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松坂港の九鬼水軍との話の帰り道の雑談。港飯の定着と各種あいさつ回りが続く

九鬼方の館を出た帰り道、博之は少しだけ物足りなさそうな顔をしていた。

「いや、会議しながら思ったんやけどな」

 隣を歩くヨイチが振り向く。

「なんですのん」

「もっと聞きたかったなと思って」

「何をですか」

「下の者がどれぐらい辞めるのかとか、根性ないやつはどこにもおるんかとか。

あと、漁師たちの採用やら、漁場の取り分やら、海産物の扱いとか。そういう話や」

 ヨイチは呆れた顔をした。

「そんなこと、九鬼様方が軽々と話すわけないじゃないですか」

「そうか?」

「身分が違うんですよ、一応」

「一応ってなんや」

「旦那が距離感おかしいんです」

 博之は腕を組んで歩いた。

「俺が変なんかな」

「変です」

「俺が年なんかな」

「それは関係ないです」

 少し間が空いて、博之はまたぼやいた。

「でも、九鬼様ぐらい規模がでかかったら、家の名前に連なりたいっていうやつもおるやろ。

 けど、入ったら辞めてくやつもおると思うねん。お武家様でも、そういうのありそうやんか」

「まあ、それはあるかもしれませんね」

 ヨイチは少し考えてから言った。

「でも、その辺は規模にもよるし、待遇にもよるんちゃいますか」

「待遇か」

「うちは最初、待遇が悪かったでしょう」

「飯まかない付十文とかな」

「そうです。けど、その後は急激に良くなってます。飯も寝床もある。湯浴みもある。

 布団もある。給金も増えた。町屋にしては、かなりしっかりしてる方やと思いますよ」

「出すもんは出してるよな」

「出してます」

「なら、ちゃんと動いてもらわんとな」

 博之はため息をついた。

「そこですよ」

 ヨイチが言った。

「下働きを嫌がらずにやる。それが一番難しいんちゃいますか」

「薪くべ、串刺し、掃除、鍋洗い」

「そういうのを馬鹿にするやつは、たぶん続きません」

「結局、うちはうちか」

「うちはうちです」

 そう言われ、博之は少しだけ納得したように頷いた。

 本店に戻ると、すぐに港飯の話になった。

 鮪鍋は、九鬼方にも通じた。海老殻出汁のあら汁も評価された。となれば、次は値段と仕入れである。

「まず、あら汁は単価を上げる」

 博之は帳面を開きながら言った。

「海老殻出汁が入った日は、普通のあら汁と同じ値では出さん」

「上等汁扱いですね」

「そうや。毎日あるもんやないし、香りも違う。値を変える理由がある」

「いくらにします?」

「そこは仕入れ次第やな」

 海老殻は、身ほど高く買う必要はない。ただ、ただでもらう形にすると、長くは続かない。

九鬼筋にも漁師にも、少しは銭が落ちるようにしなければならない。

「海老殻は買い取りというより、出た時にまとめてもらう形やな。こっちも出汁の

良し悪しを見て値をつける」

「鮪はどうします?」

「鮪鍋は一杯五十文」

「高いですね」

「高く出す」

 博之は即答した。

「仕入れは、一杯あたり十文ぐらいで見とくか」

「それ、ちょっとやりすぎちゃいます?」

「もともと値がついてへんところや」

「でも、九鬼様方には価値を見せてしまいましたよ」

「怒られたら変える」

 ヨイチが苦笑した。

「雑ですね」

「最初は試しや。大事なのは、鮪をそのまま高く買うことやない。捨てられていたところに

値をつけることや。漁師にも銭が入る。九鬼様方にも筋が立つ。うちは調理して五十文で売る」

「利益率はかなり良いですね」

「そこが強い」

 ただし、問題もあった。

「鮪は量が多い」

 博之は言った。

「一匹入ったら、横丁一つでもさばくのが大変かもしれん」

「確かに」

「しかも、毎日食うもんではない」

 ヨイチが頷いた。

「毎日鮪鍋やったら、飽きますね」

「飽きる。しかも、やりすぎて鮪だらけになったら、みんな嫌になる」

「港の名物やけど、毎日の主食ではない」

「そうや。日替わり、あるいは鮪が入った日の目玉飯や」

 すり身天やあら汁は、日常の港飯になる。鮪鍋は、入った日の当たり飯。そう位置づけるのがよい。

「値段は五十文で押す。評判を見て、量と値を調整や」

「帳面がまた増えますね」

「言うな」

 次に話は伊勢郊外へ移った。

「伊勢の郊外は、そろそろトントンから黒にしたい」

 博之は地図を広げた。

「ただ、物流が弱い」

「松坂から全部持っていくのは無理ですね」

「そうや。卵、漬物、味噌、塩、油。そこを伊勢側である程度回せるようにせなあかん」

「養鶏場ですか」

「まず五千文ほど出す」

 博之は言った。

「小さくてええ。鶏を飼う。卵を取る。あと漬物用の桶と塩、味噌だまりの手配。大根、

 きゅうり、茄子を地元から買えるようにする」

「五千文で足りますか」

「足らんかもしれん。けど、まず足をつけるにはそれぐらいでええ」

 以前、伊勢拠点には五万文を持たせていた。その銭は、ただ店を回すためのものではない。

 寺社への寄進、近所への挨拶、働き口を作るための種銭でもあった。

「持たせた五万文を、ちゃんと土地に配りながら使わせる」

 博之は言った。

「ため込ませたら意味がない」

「寺社、農家、職人、近所の顔役」

「そうや。そこに銭と飯を出して、足をつける」

「館を作る話は?」

「そこも考えなあかん」

 伊勢郊外に人を集めるなら、寝起きする場所が必要になる。小さな屋敷、

 あるいは長屋のようなもの。湯浴みまではまだ早いが、飯と寝床は要る。

「中だけで回してたら、どうしても速度が落ちる」

 博之は言った。

「松坂で余裕があるうちに、後ろから押す。伊勢郊外を早めに形にする。そこから港を押さえる」

「それで神宮ですか」

「そうや」

 博之は地図の神宮付近を指した。

「神宮は、いきなり横丁は無理や。けど、港飯が評判になって、郊外も固まれば、

 一軒二軒は出せるかもしれん」

「二、三軒入れたら大きいですね」

「大きい。値段が違う」

 参宮客は高い。名物ならさらに高く売れる。

 蜂蜜饅頭。

 すり身天。

 海老出汁飯。

 特別弁当。

 松坂の横丁とは違う、名物屋としての商いが見える。

「伊勢郊外を固める。港を押さえる。神宮に二、三軒。そこまで行けば、速度感は帳尻合う」

「旦那、伊勢をガンガン攻める気じゃないですか」

 ヨイチが笑いながら言った。

「攻める言うな」

「でも、攻めてますよ。郊外、港、神宮。三段構えです」

「飯屋や」

「飯屋の動きではないです」

 博之は少し困ったように頭をかいた。

「でも、今やらなあかん気がするんや」

「なぜです?」

「勢いがある。銭もある。九鬼様の口添えもある。神宮の道も見えた。ここで止まったら、たぶん鈍る」

 ただし、急ぎすぎれば壊れる。

 人が足りない。

 帳簿が足りない。

 仕入れが不安定。

 伊勢の地元にも、まだ十分馴染んでいない。

「だから、押すところと待つところを分ける」

 博之は言った。

「港飯は押す。伊勢郊外の生産は押す。神宮は焦らん。ただ、布石は打つ」

「それ、かなり難しいですよ」

「分かってる」

「旦那、本当に大名みたいになってきましたね」

「やめろ」

「飯で領地経営ですやん」

「飯屋や」

 部屋に笑いが起きた。

 だが、博之の目は笑っているだけではなかった。

 松坂では、飯屋が町に根を下ろした。

 次は伊勢だ。

 郊外で人を育て、港で名物を作り、神宮で噂を取る。

 その道筋は見えた。

 問題は、人と帳簿と時間。

 博之は帳面を閉じ、静かに言った。

「まずは鮪五十文や」

 ヨイチが頷く。

「そこからですね」

「そこで評判を取る。伊勢の港へ行く理由を作る」

「そして、また挨拶回りですね」

「……それは言うな」

 博之は嫌そうな顔をしたが、もう覚悟は決まりつつあった。

 飯で道を作る。

 また、やることが増えた。

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