博之45才1月1週目。正月三が日に伊勢松坂屋の新師範お披露目と松坂での料理勝負
正月三が日。
松阪城では、朝からえらい人だかりができていた。
表向きの主役は、新しく師範となった伊勢松坂屋の料理人たちのお披露目である。
ただ、それだけでは面白くない。
「せっかく正月やし、一日料理祭りにしたらええやん」
という博之の一言で、北畠家の料理人まで巻き込んだ大掛かりな催しになった。
午前は百文。
参加するのは、伊勢松坂屋の見習い、任せ、それに普段から下働きや炊き出しで
腕を磨いている者たち。
対する北畠側は、松阪、伊勢、津などから集めた料理人だった。
「今日は昇格試験ちゃうからな」
松阪のお殿様が皆を見渡す。
「正月や。楽しんでやれ」
一瞬、料理人たちの顔が緩む。
「ただし」
「はい」
「手ぇ抜いたら恥かくぞ」
また全員の背筋が伸びた。
「結局緊張させるんですね」
博之が笑う。
「そらそうやろ。客は百文払うんやからな」
午前の札はあっという間に売れた。
二百文の午後の札など、とっくに手に入らない。
「しゃあない、百文行こ」
「でも百文でも十分うまいやろ」
「最近の伊勢松坂屋、見習いでも普通の飯屋よりうまい時あるからな」
客の舌もすっかり肥えている。
焼き魚を一口食べた男が言った。
「これは伊勢松坂屋の方が強いな」
「火の入れ方が慣れてるわ」
一方で、北畠側の煮物を食べた客が目を丸くした。
「こっちは細かいなあ」
「出汁が違う」
「野菜一つでも丁寧にやっとる」
そんな声を料理人たちは聞き逃さない。
「焼き物、もうちょい強めにいくか」
「いや、こっちは塩落とそう」
「向こうの煮物の香り、ええな」
勝負と言いながら、互いに味を見ては、その場で少しずつ調整していく。
侍たちまで感心していた。
「伊勢は、ほんま飯が豊かになったな」
「土地が豊かやからか?」
すると古参の侍が首を振った。
「ちゃうちゃう」
「何がや」
「伊勢松坂屋の毒が回っとんねん」
周囲が笑う。
「毎月のように市やって、炊き出しして、料理勝負して。民まで味にうるさくなっとる」
「確かに。戦でも起こって飯が粗末になったら大変そうやな」
「それは殿も言うとった。豊かになったらなったで、守るもん増えるんや」
そんな話をしているうちに昼となる。
午後は二百文。
ここから空気が一段変わった。
伊勢松坂屋は師範代。
北畠側は、普段から松阪、伊勢、津などで殿や重臣の膳を預かる料理人たち。
「負けられへんぞ」
北畠側の料理頭が言う。
「殿の面子もある」
「でも、伊勢松坂屋の師範代、強いですよ」
「何が違う」
「場数です」
「場数?」
「市、炊き出し、野良試合、審査会。客に何百回も文句言われながら作っとるんです」
「ほな、うちも何とかせえ」
「急に言われても!」
一方、伊勢松坂屋側にも緊張がある。
城付き料理人が得意とするのは、繊細な仕事だった。
薄く引いた出汁。
季節を感じさせる盛り付け。
香りの重ね方。
一口食べた客が驚く。
「うわ、これ百文の会と全然ちゃうな」
「こんな細かい料理、普段食えへんぞ」
「伊勢松坂屋は勢いあるけど、城の料理人は静かにうまいな」
師範代たちも素直に認めた。
「これは勉強になるな」
「味を足すだけが料理ちゃうんやな」
逆に北畠側は、伊勢松坂屋の回転の速さと、客の反応を見て即座に味を変える力に驚かされた。
勝ち負けよりも、互いに足りないところがよく見える。
正月の料理勝負としては、上々だった。
そして夕方。
最後に新師範たちが前へ出た。
ここだけは少人数。
松坂のお殿様や重臣、古参の料理人たちの前で、小さな膳を出す。
博之も一人ずつ紹介した。
「この者らを、今年から伊勢松坂屋の顔として各地へ回します」
「各地とは?」
「京都、奈良、堺、尾張、堅田。今後は三河や高島方面もあるかもしれません」
「忙しいな」
「一年ぐらいかけて順々にです。時々松阪にも帰ってきてもらいます」
新師範たちは頭を下げた。
「料理を作るだけやないです」
博之は続ける。
「見習いを育てる。任せを作る。師範代を見つける。必要なら焼印も押す。伊勢松坂屋の顔が、
俺一人にならんようにする」
松坂のお殿様が笑った。
「また、その話か」
「大事ですからね」
博之は首元を指さした。
「去年みたいに俺が動けへんようになったら困るんですよ」
「去年は楽しませてもろたなあ」
「こっちは全然楽しくなかったですよ」
「比叡山相手にあれだけ暴れて、最後に百万文渡した男が何を言う」
「飯屋ですから」
殿様が声を上げて笑った。
「今年も何かおもろいことしてくれるんやろ?」
「いやいや」
博之は慌てて首を振る。
「毎年毎年、首切られてたら、首の皮なくなりますよ」
一瞬の沈黙。
そして、中庭が爆笑に包まれた。
「確かに!」
「今年は切られんようにせえ!」
「お花殿に紐つけてもらえ!」
「なんで俺だけこんな扱いなんですか!」
正月三が日。
伊勢松坂屋の新しい師範たちは、笑い声の中で初めて正式に人前へ立った。
今年から彼らは、博之の代わりに各地へ出る。
飯を作り、人を育て、焼印を押し、土地と伊勢松坂屋をつなぐ。
博之一人の飯屋だったものが、少しずつ、本当に博之がいなくても回るものへ変わり始めていた。




