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伊勢郊外で昼寝して落ち着いた博之。晩御飯を食べて伊勢周りの話を共有する。必要なものがあれば書いて。揃えるから

少し眠ったことで、博之の顔色はだいぶ戻っていた。

伊勢郊外の屋敷では、晩飯の支度が進んでいた。握り飯、田楽、少しの鶏、漬物、温かい汁。

松坂ほど豪勢ではないが、十分にうまい飯だった。

博之は布団と枕を用意させ、畳の上にごろりと横になった。

「今日はここで一泊する。せっかくやから、晩飯食いながら喋れることは全部喋っていこうや」

 伊勢郊外の古参たちは、少し緊張していた。

「旦那様、そんな寝転びながらでよろしいんですか」

「ええねん。もう今日は疲れた。緊張せんでええぞ。俺は寝転びながらやる」

 ヨイチが横で笑う。

「旦那、完全に我が家扱いですね」

「我が家みたいなもんや」

「伊勢の拠点ですよ」

「なおさらや。早く我が家みたいにせなあかん」

 そう言いながら、博之は手をひらひらさせた。

「机出してくれ。あと紙や」

「何の会話をするんですか」

「伊勢の話や」

 机と紙が運ばれてくると、博之は横になったまま、紙の上にざっくり線を引いた。

「今、伊勢の国でうちはこうなっとる」

 まず松坂郊外に丸をつける。

「始まりはここや。松坂郊外」

 そこから線を引き、松坂城下。

「次に松坂城下」

 さらに街道沿い。

「ここから街道沿いに店を出した。松坂から伊勢へ向かう道に一つ」

 別の線を引く。

「それから、松坂港」

 さらに先へ。

「今日、伊勢の港までつないだ」

 紙の上に、いくつもの点が並ぶ。

 松坂郊外。松坂城下。松坂港。街道沿い。伊勢郊外。伊勢港。

 博之はその点を指でなぞった。

「つまり、まだ細いけど、松坂から伊勢の海まで線ができた」

 部屋の空気が少し変わった。

「次に狙うのは、神宮と伊勢の城下町や」

「神宮……」

「城下町……」

「そうや。神宮は名物で入る。城下町は横丁で入る。そこが今、見えてきた」

 博之は紙の北側に別の線を引いた。

「北は津や。津も当然見る。けど、今のところ、うちは伊勢を見とる」

「津は後回しですか」

「後回しというか、雑に言うたら、津方面の新しい拠点には五万文でも十万文でも渡して、

 勝手に攻められるなら攻めといてくれ、という感じや」

 その言い方に、古参たちがざわついた。

「だいぶ雑ですね」

「雑や」

 博之はあっさり認めた。

「でも、今は伊勢や。神宮まで押さえることができた方が、たぶん利益の伸びがでかい」

 ヨイチが頷く。

「神宮の値段、三倍の話ですね」

「そうや」

 博之は身体を少し起こした。

「同じ飯でも、松坂で十文のものが、神宮近くで三十文になるかもしれん。

すり身天、蜂蜜饅頭、特別弁当。原価が変わらず値が三倍なら、鬼ほど儲かる」

「それで伊勢の設備を整える」

「そうや。伊勢で儲けて、伊勢に使う。湯浴み、屋敷、漬物場、養鶏場、人の寝床。

 そうやって伊勢だけで回るようにしたい」

 博之は次に、海側を指でなぞった。

「九鬼様と付き合うなら、北ばっかりではない。南伊勢もある。鳥羽や志摩の方に飛び地で

 行く可能性もある」

「飛び地ですか」

「港町を押さえるということは、漁師に利益が出る形を作るということや。魚の端、

 あら、鮪、海老殻。今まで値が薄かったものに値をつける。そこから飯ができる。

 利益が出る。湯浴みも作れる。人も雇える」

 古参たちは、黙って聞いていた。

 松坂から見ていた時とは、地図の見え方が違っていた。

「ほんまは、もっと商いが発達してる港へ行く手もある」

 博之は言った。

「けど、伊勢を押さえる意味はでかい。神宮がある。参宮客がいる。

 港がある。郊外で物資も作れる。ここを取れたら、伊勢松坂屋は一段上に行く」

 お花が静かに言った。

「松坂でやったことを、伊勢でもやるということですね」

「そうや」

 博之は頷いた。

「松坂郊外で、俺がちょこちょこ揃えてきたやろ。横丁を増やし、布団を仕入れ、湯浴みを作り、

 城下で店を出し、寺社に挨拶して、町の者と縁を作る。あれと同じ形を、

 伊勢郊外から伊勢市街地へ向けてやりたい」

「ただし、伊勢は松坂より難しい」

「そうや。神宮もあるし、既存の店もある。だから、全部うちで囲い込むんやなくて、

 市街地の湯浴み屋もちゃんと使え」

 博之は強く言った。

「金を落とさな信用されへん。うちだけで湯浴みを作って、うちだけで飯を食って、

 うちだけで寝てたら、土地の者からしたら気味が悪い」

「町に銭を落とす」

「そうや。その上で、足らんもんをうちが作る」

 博之は紙を書記の者に渡した。

「ここからは、お前らが書け」

「何を書けば」

「足らんもん全部や」

 博之は指を折りながら言った。

「寝床。湯浴み。漬物桶。養鶏場。薪置き場。油。味噌だまり。塩。読み書きの先生。

 算用を教える者。寺社への挨拶用の弁当。地元の農家とのつなぎ。女衆が安心して働ける場所。

 港との連絡役。全部書け」

 部屋がざわついた。

「費用も書け」

「費用もですか」

「ざっくりでええ。五百文、一千文、五千文、一万文。必要なら必要と書け」

 博之は布団に肘をついた。

「明日、松坂へ戻ったら、その金を用意させる。すぐやりなはれ」

「そんなに急いでよろしいんですか」

「今やからや」

 博之は静かに言った。

「うちは今、金が余っとる。余らせて抱え込むと狙われる。なら、さっさと使って、

 伊勢の設備と信用に変えた方がええ」

 ヨイチが横でにやにやする。

「でも、旦那。内宮に店出してモテたいんでしょう」

「それもある」

 即答だった。

 部屋に笑いが起きる。

「そこは否定しないんですね」

「当たり前や。神宮の端で名物飯を売って、参宮客にちやほやされる。これは夢がある」

「女の子にですか」

「できればな」

「最低ですね」

「正直やろ」

 笑いながらも、博之の目は地図を見ていた。

「半月か一月後には、伊勢の港を見に行く」

 博之は言った。

「まだ立ち上がりがどうなるか分からん。鮪鍋が売れるのか。すり身天が続くのか。

 漁師との関係ができるのか。人が辞めるのか。ぶっちゃけ、全然分からん」

「だから、ここでも情報を集める」

「そうや。港から何が来るか。城下から何が流れるか。神宮へ向かう人が何を食ってるか。

 郊外の者は何を欲しがってるか。全部見ろ」

 古参たちは、紙に書き始めた。

 足らないもの。

 必要な銭。

 人の配置。

 寺社との付き合い。

 地元で買えるもの。

 松坂から送るべきもの。

 博之はその様子を見ながら、ようやく少し安心した顔になった。

「伊勢は、お前らの踏ん張りどころや」

 誰もすぐには返事をしなかった。

 だが、筆の音だけが続いた。

 博之は布団に身体を沈める。

「緊張せんでええ。けど、遠慮もすんな。必要なもんは言え。金は出す。

 ただし、土地に銭を落とせ。飯を配れ。頭を下げろ。帳面をつけろ」

「はい」

 ようやく古参たちが頷いた。

 伊勢郊外の夜は、松坂より少し静かだった。

 けれど、その静けさの中で、伊勢松坂屋の次の地図が描かれていく。

 港。

 郊外。

 城下。

 神宮。

 それぞれの点を、飯と銭と人でつなぐ。

 博之は横になったまま、ぽつりと言った。

「飯で伊勢に入るぞ」

 ヨイチが笑う。

「もうだいぶ入ってますよ」

「まだ入口や」

 博之は目を細めた。

「こっからや」

 その夜、伊勢郊外の屋敷では遅くまで紙と筆が動き続けた。

 翌朝には、必要なものの一覧が松坂へ持ち帰られる。

 伊勢の拠点は、ただの郊外横丁から、伊勢攻略の足場へ変わろうとしていた。

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