博之45歳。3月2週目。蟹江から船で松坂まで帰る道々で銭をおいていく。なんか面白い催しを考えてやってみなさい
三月二週目。
蟹江を出た博之は、そのまま船や荷車を使いながら松阪へ戻ることにした。
ただし、まっすぐ帰るわけではない。
途中、伊勢松坂屋の拠点を二、三か所ほど覗いていく。
「最近どう?」
「特に大きな問題はありません」
「それはええねんけどな」
博之は店の中を見回した。
飯は出ている。
帳面も合っている。
人も働いている。
別に悪いところはない。
「……でも、おもろいことしてる?」
「おもろいこと、ですか?」
「そう」
相手が首を傾げる。
「仕事以外で」
「特には……」
「それがあかんねん」
博之は懐から銭を出した。
「これ置いてく」
「何の銭です?」
「遊ぶ銭」
「はい?」
「催しでも何でもええ。なんかおもろいことしろ」
師範や任せが困った顔になる。
「旦那様、それ仕事なんですか?」
「仕事や」
「遊びなのに?」
「遊びを考えるのが仕事や」
博之は真顔だった。
「松阪ではな、この前、男衆の人気番付やったんや」
「聞きました」
「不細工部門も作った」
「それも聞きました」
「上位に銭渡して、包丁までやった」
「そこまでしたんですか」
「した」
さらに、その後あまり注目されず、少し気落ちしていた不細工衆のために宴会まで開いた。
「料理作らせて女衆と喋らせてな」
「何してるんですか、松阪で」
「めっちゃ盛り上がったぞ」
「伊勢松坂屋ですよね?」
「そうや」
博之は笑った。
「でもな、俺はあれでええと思ってる」
毎日、朝から晩まで銭のためだけに働き続ける。
それだけで何年も続くほど、人間は単純ではない。
「飯食うために働く。それは当然や」
「はい」
「でも、楽しく働くには仕組みがいる」
松阪では博之が暇になるたびに、料理勝負だの、番付だの、子供の催しだの、訳の分からないことを
始める。
そのたびに人が集まり、笑い、時には新しい料理が生まれる。
「言われたことだけやってたら、新しいもん出てけえへんやろ」
博之は続けた。
「この前なんか、奈良のお坊さんに昔の食い物の書物見せてもろたんや」
「それがどうなったんです?」
「饅頭になった」
「饅頭?」
「粉の皮に菜とか餡とか肉入れて、蒸籠で蒸すねん」
小牧山へ持っていけば、織田信長にもかなり受けた。
「今度、熱田とか伊勢神宮でも少し試そうと思ってる」
「へえ……」
「でもこれもな、元は暇やから昔の飯でも探そか、ぐらいの話やぞ」
遊び半分。
好奇心半分。
そこから商品が生まれた。
「真面目なんは大事や。でも真面目だけやったらあかん」
「じゃあ、うちも何か考えろと」
「そう」
博之が頷く。
「なんのために師範がおって、任せがおって、その土地を任されてんねん」
「……確かに」
「俺に全部聞くんやったら、俺が松阪から全部命令したらええ話や」
その土地には、その土地の魚がある。
野菜がある。
人がいる。
祭りがある。
困り事も違う。
「そこにおるお前らの方が分かるやろ」
別の拠点でも同じ話をした。
そこでは若い任せが聞いた。
「じゃあ例えば、駆けっことかして、勝った人に飯を出すとかでも?」
「ええよええよ」
「そんなのでいいんですか?」
「最初はそんなんでええって」
博之は笑った。
「いきなり百人集めて大宴会とかすんなよ」
「しませんよ」
「十人、二十人でやってみたらええ」
子供でもいい。
従業員でもいい。
近所の者でもいい。
料理勝負でもいい。
薪割り競争でもいい。
「何が面白いか分からへんから、小さくやるねん」
「失敗したら?」
「そのために銭置いてくんや」
博之は机を叩く。
「今の伊勢松坂屋は、そのぐらいの失敗を吸収できる」
「旦那様、珍しく頼もしいこと言いますね」
「珍しくは余計や」
ただし、何でも許すわけではない。
「人傷つけるようなんはあかん」
「はい」
「銭を馬鹿みたいに使うのもあかん」
「はい」
「誰か一人だけ得するようなんも考えろ」
「はい」
「程々や。何事も」
最後に亀山側の拠点へ寄った時も、同じように銭を置いた。
「これでなんか考え」
「旦那様、またですか」
「またや」
「松阪と比べられたら困りますよ」
「比べへんよ」
博之は笑った。
「松阪は俺がおるから、変なことばっかり起きる」
「自覚あるんですね」
「ある」
「では、こっちはこっちなりに?」
「そうそう。それが聞きたかってん」
料理人が横から言った。
「ほな、地元の人にも聞いてみますわ」
「それがええ」
「何やったら楽しいか」
「うん」
「何食いたいかも」
「それも聞け」
博之は満足そうに頷いた。
「そうやって聞いてたら、新しい飯の種も拾えるからな」
結局、松阪へ戻るまでに何か所かへ少額ずつ銭を置いてきた。
使い道は指定しない。
報告だけはすること。
そして、なるべく自分たちで考えること。
「旦那様」
「何?」
「これ、あとでヨイチさん怒りません?」
「……ちゃんと帳面につけたら怒らへんやろ」
「何費です?」
博之は少し考えた。
「……遊び費」
「絶対怒られますよ」
「ほな士気向上費」
「急にそれっぽくなりましたね」
松阪まであと少し。
博之は荷車にもたれながら笑った。
「まあええやん。飯屋なんやから、働いてる奴まで渋い顔してたらあかん」
伊勢松坂屋は、飯を売る店から少しずつ変わり始めている。
そして今度は、博之のいない土地でまで。
誰かが勝手に「おもろいこと」を考え始めようとしていた。




