博之45才1月3週目。帳面合わせと師範の方針について。鯖街道。尾張から三河。摂津から海を回り伊勢志摩へ
一月三週目。
蟹江での会談がどうにか形になり、松阪へ戻った博之を待っていたのは、またしてもヨイチだった。
「旦那様。帳面合わせをいたします」
「……蟹江から帰ってきたばっかりやで?」
「だからです」
「めんどくさいなあ」
「やるしかありません」
「はいはい」
博之は渋々座った。
「前回、七億四千万文程度まで整理いたしました」
「うん」
「そこから今回の利益が三千八百万文」
「相変わらずやな」
「正月の催し、福袋、炊き出し、寄進など諸経費として五百万文ほど出ております」
「ほな七億七千三百万文か」
「その程度です」
博之は少し考えた。
「三百万文、邪魔やな」
「またですか」
「各地に残しといて」
「何に使います?」
「炊き出し、寺への寄進、お楽しみ袋の追加。正月企画まだやりたいところもあるやろ。
現場でええように使って」
「では三百万文を地域還元費として別に置きます」
「それで七億七千万文。きれいや」
「旦那様は帳簿を見やすくするために銭を使わないでください」
「有効活用やって」
ともあれ、帳面は七億七千万文で一旦締まった。
そして博之は、新しく師範となった者たちを集めた。
「今年な、大きく三本ぐらい道を育てたいねん」
「三本ですか」
「まず北」
地図の坂本から堅田、高島、今津、さらに北へ指を動かす。
「比叡山坂本から鯖街道を抜けて、敦賀まで」
「日本海ですね」
「そう。ここ厚くしたい」
比叡山との一件で浅井・朝倉へつながる縁はできた。
ならば、それを商いへ変える。
「ただ、俺が逐一行くんは無理や」
「ですから私たちが?」
「そう。二人ぐらい北へ回ってくれ」
博之は紙を出した。
「坂本、堅田、高島、今津、敦賀。一気にでかい店作らんでええ。飯場でも、荷置きでも、
小さい市でもええ。細い点を作っていく」
「それをつなげる」
「そういうこと」
さらに大事なのは人だった。
「各地で見習い作って、任せを育ててくれ」
「師範代まで?」
「そこまでは言わん」
師範たちが少しほっとする。
「一年で師範代何人作れとか言い出したら酷やろ」
「旦那様なら言いそうなので」
「言わへんよ」
博之は笑った。
「下を厚くしてくれたらええ。こいつなら任せまでいけそうや、いう奴を何人か作る。それで十分」
そして北の目的は、物流だけではない。
「敦賀まで通ったら、日本海の魚が入るやろ」
「干物ですか」
「干物もやけど、雑魚とか下魚とか」
今まで値のつかなかった魚。
形の悪い魚。
大量に揚がって余る魚。
「そういうの、安く買えたらおもろいやん」
「何に使います?」
「海鮮焼きもできる。お好み焼きみたいなんにもできる。伊勢でやってる天ぷらにも回せる」
「なるほど」
「捨てられてる魚に値段つけられたら、漁師も嬉しいし、うちも儲かる」
しかも、日本海側は博之にとってまだ未知だった。
「太平洋側はだいぶ分かってきた。でも日本海は知らん」
「だから見てこい、と」
「そう。面白い話も持って帰ってきて」
師範の一人が苦笑する。
「料理教えて、人育てて、店作って、魚探して、面白い話までですか」
「めちゃくちゃ要求してます?」
「してます」
「まあまあ」
博之は笑った。
「全部やらんでええねん」
紙に箇条書きする。
飯場。
見習い育成。
任せ候補。
地元商人。
魚。
港。
寺。
炊き出し。
面白い話。
「一個ずつ潰せばええ。できへんかったら『できませんでした』でええ」
「最後急に雑ですね」
「どんだけ遠いと思ってんねん」
博之は地図を叩いた。
「俺の目が届かへんから、お前らに俺の目になってくれ言うてるんや」
「失敗したら?」
「失敗した話を持って帰ってこい。それで次考える」
師範たちは頷いた。
「次。東」
今度は尾張から三河へ指を動かす。
「熱田、常滑、その先の三河海道」
「織田様との話も増えそうですね」
「せやからここにも師範二人」
海路もある。
街道もある。
これから三河へ入るなら、料理だけではなく現地との調整も必要になる。
「見習いと任せ作って、土地の飯覚えて、織田方とも喧嘩せんようにな」
「旦那様が言います?」
「比叡山と揉めたから言うてんねん」
笑いが起きた。
「そして三本目が西から南」
博之の指が堺へ移った。
「堺から紀州沿いを南へ。それから志摩、伊勢へ戻る海の道」
「かなり長いですね」
「長期戦や」
摂津や堺で集めた物資。
酒。
珍しい品。
それを紀州沿岸へ送り、志摩を経て伊勢へ持ってくる。
逆に伊勢や尾張の物を西へ流す。
「今はまだ構想だけやけどな」
「酒も運ぶのですか」
「灘の方もそうやし、堺や大和で手に入る酒もある。船でまとまって運べたら面白いやろ」
「北は敦賀。東は三河。西から南は堺、紀州、志摩……」
師範の一人が頭を抱えた。
「旦那様」
「何?」
「また話がでかくなってません?」
「去年より店増やす速度は抑えてるで」
「道そのものを増やしてますやん」
「店を点で作って、点を線にしてるだけや」
「その線が日本を横断しそうなんですよ」
ヨイチまで苦笑した。
博之は地図を眺めた。
北へ。
東へ。
そして海沿いに西から南へ。
「まあ、一年で全部やれとは言わんよ」
「本当ですね?」
「ほんまほんま」
「旦那様の『一年でやらなくていい』は、半年後には催促が来るんですよ」
「信用ないなあ」
「実績がありますから」
また笑いが起きた。
七億七千万文。
伊勢松坂屋が次に使おうとしているのは、その銭で巨大な城を建てることではなかった。
小さな飯場を置く。
人を育てる。
魚を探す。
道をつなぐ。
そうして細い点を、一つずつ線へ変えていく。
「まあ、気張って行ってきて」
「軽いなあ」
「帰ってきた時、うまい魚と面白い話があったら最高や」
「結局そこですか」
「そこが一番大事やろ」
師範たちは笑いながら、それぞれの地図を手に取った。
新しい一年。
伊勢松坂屋は、今度は店ではなく、三本の長い道を育て始めようとしていた。




