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正月を迎え博之43になる。年賀の挨拶に奔走する博之。北畠様に挨拶に行き新年早々場を和ます

正月を迎え、博之は四十三になった。

屋敷の中では、朝からあちこちで声が上がっていた。

「明けましておめでとうございます」

「今年も飯が食えますように」

「今年も無事に過ごせますように」

 そんな言葉を交わしながらも、伊勢松坂屋の正月はのんびりとはいかなかった。

 まずは北畠様のところへ年賀の挨拶。次の日には九鬼様のところへ。

 少し落ち着いたら伊勢神宮へ参る。神宮付近の寺社や顔役にも、できれば挨拶をしておきたい。

 長野様の方は、年末に一度顔を出しているので、もう少し津方面の拠点が大きくなってからでも

 よいだろう。

 博之は飯玉をかじりながら、古参たちにそんな段取りをだらだら話していた。

「旦那の好きな挨拶ですよ」

 ヨイチがにやにやしながら言う。

「好きちゃうわ。正月の挨拶なんか、みんなでだらだらやってるからな。流れ作業みたいなもんやろ」

「流れ作業って言うても、旦那、まだ一年も経ってないんですから、初めてでしょう」

「うるさいわ」

 そう言いながらも、博之の顔には少しだけ楽しそうな色があった。

 紋付き袴を整え、年賀の品と弁当、握り飯を用意する。北畠様の館へ向かう一行は、

 以前よりずっと見栄えがするようになっていた。

「なんか、本当に店らしくなりましたね」

 古参の一人が言う。

「店らしくというか、もう店だけちゃうけどな」

 ヨイチが笑う。

 博之は聞こえないふりをした。

 北畠様の館には、すでに多くの者が年賀の挨拶に来ていた。武家、商人、寺社の者、土地の顔役。

 順番を待ちながら、博之は少し緊張した。

 やがて通されると、博之は深く頭を下げた。

「明けましておめでとうございます。伊勢松坂屋の博之でございます。本年も、

 どうぞよろしくお願い申し上げます」

「おう、松坂屋か」

 北畠方の家臣は、博之を見るなり機嫌よく声をかけた。

「去年はよう働いたな」

「おかげさまで、なんとか年を越せました」

「今年の抱負はなんや」

 突然聞かれ、博之は少しだけ考えた。

「とりあえず、皆が飯を食えるようにすることです」

 家臣は笑った。

「飯屋らしいな」

「はい。店がより繁盛して、たくさんの者に飯を食わせることができるようにする。

 それを心情にやっていきたいと思っております」

「ほかには」

「敵を作らないことです」

 その答えに、周りが少し笑った。

「正月からそれか」

「大事なことでございますので」

 博之は真面目に続けた。

「飯屋が大きくなれば、よく思わない者も出ます。ですので、寺社にも顔を出し、

 土地にも銭を落とし、炊き出しもやり、できるだけ揉め事を起こさず進めたいと思っております」

「なるほどな」

「それと、新しい飯の食い方を一つでも考えられたらと思っております」

 家臣は声を上げて笑った。

「さすが飯屋やな」

「それしか能がございませんので」

「いや、去年一年でそこまでやったのがすごいわ」

 家臣は、少し感心したように言った。

「話を聞いたぞ。三月頃、松坂の普請に参加しておったそうやな」

「はい」

 博之は頭を下げた。

「あの頃は本当に飯もままならず、こちらの普請で半月ほど働かせていただきました。

 その給金を元手に、松坂の郊外のボロ小屋で豚汁屋を始めました」

「それが今では二百人近い所帯か」

「世の中、分からんものでございます」

「分からんにもほどがある」

 家臣の言葉に、周りが笑った。

「松坂屋の成り上がりは、方々で話を聞く。寺社に寄進していることも、炊き出しをしていることもな。

 流れ者や食い口のない者に働き口を作っておるのは、小気味がよい」

「ありがとうございます」

「しかも、その作り方が飯や。飯の食い方を増やして、仕事を作る。そこが面白い」

 博之は静かに頭を下げた。

「飯に困る苦しさは、少しは知っておりますので」

「運営だけ見れば、国人衆か、下手をすれば小さな大名のような動き方をしておる」

 家臣はそう言ってから、少し笑った。

「だが、基本が飯中心というところが、こちらとしては安心して見ておられる」

「飯屋でございますので」

「揉め事を起こさぬなら、炊き出しもやってくれてよい。市の賑やかしも、

 城下の者が楽しんでおるようだ」

「ありがとうございます。ご迷惑にならないよう、気をつけます」

 そこで博之は、少し迷いながら別の話を出した。

「それと、まだ具体的なお見合いというほどではないのですが」

「なんや」

「うちには女衆も一定数おります。流れ者や未亡人、身寄りのない者も多いです。

 ですので、松坂の若い衆と一緒に弁当を食べたり、紅葉や花見のような機会を作ったりして、

 徐々に町の者と縁ができればと思っております」

 家臣は眉を上げた。

「飯屋が縁組みの世話まで見るのか」

「縁組みというほど大それたものではございません。ただ、うちの中だけで固まるのも

 良くないと思っております」

「ふむ」

「町に定住できる者が増えれば、松坂にも馴染みます。うちも人を抱え込むばかりでは、

 いずれおかしくなりますので」

 家臣はしばらく博之を見て、それから笑った。

「お前、何屋やねん」

「飯屋でございます」

「飯屋が、湯浴みを作り、布団を売り、寺社に寄進し、流れ者を雇い、今度は縁の場まで作るのか」

「一回食い口を作ってしまった以上、ある程度は面倒を見なければと思っております」

 博之は少し照れながら続けた。

「あと、人の恋愛は面白いじゃないですか」

「お前は自分で恋愛しておるのか」

 その一言で、周りの空気が少し緩んだ。

 博之は真顔で答えた。

「私は食欲に性欲を持っていかれておりますので、無理でございます」

 一瞬の沈黙の後、場がどっと笑った。

「正月から何を言うておる」

「申し訳ございません」

「いや、そういうところが、お前の変なところやな」

 家臣は笑いながら言った。

「飯はうまい。商いは伸びる。人も雇う。だが、どこか抜けておる。そこがかえって怪しくない」

「褒められているのでしょうか」

「半分はな」

 博之も苦笑した。

「とにかく、今年も揉め事を起こさぬよう、飯でやってまいります」

「うむ。ごひいきに、というやつやな」

「はい。ごひいきにお願いいたします」

 最後に年賀の品と弁当を渡し、博之は深く頭を下げて下がった。

 外へ出ると、ヨイチが待ち構えていた。

「正月一発目から、かましてくれますね、旦那は」

「何がや」

「食欲に性欲持っていかれてます、はないでしょう」

「本当のことや」

「偉い人の前で言うことちゃいます」

「でも和んだやろ」

「めちゃくちゃ和みました」

 ヨイチは笑いながら歩く。

「でも、かなり良かったんちゃいますか」

「まあ、悪くはなかったな」

 博之は満更でもない顔で言った。

「炊き出しも市の賑やかしも、許してもらえた。縁の場も、変には受け取られてない」

「今年も動けますな」

「動くしかないな」

 正月の空気は冷たく澄んでいた。

 博之は館を振り返る。

 三月には、ここで普請に混じって飯代を稼いでいた。

 それが今では、年賀の挨拶に来て、今年の抱負を語っている。

「世の中、ほんま分からんな」

 博之が呟くと、ヨイチが横で笑った。

「旦那の場合、分からなさすぎます」

 博之は飯玉の包みを一つ取り出し、歩きながらかじった。

「まずは飯や」

「またそれですか」

「今年も飯や」

 そう言いながら、博之は正月の松坂の町へ戻っていった。

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