九鬼方に年末年始の課題の飯を披露しにいく。伊勢エビの出汁であら汁強化。マグロ鍋の衝撃。革命や
九鬼方へ使いを出し、「例の飯を炊き出しとしてお持ちしたい」と伝えると、
思ったより早く許可が下りた。
博之はすぐに浜辺の横丁へ指示を飛ばした。
「材料は港で用意しろ。鮪、あら、海老殻、ねぎ、生姜、大葉、大根。米と味噌だまりも忘れるな。
飯炊き場を借りる段取りもつけとけ」
もちろん、ただ飯を作りに行くわけではない。
正月の改めての挨拶として、寄進の五千文も忘れずに包ませた。
九鬼方の館に着くと、博之は深く頭を下げた。
「明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします」
「おう、来たか」
九鬼方の家臣は、どこか楽しそうな顔をしていた。
「それにしても早いな。もう例の飯ができたんか」
「方向性は、実はもう決まっておりまして」
博之は苦笑した。
「先日こちらでお話しした内容をもとに、すでにうちの古参の者たちには一度お披露目しております」
「ほう」
「ただ、私の感覚で作るだけでは、よそで出せません。生姜をどれだけ入れるか、
ねぎをどの段階で入れるか、海老殻の出汁をどこまで濃くするか。その辺を紙に書いて、
誰でも同じような味にできるようにするのに、少し難儀しておりました」
家臣は大きく笑った。
「松坂屋の旦那の発想が飛びすぎて、下の者がついていけんのやろ」
「その通りでございます」
「正直やな」
そんな雑談をしながら、飯が運ばれてきた。
まず出されたのは、あら汁だった。
見た目だけなら、以前にも出した魚のあら汁に見える。
九鬼方の家臣が椀を覗き込む。
「これは、普通のあら汁ではないのか」
「まずは、香りを見てください」
博之がそう言うと、家臣は椀を近づけて匂いを嗅いだ。
「……海老の匂いがするな」
「はい」
「かなり強い。だが嫌な匂いではない」
「伊勢海老の殻を砕いて、煮立たせて出汁を取りました。そこへ野菜くずの出汁、小魚の出汁を
合わせて、あら汁にしております」
家臣は一口すすった。
そして、少し黙った。
「これは……深いな」
もう一口。
「前のあら汁より、一段上や。これは安い飯の汁ではないぞ」
周りの下臣たちも、順に椀を受け取って飲む。
「うまい」
「海老の香りがする」
「あら汁なのに、上等な汁みたいや」
「これ、捨てる殻でできるんですか」
博之は頷いた。
「身はそちらで高く売ってください。うちは殻をもらう。頭、尻尾、殻。食いにくいところを煮て、
上澄みを使うだけです」
「だけ、というほど簡単ではないやろ」
「加減は必要です」
家臣は椀を置き、感心したように言った。
「いや、これは錬金術やな。捨てていたものが、汁の格を上げる」
「そういう意味では、隣の鍋はもっと錬金術でございます」
博之が言うと、皆の視線が次の大鍋へ向いた。
蓋が開く。
ねぎと生姜の香りが立ち上がり、濃い汁の中に大きめの鮪の身が沈んでいた。
「鮪でございます」
その瞬間、家臣が眉を上げた。
「お前、それは毒味やないか」
「毒味は、うちの古参の者たちにしてもらいました。大好評でございました」
「ひどい言い方をするな」
「火はしっかり通しております。脂のきついところは避け、赤身の端を使っています」
博之は鍋を指さした。
「ほろほろになるまで煮込み、生姜、大葉、ねぎを入れて臭みを抑え、味噌だまりと出汁で整えました」
「ぶち込んで煮た、という感じやな」
「だいたいその通りでございます」
家臣は笑いながらも、椀を取った。
まず汁をすする。
顔が変わる。
「……臭くないな」
「はい」
「味が深い。鮪の身も、思ったよりずっと食える」
箸で身を崩し、口に運ぶ。
「ほろほろや。これは肉みたいやな」
別の家臣も食べて、目を丸くした。
「鮪って、こんなうまかったんか」
「これなら飯が進みます」
「港の男衆、絶対食いますよ」
場の空気が一気に熱を帯びた。
家臣は鮪鍋をもう一口食べ、博之を見る。
「これは売れるぞ」
「値段は、まだ決めかねております」
「原価は?」
「ほとんどかかりません。今まで捨てるか、扱いに困っていた赤身の端を使いますので」
「それでこの味か」
「しかも、鮪一匹から取れる量が多いはずです。うまく処理できれば、横丁一つの目玉になります」
家臣は深く頷いた。
「これは革命やな」
「そこまででございますか」
「そこまでや。魚のすり身も驚いたが、鮪を鍋にするというのはもっと大きい。
捨てるものが飯になり、しかも腹にたまる」
博之は静かに頭を下げた。
「港でしかできません。保存を考えると、町場や郊外には向きません。その日に入った鮪を、
その日のうちに煮る。それが前提です」
「分かっとる。だから港の横丁が要るんやな」
「はい」
「伊勢の港は、北畠様の領分にも関わる。そこは比較的、話を通しやすいやろう」
家臣は少し考えるように言った。
「津の方は、調整がいる。長野様の筋もあるし、港の顔役もおる」
「はい。長野様には年末に一度ご挨拶をしております」
「もう行ったのか」
「はい。今後、津方面でも商いをする可能性があるので、先んじて」
「ほんまに手が早いな」
家臣は呆れ半分、感心半分で笑った。
「まずは伊勢やな」
「私もそう思っております」
「伊勢の港で、この鮪鍋と海老出汁の汁を出せ。すり身天もある。あら汁もある。港飯として筋が立つ」
「ありがとうございます」
「それで評判を取れば、神宮の方にも話が届くかもしれん」
そこで博之は、少し姿勢を正した。
「実は、伊勢神宮にも参ってまいりました」
「おう、そっちにも手を伸ばしたか」
「手を伸ばしたというより、まずはご挨拶でございます」
博之は神宮での話をかいつまんで伝えた。
二万文を寄進したこと。
伊勢郊外を固め、港を押さえ、九鬼様の口添えを得てからでないと神宮近くは難しいと言われたこと。
ただし、海産物を使った名物飯なら、端の方で一軒二軒出す道はあるかもしれないと言われたこと。
家臣はそれを聞いて、にやりと笑った。
「神宮の者も、なかなか見る目があるな」
「かなり厳しくも言われました」
「当然や。あそこは簡単な場所ではない」
「はい」
「だが、この鮪鍋と海老出汁なら、名物にはなる」
家臣は鮪の身をまた一口食べた。
「参宮客は話好きや。珍しい飯を食ったら、道中で喋る。国へ帰っても喋る。そういう飯は高く売れる」
「神宮の方にも、三倍の値で考えろと言われました」
「その通りや。安く出すな。安く出したら、周りの店に嫌われる」
「肝に銘じます」
「まず伊勢の港でやれ。港で評判を取れ。神宮の耳に入るようにしろ」
博之は深く頭を下げた。
「では、伊勢の港へ向けて、準備を進めてもよろしいでしょうか」
「うちからも少し話を通しておく」
家臣は言った。
「ただし、調子に乗るなよ」
「心得ております」
「寺社への挨拶、土地の者への飯、漁師との関係、帳面。全部ちゃんとやれ」
「はい」
「お前の飯は面白い。だが、飯だけでは土地は動かん」
「そこが一番難しいところでございます」
「分かっておるならええ」
飯の炊き出しは、その後もしばらく続いた。
家臣たちは海老出汁のあら汁を何度もすすり、鮪鍋をおかわりした。誰かが「これは酒にも合う」と言い、別の者が「飯を入れたらうまそうや」と言った。
博之はその反応を見ながら、心の中で確信していた。
これはいける。
伊勢の港へ行ける。
そしてその先に、神宮の端の名物屋も見えてくる。
帰り道、ヨイチが横で笑った。
「旦那、また道が開きましたね」
「まだや。開きかけや」
「いや、ほぼ開いてますよ」
「油断すな。ここから挨拶と人と帳簿や」
「飯だけなら楽なのに」
「ほんまやな」
博之は苦笑した。
だが、その顔には確かな高揚があった。
鮪の赤身の端。
伊勢海老の殻。
捨てられていたものが、港の名物になる。
その飯が、伊勢と津への道を開く。
「まずは伊勢の港や」
博之は呟いた。
「そこで港飯を作る」
冬の潮風が吹いていた。
その向こうに、伊勢の海がある。
飯で道を作る伊勢松坂屋の次の一手は、もう決まりかけていた。




