伊勢神宮参り。伊勢郊外の横丁の様子を見ながら城下の屋敷で1万文の寄進をし、活動許可を頂くが神宮は別格やと釘をさされるwww
伊勢神宮へ参るにあたり、博之はまず伊勢街道を進みながら、伊勢郊外の拠点の様子を見ることにした。
松坂からの道筋に置いた小さな飯場は、まだ大きく儲けているわけではない。田楽、握り飯、
弁当、団子、少しの鶏串。どれも松坂でやってきたものだが、伊勢の土地では、まだ人の流れも、
仕入れも、顔つなぎも違う。
博之は店の前でしばらく客の入りを眺めた。
「まあ、収支トントンぐらいやな」
帳面を見せてもらいながら、そう呟く。
「悪くはない。けど、松坂みたいにはいかんか」
ヨイチが横で笑う。
「そらそうでしょう。松坂はもう旦那がだいぶ押さえてますから」
「押さえてる言うな」
「いや、押さえてますよ。寺社にも顔が利く。布団屋にも湯屋にも話が通る。町の人間も、
伊勢松坂屋の者が銭を使うと分かってる。そら松坂とは違います」
「なるほどな」
博之は少し渋い顔をしたが、否定はできなかった。
伊勢は、まだ足掛かりにもなっていない。ほんの挨拶の段階だ。
その後、博之は伊勢城下の領主筋のところへ向かった。
持参したのは一万文の寄進と、伊勢郊外の拠点で作らせた弁当である。
松坂から持ち込んだものではなく、あえてこの土地の拠点で作ったものにした。
まだ粗さはある。
だが、ここで商いを始めているという証でもあった。
通されると、博之は深く頭を下げた。
「伊勢松坂屋の博之でございます。松坂の方では北畠様のお許しをいただき、松坂の町場、
港筋、街道筋で飯屋をやらせてもらっております」
そして、用意していた包みを差し出す。
「現在、伊勢の郊外でも小さく店を出させていただいております。これから伊勢の方でも、
揉め事なく商いを広げられればと思い、まずはご挨拶に参りました。こちら、ささやかですが
一万文でございます」
家臣は包みを見て、少し目を細めた。
「一万文か。羽振りがええな」
「おかげさまで、松坂の方では商いが回っております」
「伊勢街道でも、なにやら飯屋ができたとは聞いておる。やや繁盛しとるらしいな」
「ありがたいことでございます。ただ、まだまだこちらでは始めたばかりです」
「親子丼という飯がうまいらしいな」
その言葉に、博之は少し驚いた。
「そこまで聞こえておりますか」
「噂くらいはな」
「親子丼は、松坂の方では出せております。鶏と卵を使う飯でして、うちでは養鶏場も
少しやっておりますので、卵をなんとか回せております」
「伊勢では出せぬのか」
「そこが悩みでございます」
博之は正直に答えた。
「伊勢の郊外は始めたばかりで、松坂と同じ物流では動きません。卵、油、鶏、漬物、米、
どれも松坂から運ぶだけでは続きません。こちらで仕入れ、こちらで育て、こちらで
回せるようにしないと、数は出せません」
「なるほどな」
家臣は頷いた。
「ただ店を出せばよいわけではないということか」
「はい。飯屋は飯を作るだけでは回りません。大根を誰から買うか、卵をどう集めるか、
漬物をどこで仕込むか。寺社に顔を出し、近所にも挨拶し、働く者も育てないと続きません」
家臣は少し興味深そうに博之を見た。
「身寄りのない者を集めて商いをしておるとも聞いておる。悪さをする気はないのだな」
「ございません」
博之は頭を下げた。
「私は去年の三月、松坂の普請で働かせてもらった銭を元手に、郊外のボロ小屋で
豚汁屋を始めました。飯が食えぬ辛さは、少しは知っております」
その言葉は、もう何度も言ってきた。
けれど、言うたびに博之の中で重さを持った。
「だから、飯に困る者や、身寄りのない者を雇い、飯と寝床を用意してきました。
最初はそれだけでしたが、今は規模が大きくなり、ただ飯を作るだけでは足りなくなっております」
「足りないとは」
「読み書きと算用でございます」
博之は続けた。
「新しい拠点を任せるには、字が読め、数が見られ、寺社や近所に頭を下げられる者でないと難しい。
腕に覚えがあれば、お武家様のところに仕える道もあるでしょう。けれど、そうではない者たちに、
飯で食い口を作り、そこから一段上へ育てようとしております」
「飯屋が人を育てるか」
「飯を作るためには、人が育たねばなりませんので」
家臣はふっと笑った。
「面白いことを言う」
「まだまだ手探りでございます」
「だが、一万文を持って挨拶に来る。弁当も持ってくる。腹の内も隠さん。郊外でやる分には、
うまくいくかもしれんな」
「ありがとうございます」
「ただし、神宮の近くは別やぞ」
その声は少しだけ重くなった。
「伊勢神宮の周りは、こちらだけでどうこうできる場所ではない。昔からの商いもある。
顔役も多い。参宮の者も多い。あそこは分からん」
「心得ております」
「うちのところへは、また来てもよい。郊外で揉め事を起こさずやるなら、話は聞こう」
博之は、胸を撫で下ろした。
「ありがとうございます。まずは郊外で、地道にやらせていただきます」
弁当も受け取ってもらい、挨拶は無事に終わった。
館を出ると、博之は少し肩を落としたように息を吐いた。
「松坂ほど、うまくいかんな」
ヨイチが横で即座に言う。
「当たり前ですよ」
「即答すな」
「松坂は、もうだいぶ土台があります。旦那が何度も挨拶して、炊き出しして、寄進して、
布団買って、湯浴み作って、町の者とも関係を作ってますから」
「まあな」
「伊勢は、まだ本当に挨拶レベルです。足掛かりにもなってません」
「厳しいな、お前」
「事実です」
博之は苦笑した。
「いつから、そんな偉そうな口を聞くようになったんや」
ヨイチは悪びれずに笑った。
「旦那のおかげですよ」
「なんやそれ」
「飯を食えるようになって、字も少し読めるようになって、帳面も見て、偉い人の挨拶も
横で見てたら、多少は口も達者になります」
「それ、俺のせいか」
「はい」
博之は呆れたように笑った。
「まあ、そういうことにしとくわ」
伊勢城下の館での挨拶は、悪くはなかった。
だが、松坂のように一気に空気が開く感覚はない。
伊勢は広い。
伊勢は古い。
そして、神宮は重い。
「次は神宮やな」
博之は前方を見た。
伊勢神宮へ続く道には、参宮の人々が行き交っている。商人、旅人、僧、女衆、荷を背負う男、
子どもを連れた家族。
ここで飯を出せたら、大きい。
だが、ここで間違えたら、松坂とは比べものにならないほど面倒になる。
「焦らずやな」
博之が呟くと、ヨイチが頷いた。
「まずはお参りです」
「せやな」
「それと、飯の匂いを嗅ぐことです」
「なんでや」
「旦那、どうせ何食ってるか見るでしょう」
「見る」
「ほら」
博之は笑った。
紋付き袴の袖を整え、弁当の残りを確認し、寄進の包みを持ち直す。
伊勢城下での挨拶は、まず一つ終わった。
次は、いよいよ神宮だった。
松坂の飯屋が、どこまで入れるのか。
博之は少しだけ緊張しながら、伊勢神宮へ向かって歩き出した。




