竜の解放
アデラの剣が、静かに雪を裂いた。殺意ではなく、決意を帯びたその気配に、竜の咆哮が一瞬だけ止まる。
轟々と鳴いていた吹雪が、まるで息を飲んだかのように静まり返った。辺りの空気が凍りついたように張り詰め、雪の一片すら、空中で足踏みするかのような静謐が支配する。
その刹那、影が低く笑った。冷笑とも、哀れみにも似たその声音は、鼓膜よりも先に、心臓の奥を冷たく撫でた。
「剣を収めて、どうする。慈悲か?哀れみか?」
「違う。ただの選択よ。私は『殺さずに終える』方法を選んだだけ。」
アデラの声音には、微塵の揺らぎもなかった。それは恐れではなく、自らの意志を貫く者の静謐な強さだった。
影は手を上げる。すると、竜の背に浮かんでいた黒い紋様が蠢き始める。まるで意志を持った鎖のようにのたうち、竜の身体を締めつけていく。骨を砕き、心をねじ伏せるような圧倒的な呪縛の力。
「愚かだな。オマエに『呪紋』を解けるとでも?」
「呪いに抗うのは力じゃない。……意志よ。」
アデラは剣を地面に突き立てた。白銀の剣が雪に沈み、その周囲だけがふわりと温もりを帯びる。彼女は目を閉じ、深く、ゆっくりと呼吸を整える。凍てつく空気が肺を焼くように冷たかったが、その冷気こそが、戦場の現実を思い出させてくれる。
アンドレとして生きた日々。剣を振るう意味もわからぬまま、ただ前に立ち続けた日々。弱さも恐れも、すべてを包み隠して前を向いた「仮面の騎士」としての記憶が、今、この一瞬にすべて甦る。
彼女はただの騎士ではない。「騎士団長」になるために、男として生き、血を吐くような訓練と戦いを重ねてきた。その全てが、いま確かに彼女の中にある。
「華よ、咲け。血と誓いを肥やしとし、運命に抗うために、私は問う──。」
低く呟いたその言葉は、言霊となって風に変わり、辺りの空気に震えを走らせた。樹々がざわめき、森が目を覚ます。
「汝は囚われしものか、それとも自ら呪いに身を委ねしものか?」
竜の赤い瞳が、ゆら、と揺れた。血と狂気に濁ったはずの双眸に、一瞬だけ、わずかな理性の色が戻る。
アデラの声は届いている。魂の深奥へと、確かに染み入っている。
「なら、答えて。あなたは……自由になりたい?」
その問いに、竜の口から震えるような呻きが洩れた。牙の奥から濁った炎が滲み出し、喉を焼くように膨れあがる──だが、それを竜は、明らかに「自らの意思」で押しとどめていた。
(……届いてる。ちゃんと、届いてる)
アデラはそっと剣を手放した。剣が雪に沈む音すら立てず、ただ静かに、地面に還っていく。
彼女は両手を開き、身を晒した。武器も盾も捨て、祈る者のように。
「私はあなたを斬らない。でも、その代わりに、共に抗う。あなたを縛るものに──。」
「──傲慢だな。」
影が唸るように言った。




