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2月初旬。九鬼方に伊勢の港で商売する準備が整った報告と物資の運搬支援、橋渡し支援で1万文持参し挨拶に行く

2月の正月気分がまだ少し残る頃、博之は九鬼方の屋形へ向かった。

 今回は、ただの年始の顔出しではない。

 伊勢の港に横丁を作る準備が整ったこと。その橋渡しを頼みたいこと。そして、

松坂から人と物を送るにあたり、船に乗せてもらいたいこと。

 その願いを込めて、一万文を包ませた。

 紋付き袴を着た古参を連れ、博之は九鬼方の屋形で深く頭を下げた。

「伊勢松坂屋の博之でございます。本日は、伊勢の港に横丁を作る準備が整いましたので、

 そのご挨拶と、橋渡しのお願いに参りました」

「ついにやるか」

 九鬼方の家臣は、にやりと笑った。

「こちらもな、金の匂いと飯の匂いには敏感や。うまくやれるなら、仲良くしていきたい」

「ありがとうございます」

「で、一万文か」

「はい。ご挨拶と、船のお願いも含めてでございます」

「船?」

「松坂から人と物を送りたいのです。鮪鍋、すり身天、海老殻出汁のあら汁。港飯をやるには、

 最初に松坂で仕込んだ者を送らねばなりません。米、味噌、塩、桶、道具、焼印、紋付き袴も

 要ります。陸路だけでは遅いので、船に乗せていただければと」

 家臣は腕を組み、面白そうに聞いていた。

「どうせなら、旦那も行くか」

「行きます」

 博之は即答した。

「挨拶回りをしなければなりませんので、もう数万文持って行くつもりです」

「派手に行くな」

「今回は先行投資です」

 博之は言った。

「伊勢の港回りを挨拶して回り、寺社にも顔を出し、漁師や顔役にも飯を持って行きます。

 そこで楔を打ち込み、あわよくば一年内に、神宮さんの端で一軒二軒、名物飯を出させて

 もらえればと思っております」

「神宮まで見とるのか」

「はい」

「目玉は何や」

「鮪をねぎと生姜で煮たもの。それと、すり身の揚げ棒でございます」

「揚げ棒?」

「魚の端をすり身にして、棒や団子にして揚げるものです。参宮客が食べて驚くような名物に

 できれば、かなりの利益が上がると思っております」

 家臣は笑った。

「捨てる魚と鮪の端で、神宮まで行こうというのか」

「はい。そこに先行投資をします」

「相変わらず、飯で攻めるな」

 博之はさらに続けた。

「個人的には、伊勢の港へ行った者には、もう帰ってくるなという気持ちでおります」

「帰ってくるなとは、ひどいな」

「いやいや、そこで踏ん張ってもらわないと困るのです。伊勢の港で根を張り、

 神宮まで道ができれば、今度は伊勢の郊外に作っている横丁とつながります。

 さらに城下の方も海沿いに攻めれば、そこもつながる」

 博之は手で地図を描くように動かした。

「海で飛びかけるように見えますが、最後は陸路でも帰ってこられるようになる。うちの店の線で」

 家臣は声を上げて笑った。

「ほんまに戦国大名みたいな動きをするな」

「飯屋でございます」

「飯屋が一番怖いわ」

 周りの家臣たちも笑った。

「ますます伊勢松坂屋は栄えるな」

「いえ、ほんとに昨年三月無一文からの一年です」

 博之は少し表情を引き締めた。

「いつ駄目になるか分かりません。火事になるかもしれない。戦に巻き込まれるかもしれない。

 だから、使える時に使い、周りにうちの者を残していきたいのです」

「残す?」

「焼印を作りました」

「焼印?」

「はい。伊勢松坂屋の印です。女衆が結婚したり、出産で一度身を引いたりする時に渡そうと

 思っております。よそでも、この印があれば、伊勢松坂屋で働いた者だと分かる。

 小さな店を切り盛りするもよし、子育てが落ち着いて戻ってくるもよし」

「考えておるな」

「元は、孤児や未亡人や流れ者が多かった店です。今は大きくなって色々な者が

 来るようになりましたが、根っこはそこです」

 そこで博之は、ふと思い出したように言った。

「うちの湯あみをご存じですか」

「湯あみ?」

「松坂城下でやっている湯浴みです。畳敷きの休み場もあって、結構好評なんですよ。高い値段で」

「ああ、聞いたことがある。めちゃくちゃ金をかけて作ったやつやろ」

「遊びで作りました」

「遊びで作るな」

 周りが笑う。

「城下の湯浴み屋に、うちの者が大量に行って苦情が出まして。そこで、うち専用の簡易湯浴みと、

 少し高めの湯浴みを作りました。ただ、元の湯浴み屋の客を奪いすぎても角が立つので、

 あえて高めにしたのです」

「それでも使うのか」

「使います。うちの者は、飯と宿がほぼただです。日銭が溜まります。ですから、

 湯浴みや蜂蜜饅頭に使うのです」

「なるほどな」

 家臣はにやりとした。

「つまり、そちらの女衆と結婚したら、飯代はいらん。下手したら宿も用意してくれるかも

 しれんということか」

「そこは相談ですな」

 博之は笑った。

「小屋の一つぐらいなら、借り切ってあげてもええかなと思っております」

「嫁入り道具つきか」

「そんな立派なものではありません。ただ、うちの女衆には地元で根付いてほしいと思っております。

 ですので、婚姻の一千文くらいは出します」

「手切れ金みたいやな」

「手切れではありません。門出の銭でございます」

 家臣たちは顔を見合わせた。

「それは、色めき立つ男衆がおるかもしれんな」

「この前の弁当の会も評判よかったらしいぞ」

「あれはよかった。女衆もよう働くし、飯もうまいし、愛嬌もある」

 博之は少し得意げに頷いた。

「ただし、うちの女衆は稼ぎますからな。粗末に扱ったら、戻ってきますよ」

「怖いことを言うな」

「戻れる場所がある女は強いです」

 その言葉に、家臣は少し感心したように目を細めた。

「お前、飯屋だけでなく、人の逃げ道まで作っておるのか」

「逃げ道がある方が、安心して前に進めますから」

「なるほどな」

 家臣は一万文の包みを受け取った。

「よし。伊勢の港への話、こちらでも通しておく。船の手配もできる限り見る」

「ありがとうございます」

「その代わり、うまい飯を食わせろ。鮪も、すり身も、海老の出汁もな」

「もちろんでございます」

 博之は深く頭を下げた。

 屋形を出ると、ヨイチが横で笑っていた。

「旦那、とうとう女衆の嫁入りまで商いに絡めましたね」

「商いちゃう。面倒見や」

「どっちもです」

「まあ、どっちでもええ」

 博之は伊勢の方角を見た。

 船で人を送り、港に横丁を作る。

 鮪鍋とすり身天を名物にする。

 神宮の端に一軒二軒、道を作る。

 そして、そこで働く者たちが、土地に根を下ろしていく。

「伊勢に楔を打つぞ」

 博之が呟くと、ヨイチが苦笑した。

「ほんまに大名みたいですわ」

「飯屋や」

 そう言いながら、博之の足取りは軽かった。

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