博之45歳。2月4週目。伊勢神宮参り。松坂から伊勢の港→伊勢神宮→買い物時間を満喫する
伊勢の港へ着くころには、四十人の子供たちはすでにかなり腹を空かせていた。
「旦那、腹減った!」
「分かってる分かってる。まず腹ごしらえしよ」
博之は伊勢松坂屋の者に言って、魚のあら汁を大鍋で用意させた。
「肉饅頭でもええかなと思ったけど、今日はこっちや」
魚のあら、大根、葱。
温かい汁を椀へたっぷりよそう。
「うまっ!」
「魚いっぱい入ってる!」
「汁までうまい!」
「そらうまいやろ」
博之も笑った。
「お前ら、家で毎日こんなん食うてるわけちゃうやろ?」
「食べへん!」
「魚は食べるけど、こんなんちゃう!」
「ほなしっかり食っとけ」
和尚が横で首を傾げる。
「しかし大旦那、どうして門前へ行く前に腹いっぱい食わせるんです?」
「そこ重要ですよ」
博之は子供たちを見渡した。
「お前ら、今から行く伊勢神宮の門前町な。高いぞ」
「え?」
「腹ペコで行ったら、二百八十文なんか一瞬でなくなるからな」
「種明かしします?」
「しますよ」
全国から参詣客が来る。
旅の高揚もある。
神宮へ詣った後ともなれば、普段なら買わないような菓子や小物にまで手が伸びる。
「松坂の伊勢松坂屋でも催しやったら財布緩むやろ? あれが町全部で起きてると思え」
「そんなに?」
「そんなにや」
腹を満たした一行は、いよいよ門前町へ向かった。
「うわあ……」
「人、多っ!」
「こんなん見たことない!」
子供たちの声が一気に大きくなる。
道の両側には店。
人。
旅人。
商人。
僧。
武士。
土産物を抱えた者。
食べ物を片手に歩く者。
引率してきた和尚まで目を丸くしていた。
「私も何度か来ましたけど、今日はまた多いですなあ」
「でしょう」
「毎年引率してもええですよ」
「和尚さんが一番楽しんでません?」
「いやいや、子供たちのためです」
「顔が笑ってますやん」
「そんな殺生なこと言わずに」
まずは寄り道を我慢させ、伊勢神宮へ。
「先にお参りやぞ」
「はーい!」
「買い物はその後!」
「分かってる!」
「絶対分かってへんな」
神宮では、伊勢松坂屋の一行ということもあり、顔見知りの者が迎えてくれた。
「ようお越しなされました」
「今日は子供ら連れてきまして」
きちんと参拝を終えれば、そこから待ちに待った自由時間である。
ただし完全に好き勝手にはさせない。
十人ほどずつに分け、和尚、神主、伊勢松坂屋の者がそれぞれ付き添う。
「絶対一人で勝手に行くなよ!」
「はい!」
「迷子なったら、今日全部終わりやからな!」
門前へ戻ると、子供たちは一気に目移りし始めた。
「あれ可愛い!」
「こっち見て!」
「甘い匂いする!」
引率の者が目印になるよう少し改まった格好をしていたため、店の者からも声をかけられた。
「伊勢松坂屋さんの子らですか?」
「いやいや、従業員ちゃいます」
和尚が笑って説明する。
「寺や神社をよう手伝ってくれた子らです。一週間伊勢松坂屋で働いて、
その褒美に大旦那が連れてきてくださったんです」
「ほう!」
「一週間働いたんか」
「はい!」
「それは偉いな」
菓子屋の主人が笑った。
「ほな一個ずつ飴やろか」
「ええの!?」
「ええぞ」
「ありがとうございます!」
別の店では、小さな饅頭を分けてもらう。
「大旦那、えらい太っ腹なことしますな」
「いやいや、今回だけですよ」
博之は苦笑した。
子供たちは自分で稼いだ二百八十文を握り、小物を買っていく。
櫛。
小さな鈴。
布。
甘味。
ところが、伊勢の値段は容赦がない。
「旦那……」
「何?」
「もう銭ない」
「早っ!」
「これとこれ買ったらなくなった」
「だから港で言うたやろ!」
半泣きになった子を見て、和尚と博之が顔を見合わせた。
「しゃあないなあ」
「例の予備費ですか」
「一個だけやぞ」
博之は声を潜める。
「次の店で、本当に欲しいもん一個だけ買ったる」
「ほんま!?」
「内緒やぞ」
「旦那ありがとう!」
「毎回こんなんせえへんからな!」
「分かってる!」
「絶対分かってへんやろ!」
そして町の中央に近づくと、今度は大勢の人垣が見えた。
「何やってるん?」
「見てみ」
鉄板の上では、お好み焼きのような粉物が焼かれ、その横では丸い海鮮焼きが次々と返されていた。
「うわ、あれ知ってる!」
「寺でもやってる!」
「せやろ?」
博之が急に得意げになる。
「うちの催しでやってるやつや」
「でも、すごい人やで」
「ここで初めて見る人が多いからな」
松阪や郊外では見慣れた料理でも、全国から来る旅人には珍しい。
焼ける音。
匂い。
ひっくり返す手つき。
それだけで人が集まる。
「な? 見せるんも商売やねん」
「旦那が考えたん?」
「まあ、色々とな」
胸を張る博之を見て、和尚が笑う。
「大旦那、今日一番楽しそうですな」
「そらそうですよ」
周りを見れば、四十人の子供たちが、見たことのない町で目を輝かせている。
船に初めて乗った。
神宮へ参った。
自分で稼いだ銭を自分で使った。
そして、松坂で見慣れた伊勢松坂屋の料理が、こんな遠くで大勢の人に囲まれている。
「これ、帰ったらめちゃくちゃ喋るやろな」
「一生言う子もおるでしょう」
「それなら連れてきた甲斐あったわ」
博之はそう言って笑った。
まだ一日は半分も終わっていない。
それでも四十人にとって、この伊勢参りはすでに忘れられない一日になり始めていた。




