博之45才1月4週目。北伊勢巡回をして蟹江会議後の北伊勢の状況や伊勢松坂屋本拠付近の催しの浸透を図る
一月四週目。
新しく師範になった者たちが、それぞれ北や東へ向かう準備を進める中、博之もまた
地図を広げていた。
「師範らには頑張ってもらうとして、俺もそろそろ動こうかな」
ヨイチが嫌そうな顔をする。
「今度はどちらへ?」
「北伊勢」
「この前、蟹江から帰ってきたところでは?」
「それとこれとは別や」
博之は北伊勢の地図を指でなぞった。
「今回、北伊勢の国人衆の立ち位置、薄くやけど変わったやろ」
北側はおおむね織田の庇護。
南側は北畠の庇護。
すぐに領主がすべて入れ替わるわけではない。
それでも、人の気持ちは変わる。
「話し合いの席では、まあこれでやろか、になった。でも現地の人まで納得してるかは別やん」
「不満は当然あるでしょうね」
「せやろ。そこ見たいねん」
博之が見たいのは城だけではない。
市。
飯屋。
農家。
港。
商人。
寺。
そして普通に暮らしている者たちの空気だった。
「松阪って今、情報めちゃくちゃ入ってくるやろ」
「はい」
「福袋がどうやった。料理勝負で誰がうまかった。どこの店が流行ってる。何が高い。
何が余ってる。そういう話が勝手に集まる」
伊勢もかなり近い状態になってきた。
津も少しずつ育っている。
「北伊勢も、全部松坂みたいになれとは言わん。でも、もうちょっと土地が動いてる感じ欲しいよな」
「催し物を増やすのですか?」
「それもある。小さい料理勝負でもええし、季節の市でもええし、お楽しみ袋みたいなんでもええ」
ただし、押しつけるつもりはない。
「土地ごとに違うからな。松坂で当たったことを、そのまま持ってったらあかん」
「では視察して考える?」
「そう。あと今回の話し合いの予後やな」
「予後」
「織田に寄ることになって嫌や、とか。北畠に二割出すのが納得いかん、
とか。逆に戦にならんかったからありがたい、とか。そういう生の話を聞きたい」
お花がじっと博之を見る。
「旦那様」
「何?」
「今度は本当に視察だけですよね」
「もちろん」
「国境の仕組みを一つ増やして帰ってくる、とか」
「せえへんって」
「信用がありません」
「ひどいなあ」
博之は笑いながら、もう一枚の地図を広げた。
「それとな、俺が北伊勢行ってる間に一個試してほしい」
今度は海だった。
鳥羽。
志摩。
紀州沿岸。
そして堺、摂津。
「伊勢とか鳥羽の船に、適当な荷を積んで西へ出してみて」
「何を運ぶのです?」
「何でもええ。干物でも、小物でも、信楽焼でも。まず船がどれぐらいの日数で
どこまで行けるか知りたい」
「試験航海ですね」
「そうそう。儲けんでもええ」
同時に、陸路でも文を送る。
伊賀越えなどを使い、堺の伊勢松坂屋の関係者へ知らせる。
「堺側からも、紀州沿いに東へ船出してもらう」
「両側からですか」
「うん」
「どこで会うのです?」
「それを探してほしいねん」
ヨイチが顔をしかめた。
「かなり雑な指示ですね」
「だから試験やって」
紀州沿岸のどこか。
双方の船が無理なく寄れる港。
水や薪が補給できる。
できれば魚や米も買える。
「一回そこで落ち合って、互いの荷を少し交換する」
「物々交換のように?」
「最初はそれでもええ。伊勢から持っていったものが向こうでどう見られるか。
堺から持ってきたものが伊勢でどう売れるか」
「そこで情報も交換する」
「それが一番大事」
海が荒れた。
この港は使いにくい。
ここでは水が安い。
ここは関銭が高い。
ここの商人は話が分かる。
「そういう話持って帰ってきてくれたら、次からちゃんと航路にできるやろ」
「紀州をぐるっと回って摂津と伊勢を結ぶ、と」
「長いけどな」
「旦那様、また壮大なことを」
「いきなり定期便にせえ言うてへんやん。一往復や。一往復」
お花がため息をついた。
「その一往復から、いつも何か始まるんですよ」
「始まったら成功やん」
「旦那様にとっては、でしょうね」
ヨイチも笑った。
「では、北伊勢へ向かっている間に、鳥羽・伊勢側と堺側から試験船を出すよう手配します」
「頼むわ。無茶はせんようにな。海荒れたら中止でええ」
「そこはまともですね」
「俺を何やと思ってんの」
二人とも答えなかった。
「なんで黙るねん」
数日後。
博之は北伊勢へ向かう支度を整えた。
大人数ではない。
護衛と帳場の者、それに現地を見るための料理人や商人が少し。
「ほな行ってくるわ」
「ちゃんと戻ってきてくださいね」
お花が言う。
「北伊勢を全部伊勢松坂屋の市にして帰ってきたりしないように」
「せえへんって」
「本当ですか?」
「今回は人の顔見に行くだけ」
ヨイチが帳面を抱えながら呟く。
「その間に船二隻を紀州沿いへ走らせておいて、人の顔を見に行くだけ、と」
「別件や」
「旦那様、なんか忙しいですね」
「楽しいこといっぱいあるからな」
「それを世間では忙しいと言うんです」
「またそれ?」
笑いながら、博之は北へ向かった。
北伊勢では、新しい庇護関係が始まろうとしている。
海では、伊勢と堺から小さな船が互いを探して動き始める。
陸では北へ、海では西へ。
伊勢松坂屋は今年も、大きな旗を立てることなく、少しずつ道だけを伸ばし始めていた。




