時も、あなたは真っすぐに私の目を見て言ったんだ。『私があなたを守る』って。」
エリアスは深呼吸し、静かに言葉を継いだ。
「知ってるか?数えきれないほどのバラには、『尽きることのない愛』という意味があるんだ。永遠の誓い。だから……今度は、私の番だ。」
彼はバラの花束を差し出した。
「アデラ、私と夫婦になってください。そして、私にあなたを支えさせてください。」
アデラは、涙が溢れそうになるのを堪えながら頷いた。
この手を、もう二度と離さない。
見守っていた侍女たちも、執事も、騎士たちも──皆が思わず涙をぬぐい、祝福の拍手を贈った。
そのとき、エリアスがふとアデラの手元に目を向けた。
「……その包み、もしかして?」
「ええ。あなたへのお土産よ。」
アデラは布に包まれていた小さな蒼い花を取り出した。それは、星のように淡く輝く──まるで夜明けの光を宿したような──不思議な薬草だった。
「終焉の咆哮の奥で咲いていたの。癒しと回復の力があるらしいわ。」
「……長命草か。まさか、こんな危険な地でそれを見つけてくるなんて。」
エリアスは花を見つめ、そっと指で撫でた。
「私の身体を案じて……?」
「当然でしょ。あなたに長く健康に生きていてもらわないと、困るもの。」
その一言に、エリアスの目がふっと緩む。言葉ではなく、その花のぬくもりが、アデラの気持ちの全てを語っていた。
静かな夕陽が差し込み、二人の影を長く伸ばしていた。




