博之45歳。3月3週目。近隣へ面白いことに使う費用計上を守るよう言われる博之www伊賀に向けての道の整備含めた準備を始める
三月三週目。
「旦那様」
「何?」
「遊びの銭を配るのはええですけど、帳面だけはちゃんとつけてくださいよ」
ヨイチが開口一番、釘を刺してきた。
「分かってる分かってる。結構配ったからな」
「結構どころではないです」
「ほな、その流れでもうちょっと配ろか」
「何でそうなるんです?」
「怒らんといてくれよ」
博之は笑いながらも、そこだけは少し真面目だった。
「ずっと飯作って、働いて、銭稼いで、それだけやったら人間しんどいやろ」
「まあ、それは分かります」
「松阪は俺が暇やから、しょうもないこといっぱい考えるやん」
「自覚はあるんですね」
「番付やったり宴会やったり、子供ら伊勢連れてったりな」
「しょうもないの規模が大きいんですよ」
「でも、それで笑ったり、次の料理考えたりするやろ?」
働くことだけが目的になれば、いずれ人は疲れる。
楽しいことがある。
自分で何か考えられる。
失敗しても少しなら許される。
「そんなんがないと、店も長う続かんと思うねん」
ヨイチはしばらく黙ってから頷いた。
「……分かりました。しゃあなしです」
「ありがとう」
「その代わり全部、帳面にはつけますからね」
「はいはい」
「誰にいくら渡したかも」
「分かったって」
「催し終わったら報告も」
「急に厳しいな!」
「旦那様が緩すぎるんです」
その話が片付いたところで、博之は別の帳面を引き寄せた。
「それよりやな」
「はい」
「あと二週間ぐらいやろ」
「何がです?」
「伊賀」
「ああ」
四月に予定している伊賀越え。
「俺も最近、歩くん頑張ってるやん」
「途中で荷車乗ってますけど」
「それも含めて訓練や」
「含めません」
「で、伊賀の道の情報は?」
「ちゃんと集めております」
奈良の僧。
亀山や関を行き来する商人。
伊賀を通った旅人。
信楽側からの話。
それらを重ねると、やはり楽な道ではない。
「旦那様の今の歩き方やと、かなりしんどいと思いますよ」
「そんな?」
「そんなです」
「荷車通れるぐらいにした方がええかな」
「二週間で山道を荷車道にできるわけないでしょう」
「そらそうか」
博之もさすがに諦めた。
「でも最低限、歩きやすくするぐらいはできるやろ」
「それぐらいなら」
「草ぼうぼうのところ刈るとか」
「はい」
「ほんまに危ないところだけ足場入れるとか」
「小さな沢なら板橋ぐらいは」
「それでええ」
道を大きく削り、山を切り開くつもりはない。
「そこまでやったら俺、伊賀上野の領主みたいになってまうからな」
「今さらその心配します?」
「領地はいらんねん」
「道には銭出すのに」
「道はみんな使えるやろ」
博之は地図を指でなぞった。
「伊賀の道は残しといた方がええ」
「近江へ出る別道としてですね」
「そう」
たとえば六角と何かあった時。
草津や近江側の道が使いにくくなった時。
一本しか道を持っていなければ、商いはそこで止まる。
「普段使わんでも、別の道が生きてるだけで意味あるねん」
「奈良のお坊さん方も使いますし」
「それな。若い坊さんらの行き来にも使える」
「では、先に人を出して見ておきます」
「無理せん範囲でな。地元にもちゃんと話通して」
「はい」
ヨイチが帳面へ書き込んでいると、顔を上げた。
「それより旦那様」
「何?」
「ご自身の足腰は?」
「それは追い追い」
「あと二週間ですよ」
「じゃあ女衆と歩きながら考えるわ」
「何で女衆なんです?」
「一人で歩いたらつまらんやん」
「そこですか」
そして博之は、また別のことを思いついた。
「あ、饅頭持っていこ」
「伊賀へ?」
「せっかくやからな」
蒸籠も持っていく。
村で菜や根菜を買って、その場で蒸してみる。
「地元の野菜って、蒸すだけでもうまいやろ」
「塩か味噌ぐらいあれば十分ですね」
「そうそう。ほんで菜饅頭も作る」
「甘い方も?」
「小豆も持ってく」
堺方面との商いが増えたことで、甘味に使う材料も以前より手に入りやすくなっている。
「伊賀で蒸して食わせてみたらええねん」
「視察ですよね?」
「視察や」
「道を見るんですよね?」
「見る」
「寺や飯場も?」
「見る」
「饅頭屋しに行くんでは?」
「ちゃうって」
博之は笑った。
「道歩いて、地元の飯食って、人と喋って、ついでにこっちの飯も食わせる。そしたら色々分かるやろ」
「また話が大きくなってきましたね」
「そう?」
「最初は『一回伊賀越えてみたい』だけやったでしょう」
「せやったかな」
「今は道の整備、人の配置、寺との繋がり、地元野菜の試食、饅頭の反応調査です」
「……結構増えたな」
「増やしたの旦那様ですよ」
ヨイチはため息をつく。
「とにかく、まず歩いてください」
「分かった分かった」
「今日から」
「今日はちょっと……」
「あと二週間です」
「ほな夕方から」
「今からです」
「厳しいなあ」
伊賀越えまで、あと二週間。
単なる物好きの山越えだったはずの話は、いつの間にか道と商いと飯をつなぐ小さな遠征へ
変わり始めていた。
そして、その中心にいる博之だけが。
「まあ、蒸籠何段持ってくか考えながら歩こ」
相変わらず、一番大事な足腰のことを後回しにしていた。




