帳簿が嫌になりすぎた博之が企画を考える。梅見の会と港町でのお弁当会。海の男も女衆にまあまあウケる
帳簿を前にして、博之はとうとう筆を置いた。
「もう嫌や」
書記の者たちが顔を上げる。
「旦那様、まだ半分も終わってません」
「分かっとる。分かっとるけど、嫌になってきた」
博之は畳に転がりながら、天井を見た。
「とりあえず、あれやな。松坂の城下の若い衆らと、また何かやるか」
「何か、ですか」
「秋に紅葉の会をやったやろ。今度は梅でも見に行くか」
その言葉に、女衆の何人かがぱっと顔を上げた。
「まだ催ししてくれるんですか」
「する。帳簿から逃げたいしな」
「理由がひどいですけど、嬉しいです」
博之はごろりと寝返りを打った。
「どうせなら、町の若い衆を捕まえてこい。着物屋でも、道具屋でも、下働きでもええ。
飯を一緒に食うだけでも、縁はできる」
「またお見合いもどきですか」
「お見合い言うほど堅くない。弁当持って、梅見て、飯食って、喋るだけや」
ヨイチが横でにやにやする。
「旦那、人の色恋には積極的ですな」
「人の色恋は面白いからな」
「自分のは?」
「怖い」
「でしょうね」
部屋に笑いが起きた。
博之は起き上がり、さらに話を進めた。
「それと、港でもやる」
「港ですか」
「九鬼様のお膝元や。弁当片手に、海の男たちと飯を食う会やな」
女衆たちが少しざわついた。
「海の男……」
「漁師さんとか、水軍の下の方とかですか」
「そうや。がたいのいい男が好きなやつもおるかもしれんやろ」
「旦那様、言い方」
「筋肉が好きなやつもおるやろ」
「さらに言い方」
博之は構わず続けた。
「それに、九鬼様とは仲良くしときたい。港町はこれから儲かるぞ。鮪鍋、すり身天、
海老出汁のあら汁。港飯が当たれば、漁師も横丁も動く」
「港の男の方が稼ぎが良くなるかもしれないと」
「そうや。よう使ってくれるやつは、きっと稼ぎもいい。偉そうかどうかは知らん。
そこはお前らが見ろ」
「私らが見極めるんですか」
「そうや。愛嬌よくやって、猫かぶっとけ」
「猫かぶるって何なんですの」
女衆の一人がむっとした顔をする。
「私たちも、ちゃんとしなあかんところではちゃんとします」
「それが猫かぶりや」
「違います」
また笑いが起きた。
こうして、松坂城下で梅を見る会と、港町で弁当を食べる会を開くことが決まった。
松坂城下の方は、市の前後に合わせることにした。町の若い衆を呼び、伊勢松坂屋の女衆が
弁当を持って出る。握り飯、田楽、鶏串、少し贅沢な天ぷら。梅の花を見ながら、ただ飯を
食って話す。
伊勢松坂屋の女衆がそこそこ稼いでいることは、すでに町でも知られていた。
飯屋の下働きではなく、帳面も見られ、弁当も作れ、店を回せる者もいる。給金もある。
布団も持っている。湯浴みにも行く。身寄りがなくても、今はきちんと暮らしている。
そういう女衆に、町の若い衆が興味を持たないわけがなかった。
「ご縁があれば、全然ええ」
博之は言った。
「うちの中だけで固まるより、町に根付く方がええ場合もある」
「でも、仕事を辞めることになったらどうするんですか」
「そこも考えてある」
博之は少し得意げに言った。
「ちゃんと勤めた者には、辞める時に紋付き袴と焼印を渡す」
「焼印?」
「木箱や弁当箱に押せる印や。伊勢松坂屋で働いていたという証になる」
女衆たちが静かになる。
「嫁に行ってもよし。子どもができて一回離れてもよし。家で細々と飯を売るもよし。
戻ってくるもよし」
「戻ってくるもよし、ですか」
「そらそうや。離縁して戻ってくるのもよし」
「そんな縁起でもないこと言わんといてくださいよ」
女衆の一人がたしなめると、周りは笑った。
「現実や」
「正直すぎます」
「子どもができて、一回離れて、また戻ってくるのもありや。戻った時に同じ待遇かは分からんけど、
うちの印を渡した者なら、面倒は見る」
お花が静かに頷いた。
「それは、女衆にとっては安心になりますね」
「やろ」
「ただ、離縁前提で話すのはやめましょう」
「分かった」
松坂城下の梅見の会は、穏やかに進んだ。
若い衆は最初こそ緊張していたが、弁当を開けば自然と話が弾む。田楽の味噌、握り飯の漬物、
天ぷらの香り。飯が間に入ると、妙な堅さがほどける。
「これ、うまいですね」
「うちで作ってるんです」
「いつもこんなん食べてるんですか」
「いつもではないですけど、まかないも悪くないですよ」
そんな会話があちこちで起きた。
すぐに縁が決まるわけではない。だが、顔を覚える。名前を知る。町で会った時に挨拶できる。
それだけでも十分だった。
次に、港町でも会を開いた。
こちらは雰囲気が違った。
浜辺に近いところで、弁当を広げる。すり身天、あら汁、握り飯、焼き魚。九鬼様のお膝元と
いうこともあり、漁師や水軍筋の若い男たちが顔を出した。
女衆は少し緊張していたが、男たちもまた慣れていなかった。
男所帯の職場で、日々海に出ている者が多い。着飾った女衆と弁当を食べながら話す、
というだけで、どこかそわそわしている。
「これ、うちの弁当です。食べてください」
「お、おう。ありがとう」
「すり身天、港で作ってるやつです」
「ああ、これか。最近うまいって聞くやつやな」
ぎこちないが、悪くない。
むしろ、素直な反応が多かった。
がたいのいい男が、弁当を食べて「うまい」と笑う。女衆の何人かは、まんざらでもなさそうだった。
「港の男も、意外とええかもしれませんね」
「海に出るのは怖いですけど、稼ぎはありそうです」
「飯をよう食べる人は、見てて気持ちいいです」
そんな声も出た。
博之は少し離れたところから眺めていた。
「松坂の場内でがちゃがちゃやるより、刺激はあるな」
ヨイチが横で笑う。
「旦那、また人の色恋を見て楽しんでますね」
「楽しいやろ」
「否定はしません」
もちろん、伊勢や津で同じように受けるかは分からない。
土地が違えば、人も違う。港の気質も違う。女衆が安心して参加できるか、
相手がどう見るかも分からない。
だが、松坂と港では、概ね穏やかに終わった。
帰り道、女衆たちは口々に言った。
「今日、面白かったです」
「町内だけより、こういうの刺激になります」
「またやってください」
博之は満足げに頷いた。
「そうやぞ。わしの呪いが解けるように、みんなにいろんな男を見せとかなあかんからな」
「呪い呪いって怖いですよ」
「飯の呪いと、魅力の呪いや」
「自分で言わないでください」
「旦那様の呪いは、だいたい飯です」
皆が笑う。
博之も笑った。
飯が縁を作る。
弁当一つで、町の若い衆とも、港の男たちとも、少しずつ話ができる。
すぐに結婚だの縁組みだのにはならない。
だが、身寄りのなかった者たちが、土地に根を張るきっかけにはなる。
それでいい。
松坂の梅と、港の潮風の中で、伊勢松坂屋の者たちは、また少しだけ外の世界とつながった。




