伊勢界隈で頭を下げすぎて疲れたのと横丁がボチボチやっているのを確認して伊勢郊外の拠点で昼寝をする博之
伊勢郊外の横丁にたどり着いた頃には、博之の足はもうだいぶ重くなっていた。
松坂の港から船に乗り、伊勢の港へ入る。港の顔役に挨拶し、寺と神社に寄進し、飯を振る舞い、
伊勢の城下の屋形へ向かい、さらに郊外の寺社へも顔を出す。
今日一日で、何度頭を下げたか分からない。
それでも、横丁の様子だけは先に見ておきたかった。
伊勢郊外の横丁は、松坂ほどの勢いこそない。だが、竈からは湯気が上がり、
握り飯を買う旅人がいて、田楽の匂いに足を止める者もいる。
博之は少し離れたところから眺めて、ぽつりと言った。
「ぼちぼちやれてるな」
ヨイチが横で頷く。
「悪くないですね。派手ではないですけど、ちゃんと回ってます」
「まずはそれでええ」
博之はそう言いながら、屋敷へ入った。
そして、敷居をまたぐなり言った。
「とりあえず昼寝する。話はそれから聞くわ」
出迎えた古参たちが、ぽかんとした顔をした。
ヨイチが呆れて言う。
「旦那、急に態度ひどくなりますね」
「そらもう、ここも我が家みたいなもんやからな」
「他の拠点に来て、いきなりごろんとする旦那って、なかなかすごいですよ」
「今日は疲れてん」
博之は畳の上に座り込み、そのまま転がりかけた。
「松坂の港から船で伊勢に来て、港回って、顔役に挨拶して、寺社に寄進して、
城下の屋形に行って、郊外の寺と神社も回ったんやぞ」
「それは疲れますね」
「しかも、なんぼ使ったと思う」
「ええと……」
「五万文や」
部屋が少し静かになった。
「港の顔役に一万文。港近くの寺と神社に一万文ずつ。城下の屋形に一万文。
郊外の寺社に五千文ずつ。合計五万文や」
「派手に使いましたね」
「さらに、港の立ち上げで五万文置いてきた。合わせて十万文や」
古参たちが、さすがに息を呑んだ。
「十万文……」
「で、ここにも一万文ぐらい置いていかなあかん」
「まだ置くんですか」
「置く」
博之は寝転がりながら言った。
「ただし、好きに使えというわけちゃうぞ。今の状況を聞きたい。情報交換や」
古参たちは慌てて座り直した。
「今日、伊勢の港で横丁を立ち上げてきた」
「もうですか」
「もうや。九鬼様の口添えでな」
博之は天井を見ながら続ける。
「そこから、伊勢の城下町にも横丁を立てる話が来るかもしれん。そしたら、この郊外ともつながる」
「港、城下、郊外ですか」
「そうや」
博之は身体を起こした。
「特に大事なんは、ご飯ものと漬物や。混ぜ飯やな」
たくあん、梅しそ、茄子、きゅうり、しそ漬け。飯に混ぜて握れば、旅人にも売れる。
弁当に入れれば彩りになる。日持ちも多少する。
「松坂から全部持ってくるのは具合が悪い」
博之は言った。
「伊勢のものを伊勢で消費する形にした方が、筋が通る。地元に銭が落ちる。
ここで大根を買い、ここで漬け、ここで混ぜ飯にする。そういう流れを強化したい」
「調味料はどうします」
「そこはある程度、松坂からでも仕方ない。味噌だまり、塩、油、生姜、大葉。けど、
いつまでも松坂頼みではあかん」
古参たちは真剣に聞いていた。
「ここは伊勢の初めの拠点や」
博之は指を一本立てる。
「まず横丁一つ。これを二つぐらいにしたい。港の横丁も、たぶん二つはいける」
「港の方が利益は高いんですか」
「高い」
博之は即答した。
「こっちに話が来てるかは知らんけど、港では小魚を練って油で揚げるすり身天がある。
安く作れて、高単価で売れる」
「すり身の揚げ物ですね」
「そうや。それに鮪や」
博之の声に熱が入る。
「鮪の端を食える形にした。ねぎと生姜で煮て、臭みを消して、汁物にする。
これが九鬼様にめちゃくちゃ気に入られた」
「そんなにですか」
「利益率が半端ない。もともと捨ててたようなものを、高値で売るからな」
ヨイチが横で補足する。
「旦那、鮪鍋は五十文で出す気です」
「五十文……」
古参たちが顔を見合わせる。
「高いと思うやろ。でも味がある。物珍しさもある。港飯としての力もある」
博之は続けた。
「今の中間目標は、それを神宮で売れるようにすることや」
「神宮で」
「一軒でも二軒でも食い込めたら、値段が違う。向こうは三倍の値でも通る。
原価が変わらず値が三倍になったら、鬼ほど儲かる」
部屋の空気が変わった。
「それができたら、伊勢の設備は伊勢だけで整う」
博之は言った。
「湯浴み、屋敷、漬物場、養鶏場、人の寝床。全部、伊勢の儲けで回せるようになる」
「そのために、ここが大事なんですね」
「そうや。ここが郊外の踏ん張りどころや」
博之は古参たちを見た。
「特に卵や。卵はいくらでも使う。親子丼、弁当、汁物のとじ。港ではそこまで
卵は主役にならんかもしれんが、城下や神宮に近づけば必ず使う」
「養鶏場を強めます」
「田楽もある。団子もある。混ぜ飯もある。港飯とは別に、城下向きの飯をここで整える」
港は鮪、すり身、あら汁。
郊外は卵、漬物、混ぜ飯、田楽。
それぞれ役割が違う。
「じっくりやっていけ」
博之は言った。
「ただし、ずっとトントンでは困る」
古参たちの背筋が伸びる。
「無理なら言え。うちから設備の足しは出す。一万文で簡単な湯あみでも作ってやる」
「湯浴みですか」
「まだできてなかったんかい、という話や」
博之は少し笑った。
「男と女を分けるか、時間で分けるか、日は分けるか。そこは任せる。
ただ、飯と寝床だけでは人は残らん。身体を洗える場所はいる」
「分かりました」
「あと、寺と神社には今日また挨拶に行った。お前らも時々、弁当持って顔を出せ」
「弁当を」
「そうや。様子伺いでええ。最近困ってることはないですか、面白い話はありますか、
うちの者が迷惑かけてませんか。それだけでええ」
博之は茶を一口飲んだ。
「雇ったやつの面倒も見ろ。ちゃんと見切れるか分からんけど、見ないと辞める。
辞めるやつは辞めるけど、残るやつを大事にしろ」
「はい」
「読み書きと数もやらせろ。港や神宮に行きたいなら、飯だけでは無理や。
帳面が見られんと、どこにも出せん」
古参たちは揃って頷いた。
博之はようやく話し終えたように、また畳へごろりと転がった。
「というわけで、俺は寝る」
「今ですか」
「今や」
ヨイチが笑う。
「旦那、最後だけ急に雑ですね」
「雑にもなるわ。今日、十万文動かして、何回頭下げたと思ってんねん」
「確かに」
「話は聞いた。指示もした。銭も置く。あとは一回寝てからや」
お花が静かに笑った。
「では、少しお休みください」
「そうする」
博之は目を閉じた。
伊勢郊外の屋敷の外では、横丁の竈から湯気が上がっている。
港では、鮪鍋とすり身天が動き始めた。
城下には挨拶を通した。
寺社にも銭を置いた。
まだ、点と点は細い。
だが、確実につながり始めている。
博之は眠りに落ちる前、ぼんやりと思った。
港、郊外、城下、神宮。
伊勢は広い。
けれど、飯で行けるところまで行くしかない。
そう考えながら、博之はそのまま深い昼寝に落ちていった。




