出発の日③
雪が空から激しく舞い降りる中、竜は地響きを伴って迫ってくる。まるで山が動いているかのような圧倒的な質量と存在感。その鱗は夜のごとく黒く、全身を覆うように厚く重なり、矢も刃も通さぬことを暗示していた。
だが、アデラの瞳に宿るのは、恐れではない。
(この一歩は、未来を取り戻すための一歩)
剣を逆手に握り、彼女は雪を蹴った。鞍から飛び降りるようにして竜の側面を取る。
竜は低く唸った。眼光がアデラの動きに反応して、首を振り、尾が横薙ぎに振るわれる。
「──ッ!」
アデラはそれを予測していたかのように伏せ、雪の中を転がる。その瞬間、尾が通過した位置の木々が無惨に折れ、吹雪の白が赤く染まった。野生の小動物だろうか──そんなものすら容赦なく巻き込まれる暴力。それが、この森における「終焉の咆哮」の本質。
だが、アデラは止まらない。
「……エリアスと手繰り寄せた夢よ。あの日の誓いに向けて、私は今、立ち向かっているの。」
誰に聞かせるでもない呟きだった。それでも、彼女の声はまるで祈りのように澄んでいた。
刃が、竜の足元に届く。彼女の剣は銀の装飾を持つ細身の刃、騎士の象徴ではあるが、重装甲の竜には効果が薄い。
だが、狙いは鱗の隙間──動いた瞬間に露出する柔らかな関節部だった。
アデラは脚を蹴り、空中で体を捻った。そして、
「──咲きなさい、一華穿心、《いっかせんしん》!」
剣が鱗の間を狙って突き刺さる。一輪の華が心を穿つ様に剣を振るう。声にすることで、意識を一点に絞る術だった。
竜が叫ぶ。咆哮が空気を震わせ、雪を吹き飛ばす。
だが、その目に宿るのは怒りではない。
……怯え、だった。
アデラは一瞬でそれに気づいた。
「……あなた、恐れてる?」
竜の眼差しは、どこか外れた方向を見ていた。彼女ではない。もっと……森の奥、暗がりのさらに先。
アデラが振り返ると、そこに──確かに「何か」がいた。
黒い影。人か、それとも魔か。雪を踏みしめることなく、地を滑るように現れたソレは、ゆっくりと顔を上げる。
「ようこそ、氷の騎士様。終焉の咆哮の中枢へ。」
その声は冷たく、感情の欠片もなかった。だが、確かに彼女の名を呼んだ。
「あなたは……何もの?」
「かつて、この森に災いを植えつけたモノ。そして、いまオマエが探している宝石のありかを知るモノだよ。」
アデラの瞳が細くなる。
竜の暴走、王国の動乱、そして彼女の家が巻き込まれた悲劇──すべての根が、ここにあるのか。
「……ならば、私がここに来たのは、必然というわけね。」
剣を構えるアデラに、影は一歩も動かず笑った。
「オマエは選ばれた。だが、『その運命』の重さに、おまえはまだ気づいていない。」
次の瞬間、竜が呻くような唸り声を上げた。
目が赤く輝き、頭を振って暴れ始める。影が手を翳すと、竜の背に黒い紋様が浮かび上がった。
「操ってる……?」
「正確には『縛って』いる。奴らは、我らの楔であり、門であり、血であり、声だ。」
影の言葉は意味を持ちつつ、同時に意味を失っていた。まるで狂詩。正気と狂気の狭間で揺れる声だった。
アデラは舌を噛んだ。こんな場所で倒れるわけにはいかない。ここで、この存在と対峙することこそが、私に課せられた運命──そう直感していた。
竜が再び咆哮を上げる。それは今までと違い、どこか「哀しみ」を含んでいた。
「あなたも……囚われてるのね。」
アデラは剣を収め、静かに言った。
「……なら、まずはあなたを解き放つわ。」
影がわずかに目を細める。
「オマエにできるとでも?」
「いいえ。でも、私しかいないから、やるの。」
その言葉に、森の風が震えた。
アデラは再び剣を構える。だが今度は、斬るためではない。
竜の瞳に映るのは、敵ではなく、「救おうとする者」。
終焉の咆哮の奥で、何かが動き出そうとしていた──。




