博之45歳。二月二週目、包丁と恋心
二月二週目。
春になったら伊賀を越える。
そんな予定まで決めた博之だったが、それまでの間は相変わらずだった。
「暇やなあ」
「やることはありますよ」
「知ってるけど、今は女衆と遊びたい」
「また始まった」
店の奥でごろごろしながら、博之はうじうじと言い続ける。
「誰も相手してくれへんし」
「皆、仕事してますから」
「なんか欲しいもんないん? 買ったるから一緒に買い物行こうや」
すると。
「え、ほんまですか?」
「私行きます」
「私も!」
さっきまで忙しそうだった女衆が五人ほど集まった。
「……現金やな」
「旦那様が誘ったんでしょう」
「まあええわ。行こ行こ」
博之の機嫌は一気に良くなった。
松阪の町へ出て、小物屋を覗く。
櫛。
手拭い。
簪。
香り物。
小さな袋。
「最近は何が流行ってんの?」
「こういう細い簪ですね」
「へえ」
「旦那様、これ欲しいです」
「ええよ」
「こっちも!」
「はいはい」
ひょいひょい買ってやる。
「旦那様、甘いですよ」
「今日は遊びやからええねん」
皆であれが可愛い、これは高い、こっちは色がええ、と騒いでいると、一人の若い女が
少し離れた店先を見ていた。
「何見てんの?」
「包丁です」
「包丁?」
「家で料理したくて」
博之は少し驚いた。
「ええやん。そういう心意気は好きやで」
「ちゃんと作れるようになりたいんです」
「あれ、旦那おったっけ?」
「いませんよ」
「ほな誰に作るん?」
女は少し笑った。
「旦那作るために練習せんと、できるようにならないでしょう」
「なるほど」
周りの女衆がくすくす笑う。
「それは立派やな。ほな一本買ったるわ」
見ると、そこそこ良い包丁だった。
「これ結構高いやん」
「でも長く使えます」
「まあええか」
「ほんまですか!」
包丁を渡すと、女は大事そうに抱えた。
他の女衆も、
「ええなあ」
「料理頑張りや」
と囃したてる。
その日はそのまま和気あいあいと帰った。
博之としては、久しぶりに若い女衆と遊べたのでかなり満足だった。
そして夕方。
博之が店の奥でごろごろしていると、先ほどの女の姿が見えた。
相手は、料理人の「任せ」の男だった。
「これ……よかったら」
「え?」
「私が買ってきたんです」
博之の耳がぴくっと動く。
「良い包丁使ったら、もっと料理頑張れるかなと思って」
「いや、こんなええもん……」
「使ってください」
任せの男は、明らかに嬉しそうだった。
「ありがとう。大事に使うわ」
博之がゆっくり立ち上がった。
「……悪いことしてる」
二人が振り返る。
「旦那様?」
「その渡し方はずるい」
「え?」
「ちょっと三人で茶飲も」
「なんでです?」
「ええから」
三人で座り、茶が出る。
博之は女を見る。
「これ俺が買った包丁やんな」
「はい」
「自分で料理する言うてたやんな」
「はい」
「ほな何でこいつに渡してんの?」
女は少し顔を赤くした。
「……好きやからです」
「は?」
博之が固まった。
任せの男も固まった。
「料理頑張ってるの知ってたんで。良い包丁あったら喜ぶかなって」
「そんなんなん?」
「はい」
「俺、今日めっちゃ楽しく買い物してたのに」
「それとこれとは別でしょう」
「好きな人おるんやったら言うてよ」
「なんで旦那様に報告せなあかんのですか」
「寂しいやん」
そこへ、お花が現れた。
「旦那様」
「何?」
「娘ほど若い子の恋心に、ぐちゃぐちゃ言いなさんな」
「いやでも」
「でも、ではありません」
「俺が買った包丁やで?」
次の瞬間。
「痛っ!」
お花につねられた。
「今のは一番言うたらあかんやつです」
「すいません」
「違いますね?」
「違います」
博之はしょんぼりした。
今度は任せの男を見る。
「お前はどうなん?」
「どう、と言われましても」
「包丁もろて嬉しい?」
「それは嬉しいです」
「ほら!」
「何が、ほら、なんですか」
お花に睨まれる。
「で、付き合うん?」
「いきなりそこまで言われても……」
任せの男は困りながらも笑った。
「でも、気持ちは嬉しいです」
「いいなあ」
「旦那様」
「はい」
しばらくして、博之はため息をついた。
「まあええわ」
懐から少し銭を出す。
「二人でどっか飯でも食ってき」
「え?」
「お小遣い」
「いや、そんな」
「ええから。今日はもう俺の負けや」
女が笑う。
「旦那様、ありがとうございます」
「お幸せに」
「まだ何も始まってませんよ」
「それ以上聞いたら俺が傷つくから行って」
二人が笑いながら去っていく。
その姿を見送った博之は、そのまま布団へ倒れ込んだ。
「……もう寝る」
「まだ夕方ですよ」
「心が疲れた」
お花が呆れる。
しばらくして、昼間一緒に買い物へ行った女衆が何人か様子を見に来た。
「旦那様」
「何」
「そんな日もありますよ」
「慰め方雑やな」
ぽんぽん、と布団の上から背中を叩かれる。
「大丈夫ですよ、旦那様」
「何が大丈夫なん」
「そのうちええ人できますって」
「ほんま?」
「たぶん」
「たぶん言うな」
また笑い声が起きた。
博之は布団へ顔を埋めたまま、ぼそりと言う。
「明日も買い物行こか」
「それは行きます」
「そこだけ返事早いな!」
松阪の店の奥に、また女衆の笑い声が響いた。




