博之45歳。四月一週目、伊賀の道と飯をつなぐ
翌朝。
博之は寺で出された朝飯を食べながら、まだ少し痛む足を伸ばしていた。
「ほな、今日はぼちぼち行こか」
奈良の僧が笑う。
「昨日より早めに出た方がええですよ」
「夜になる前にな」
「伊賀は夜が早いですから」
「昨日よう分かったわ」
山に囲まれた集落は、日が落ちると本当に暗い。
「今日は宴会いうより、飯食いながら話聞かせてもらおか」
「それがええでしょうな」
そこで寺の境内を借り、伊勢松坂屋の者が大鍋を出した。
飯。
汁。
蒸した野菜。
昨日余った饅頭も少し。
無料で振る舞うと聞けば、集落の者がぽつぽつと集まってきた。
「遠慮せんと食って」
「ありがとうございます」
「ほんで、ついでに困ってること教えて」
博之は自分も椀を持ちながら輪の中へ入った。
「皆ちゃんと遊んでる?」
「遊びですか?」
「そう。飯食うだけやなくて、酒飲んだり、祭りしたり、おもろいこと」
男たちが苦笑する。
「手紙では、伊勢松坂屋の他のところが色々やってるいう話は来てます」
「ほう」
「でも、こっちはまだ食を楽しむいうほど余裕ないですな」
「食うのに精一杯?」
「そこまでではないです。前より格段にようなりました」
「ほな何が足らん?」
少し考えて、一人が答えた。
「調味料ですかね」
「ああ」
博之も頷く。
「塩は特にそうやな」
山の中では、魚以上に塩が生命線になる。
味噌や醤の類も、量があれば料理の幅が広がる。
「そこは少し多めに回すように言うわ」
「ほんまですか」
「魚を毎回持ってくるんは難しいけど、干物とか塩魚なら考えられる」
「それはありがたいです」
「米は?」
「それも欲しいですけど、結局運ぶのが大変ですな」
「やっぱ道か」
昨日、自分で歩いたからこそ分かる。
荷を背負って、あの道を何度も往復するのは楽ではない。
「信楽までの道、もうちょい丁寧にしよか」
「奈良側も?」
「そっちもやな」
どちらが先々太い道になるかは分からない。
だが、道が二本生きていることそのものに意味がある。
「信楽の方は、焼物あるやろ」
「はい」
「買い付けの流れに入れたら、こっちでも銭稼げる」
伊賀から人や荷が信楽へ動く。
帰りに米、塩、味噌、乾物を積んで戻る。
「儲かった銭で飯買えばええねん」
「なるほど」
「施しだけでずっと回すんは無理やからな」
博之は地面へ指で簡単な線を描いた。
「今、亀山から草津へ抜ける方は別便で荷動かしてる」
「はい」
「でも北畠と六角の間で何かあったり、近江側がごちゃついたら使いにくなる可能性あるやろ」
その時、伊賀から信楽へ抜ける道が生きていれば、完全には止まらない。
「道一本しかない商いは弱いねん」
「二本あれば逃げられる」
「そういうこと」
尾張からさらに美濃、近江へ繋がれば、また別の道もできる。
だが現時点では、まだそこまで安定していない。
「せやから今ある二本を丁寧に育てる」
「大旦那、そんな先まで考えてはるんですな」
「昨日登って死にそうになったからな」
周囲が笑う。
「やってみな分からんわ、ほんま」
草を刈っただけでも違った。
危ない沢へ板を渡しただけでも違った。
「観光名所みたいな道にせえとは言わん」
「観光名所?」
「いや、歩きやすい立派な道いう意味や」
「また変な言葉出ましたな」
「忘れて」
博之は笑ってごまかした。
「せやけど、危ないところは直す。休める場所は作る。水場分かるようにする。それぐらいはやろ」
「銭は?」
「信楽で儲けた分の一部、道と飯に回したらええ」
集落の者たちが顔を見合わせる。
「そこまでしてくれるんですか」
「こっちも得するからな」
「得?」
「道通れたら伊勢松坂屋の荷も通せるやろ」
博之は笑う。
「全部善意やと思われても困る。商売も入ってる」
「それでもありがたいですわ」
昼近くになると、少しだけ酒も出た。
昨日できなかった小さな宴会代わりだった。
飯を食い、酒を飲みながら、道の崩れやすい場所、水が出る場所、冬に危ない場所を
一つずつ聞いていく。
「やっぱ現地で聞かんと分からんな」
「旦那さん、今回は来た意味ありましたな」
「足は死んだけどな」
奈良の僧たちは、ここで博之たちとは別れることになった。
「私らは名張側へ回って奈良へ戻ります」
「そっちはそっちで気ぃつけて」
「大旦那こそ。信楽方面も楽ではありませんよ」
「昨日よりはマシやろ?」
「その考え方が危ないです」
博之は苦笑した。
「まあ今日は信楽の手前ぐらいで一泊するわ」
「それがよろしいです」
僧の一人が、集まっている村人を見渡した。
「しかし、大旦那が来るいうだけで、これだけ皆が集まるんですな」
「飯あるからやろ」
「それだけやないでしょう」
「そう?」
「普段の人望ですわ」
博之は少し照れたように頭を掻く。
「俺より、各地で働いてくれてる奴らのおかげや」
「それを言えるところも含めてです」
「褒めすぎや」
出発の時間が近づく。
昨日とは違い、博之の顔には少し余裕があった。
「とりあえず、顔出せただけでも良かったわ」
道を実際に歩いた。
飯を一緒に食った。
足りないものを聞いた。
そして、次に何をすべきかも少し見えた。
「ほな次は信楽やな」
博之は立ち上がり、足を一度さすった。
「……今日は昨日より休憩少なめでいこ」
「ほんまですか?」
「たぶん」
周囲から笑い声が起きる。
伊賀越えは、ただ山を越える旅ではなくなっていた。
一本の細い道が。
飯と銭と人を運ぶ、新しい線になり始めていた。




