津方面の長野様の領地あいさつの道すがら神社やお寺に寄進と弁当持参しながらあいさつ回りする姿を拠点の古参に見せる
長野様のところへ年末の挨拶に向かう道すがら、博之は道中の寺社仏閣にも寄進をしながら、
改めて挨拶回りをすることにした。
津道の拠点は、少し前に古参の若い者たちに任せた場所だった。松坂と津の間に小さな飯の拠点を作る。田楽、団子、握り飯、鶏串を出し、人の通りを見ながら商いをする。そういう試みである。
だが、そこに寄ってみると、任せていた古参の若い者たちが、どこか申し訳なさそうな顔をして
待っていた。
「……旦那、すいませんでした」
開口一番、そう言われて、博之は苦笑した。
「拠点作るの、難しいやろ」
「はい」
「飯作って売るだけやと思ってたか」
「……思ってました」
正直な返事に、周りの者たちが少し笑った。
「挨拶回りしなかったからか、最初は心なしか客の受けも良くなかったです」
若い古参は肩を落とした。
「でも、先輩方に来てもらって、お寺さんや神社さん、近所の方に挨拶してからは、
少しずつ来てもらえるようになりました」
「そうやろ」
博之は頷いた。
「飯を作って売るだけちゃうねん」
そして、一枚の紙を取り出した。
「これ、貼っとけ」
そこには、拠点作りの心得が書かれていた。
一、近くの寺社に挨拶すること。
一、神社にも顔を出すこと。
一、最初の半月は黒字を急がぬこと。
一、飯を少し施すこと。
一、困っている者、食い口のない者を探すこと。
一、稼いだ銭を土地に落とすこと。
一、伊勢松坂屋の者として偉そうにせぬこと。
一、まず飯をうまく作ること。
若い者たちは、紙を見て神妙な顔になった。
「これを毎日見ろ」
博之は言った。
「銭は貯め込むためだけのもんちゃう。拠点の周りで使うんや。寺社に寄進する。近所で買う。
人に飯を食わせる。そうやって土地に溶け込む」
「はい」
「別に怒ってへん」
博之は少し表情を緩めた。
「俺も言うてへんかった。周りの古参とも話したけど、そこは言わな分からんって言われた。
だから紙にした」
ヨイチが横でぼそりと言う。
「旦那、たまに抜けてますからね」
「うるさい」
博之は笑った。
「今は風が来てる。失敗しても、学べるうちは怖くない。だから一緒に回ろう」
そう言って、博之は拠点の若い者たちを連れ、改めて近くの寺社を回ることにした。
紋付き袴を着た博之が先頭に立ち、侍と古参が続く。手には寄進の銭と、弁当、握り飯、田楽がある。
まずは近くの神社へ向かった。
「伊勢松坂屋の博之でございます」
博之は深く頭を下げた。
「年末の挨拶も兼ねて、長野様のところへ伺う道すがら、皆様にも改めてご挨拶に参りました」
神社の者は、先日も寄進を受けていたこともあり、柔らかい顔で迎えてくれた。
「いやいや、この前も寄進していただいたのに、また来てくださるとは」
「先日、うちの者が少し粗相をしたようで、申し訳ございません」
「粗相など、とんでもない。こうして改めて来てくださるだけでありがたい話です」
博之は弁当を差し出した。
「こちら、うちの飯でございます。皆様で召し上がってください」
「松坂屋の飯は、道すがらでも聞いております。うまいそうですな」
「そう言っていただけるとありがたいです」
博之は続けた。
「もし、この辺で飯に困っている子や、仕事にあぶれている者がおりましたら、
うちに声をかけてください。飯を作る手伝いでもしてくれたら、飯は食わせます」
神社の者は感心したように頷いた。
「食い口を作るわけですな」
「はい。私自身、三月までは一文無しみたいなものでした。今はこうして店を持っておりますが、
たまたま波に乗っただけです」
その正直な言葉に、神社の者は笑った。
「下心を隠さんところが、かえってよいですな」
「下心、出てますか」
「丸出しです」
場が少し和んだ。
次に、近くの寺へ向かった。
住職は博之を見るなり、穏やかに笑った。
「ああ、伊勢松坂屋さんですな」
「はい。先日は、うちの者の挨拶が遅れまして、申し訳ございませんでした」
博之は深く頭を下げる。
「年末のご挨拶と、改めての寄進に参りました」
住職は、差し出された銭と弁当を見て、目を細めた。
「丁寧なことです。今の世で、ここまで挨拶に来る商人は少ない」
「うちはまだ一年も経っていない店ですので、失礼が多いかもしれません」
「松坂の外れで聞いておりますよ」
住職は言った。
「孤児や未亡人、あぶれた者を雇って、飯を食わせ、寝床も用意している店があると」
博之は少し照れた。
「そんな立派なものではありません。最初は、飯を食えない者同士で、なんとかやろうとしただけです」
「それが大きくなった」
「はい。大きくなったせいで、伝わりきらないことも出てきました。今は紙に書いて、
拠点を出す者に教えているところです」
博之は、先ほどの心得の紙を見せた。
住職はそれを読み、静かに笑った。
「よいではありませんか。寺社に挨拶する、飯を施す、銭を土地に落とす。商いとしても、
人の道としても、悪くない」
「ありがとうございます」
「それに、読み書きを教えているとも聞きました」
「はい。うちは、もともと字が読めない者が多いので。お寺さんや、あぶれた侍さんにお願いして、少しずつ教えております。拠点に出す者には、護身術も少し」
「それはよいことです」
住職は大きく頷いた。
「何かあれば、松坂の本店へ言えばよろしいのですな」
「はい。多少の口利きと、飯の支度くらいはいたします」
「年末に良い話を聞けました。うまくいくことを願っております」
その流れで、博之は長野様への挨拶の話もした。
「津の方でも、少しずつ商いをしたいと思っております」
「長野様は、大大名というほどではありませんが、その分筋を通せば商いはできると思います」
住職は言った。
「伊勢よりは、入りやすいでしょう。神宮さんの周りはやはり難しい」
「そこは、私も感じております」
「伊勢は寺社も商人も古い。急に入るには骨が折れるでしょう」
「実は、九鬼様の方から、伊勢や津の港で店を出すなら多少口を利いてやると言っていただきまして」
その言葉に、住職は少し驚いた。
「九鬼様が?」
「はい。港で出している魚のすり身の飯を気に入っていただきまして」
「それはまた、大したことですな」
住職は感心したように言った。
「九鬼の方々は、なかなか癖の強い方も多い。そこで話が出るというのは、よほど飯が
気に入られたのでしょう」
「ありがたいことです」
「伊勢と津、両方見ているわけですか」
「はい。まだ夢のような話ですが」
「夢でも、道筋をつけているなら夢ではなくなります」
住職の言葉に、博之は少し背筋を伸ばした。
寺を出る頃には、拠点の若い者たちの顔つきも変わっていた。
「旦那、挨拶回りって、こういうことなんですね」
「そうや」
博之は歩きながら答えた。
「頭を下げて、飯を出して、銭を落として、話を聞く。これをせんと、よそ者はいつまでもよそ者や」
「覚えます」
「紙にも書け。次にお前らが誰かに教えるんや」
冬の道を歩きながら、博之は長野様のいる方角を見た。
津への道は、まだ始まったばかりだった。
だが、道中の寺社に頭を下げ、若い古参が一つ学んだ。
それだけでも、この挨拶回りには意味があった。
そしてその先には、津、伊勢、港、さらにもっと遠い場所がある。
博之は袖の中で手を握り、静かに思った。
飯で道を作る。
それが、伊勢松坂屋の進み方だった。




