108本の赤いバラ
華やかな舞踏の余韻がまだ会場に残る。
軽やかなステップを刻んだ足元は熱を帯び、心臓は音楽のリズムを忘れられないままだった。
「お疲れではありませんか?」
アンドレがそっと囁く。ダンスの余熱を冷ますように、優しく差し出された手。
その仕草はまるで、秘密の小部屋へと誘うようだった。
「少し、風に当たりませんか?」
華やかな舞踏会の盛り上がりを包み込むように、重厚なカーテンが静かに引かれている。
その隙間から覗くバルコニーは、まるで別世界だった。
煌びやかなシャンデリアの光も、バルコニーまでは届かない。そこにはただ、淡い月の光のみが降り注ぎ、白い大理石の床を静かに照らしている。
大広間の内と外、光と闇の狭間。バルコニーは、貴族たちの秘密の場であり、ただ静かに秘密を交わす場所だった。
夜風に煽られ、カーテンが静かに揺れた。まるで二人を誘っているように。
エリアスは微笑む。そっと手を預けると、アンドレはまるで大切な宝石を扱うかのように、その指を包み込んだ。
「では、ご一緒に。」
アンドレの言葉とともに、二人は豪華な舞台を抜け、静寂と月光の待つバルコニーへと足を踏み出した。
涼やかな夜風がドレスを揺らし、静寂の中に遠くから聞こえる笑い声と音楽が風と溶け込んでいる。
「さて、お互いの利益のために契約結婚をするという話でしたね?」
アンドレは腕を組み、エリアス──「エイラ」を見つめた。
「ええ。ですが、あなたの方こそ、本気でそんな提案を?」
エリアスは優雅に微笑みながらも、その目には探るような光が宿っていた。
「本気ですよ。むしろ、あなたこそどうです?」
「……悪くないお話だとは思いますわ。」
エリアスはバルコニーの手すりに手を添え、ゆっくりと夜空を見上げる。
契約結婚──それは、彼にとっても好都合な話だった。
彼は伯爵家の嫡男ではなく跡取りではない。
だが、「エイラ」という仮面をかぶっている限り、政略結婚の道を避けることもできない。
だったら──いっそ、自分と対等に利用できる相手と手を組むのが得策だ。
「ですが、お互いにとって利益になる契約である以上、細かい条件を決める必要がありますわね。」
「もちろんです。ですが、ここで話すのも何なので後日、オーケン伯爵家にお伺えしたいと思います。」
「承知いたしましたわ。お待ちしております、アンドレ様。」
アンドレはエイラの返事を聞くと満足そうな笑顔を向け、彼女をオーケン伯爵家の馬車までエスコートした。
帰りの馬車でエリアスは舞踏会のことを考えていた。
アンドレは男性のエリアスから見ても美しい青年であり、アンドレと言葉を交わしたのは初めてだったが懐かしさを感じていた。




